この日は雨天。
年に一度の大行列がある天理市新泉町・大和神社のちゃんちゃん祭。
昨年は大雨でお旅所までのお渡りは還幸も含めて中止された。
お旅所の神事は9ケ大字の頭人やトーニンゴによる祭典は執行されたが一番の見せ場になる大行列が中止である。
今年もそうなるのか心配していた宮総代。
車を停めておくならここから東に登った国道沿いにあるコンビニの駐車場を利用してくれと云われた。
空いていたら思う存分使ってくれというのだから、ありがたい顔見知りの総代さんだ。
昼前に到着した大和神社。
この時間帯は神事。
主神・大国魂大神(おおくにたまのおおかみ)の例祭が行われていた。
それから数時間後、大字新泉の人たちとともに再び神社にやってきた。
それぞれの大字ごとに指定されている杭に産子弊、小幣、梅幹(梅ずわい)を結わえて立てる。
新泉の大字旗が目印である。
小雨であるが雨はあがらない。
頭人はトーニンゴとともに傘をさす。
トーニンゴは実姉の孫。
叔父と甥っ子の立ち姿にUさんはにっこり笑顔。
大字旗に着いていち早く動きだしたのは太鼓担ぎだ。
お渡り前にしなければならないひと稼ぎ。
大字兵庫の龍頭(たつのくち)とともに屋台店に出向く。
龍頭の口を開けてパカパカ、新泉は太鼓を打って店主にねだって商品や金銭をもらい受ける。
それは太鼓の天秤棒に括りつけた袋に納める。
平成23年に拝見した太鼓には風呂敷を結んでいた。
貰った商品などは風呂敷に入れていた。
この年は雨天。
仕方なくビニール袋にしたのだろう。
貰ってきた商品のすべてはトーニンゴ行き。
小児の男児にとってはお菓子でいいのだろう。
お渡りの行列が出発するのは午後2時。
例年より30分遅らして出発する。
行列はおよそ200人。
内訳を列挙する。
先頭は先駆。
大和神社の年預総代(総務担当)が務める。
次は鉄棒。その年の1番くじを引いた大字が担う。
今年は兵庫の二人だった。
次は鉦鼓。2番くじを引いた成願寺の二人が担いで鉦鼓を打ち鳴らす。
次は新泉の梅幹と新泉の小幣持ち。常持大字の新泉である。
次は産子(うぶこ)幣。1番くじを引いた兵庫があたる。
次は常持新泉の太鼓担ぎだ。
次は猿田彦(天狗とも)。
1番くじを引いた兵庫は大字旗をもつ人足を先頭に猿田彦が道中に休む腰かけ台(胡床)持ちの一人がお伴について行列する。
次は常持長柄の錦旗(にしきのみはた)。一対の旗だから二人である。
次は勅使役とする天理市市長が乗る乗馬。
そして、2番くじを引いた産子幣①が続く。
この年は成願寺だった。続いて産子幣②。
3番くじを引いた長柄がつく。
こういう場におればいろんな方々と遭遇する。
兵庫の前総代のMさんや長柄の前年預総代のMさんら。
例年、お会いする馴染みの方々。
ふっと振り返れば三昧田のNさんとも出合う。
それぞれ大字ごとの行事の在り方を取材させていただいたが、今年も、というわけにはいかない。
失礼してしまうのが申しわけない。
特にNさんはF学芸員がお気に入り。
元気でいているか、といつも問われる。
私は、といえば天理の病院通い。Nさんも同じ心臓病を患った。
私も処置をしてもらったカテーテルは対応した医師も同じだった。
ゆっくりとお話しをしている時間はない。
失礼して次の調査に移る。
大行列はまだまだ続く。
この年の根超榊(ねごしのさかき)役は長柄の二人だった。
次は神饌唐櫃担ぎ。
4番くじを引いた中山の二人が担ぐ。
実は神饌唐櫃は二種類ある。
一つはお渡りの際に担がれるが中身は空である。
実の神饌は前もった時間帯の朝9時にお旅所に運ばれているのである。
次は大幣。3番くじを引いた長柄があたる。
次は産子幣③。4番くじを引いた中山がつく。
次は常持兵庫があたる千代山鉾(かつては勅使の輿があったが消失して山鉾のみとなった)。
次は清祓。お旅所で献饌、撤饌する大和神道御霊之社・教会長がつく。
次は風流傘。5番くじを引いた岸田がつく。
次は兵庫の龍頭(たつのくち)。
烏帽子を被って紺色の装束を身につけた子どもが二人。
うち一人は龍頭の胴にあたる布を持つ役になる。
なお、お渡りには子供が演じる龍頭を擁護する世話人もつく。
次は産子幣④。5番くじを引いた岸田がつく。
次は甲冑乗馬。馬は二頭。三昧田と兵庫の人は鎧を身に着けて乗馬する。
次は岸田・中山・成願寺・新泉が担ぐ増御子(ますみこ)社神輿だ。
神輿は8人で担ぐが、途中で休む場合の台持ちの二人がお伴につく。
そして、禰宜職。大和神社の大祭を応援する宮司は増御子(ますみこ)社神輿の御霊遷しを担う。
行列はまだまだ続く。
次は盾、矛、鞨鼓(かっこ)樂人、成願寺の樂太鼓、長柄の樂鉦鼓、伶人(れいじん)樂奏者、随身(ずいじん)、長柄・兵庫・萱生・三昧田・佐保之庄が担ぐ本社神輿、菅翳(すげのさしは)、紫翳(むらさきのさしは)、年預の剱(つるぎ)、長柄の矛、神馬(しんめ)、乗馬宮司、(※ 長岳寺山主、長岳寺鉦鼓は)、産子幣⑤、神職の順である。
今年の撮影は新泉の人たちを中心に撮らせていただく。
特に祭りの用具を持つ人たちの姿が今回の代理調査の目的。
道具だけでなく道具とともに撮っておけばどれくらいの大きさが自ずと判るわけだ。
一つは太鼓を担いでドン、ドン、と打ちながら行幸する姿だ。
梅幹を手に取って上方に立ててあるく人足。
横列になった小幣持ちも行幸するが、産子幣持ちは後方の列についていた。
距離が若干離れるために撮ることはできなかった。
お渡りはちゃんちゃん祭の名前の由来となる鉦鼓担ぎは外せない。
鉄棒と新泉の太鼓に挟まれた位置にいるからどうしても撮ってしまう。
一の鳥居を出た一行は大字成願寺集落を南北に通る上街道を南下する。
ジャラン、ジャランの音にちゃんちゃんの鉦の音が聞こえてきたら町の人が出迎える。
鳥居から100mほどの処にある家が目に入った。
玄関が開いている家の前に立つ白装束の人。
行列する人たちは順番が決まった隊列を組んで歩く。
少なくともそうである。
この場に居ること自体が不思議であるが、私は見逃さずにここで立ち止まる。
その家の玄関には門飾りを立ててあった。
提灯も掲げている。
ここはまちがいもなく成願寺の頭屋家である。
成願寺の頭屋家は4垣内の順番で廻ってくる。
平成25年は西垣内、26年は東垣内、27年は北垣内で今年の平成28年は南垣内になると聞いていた。
と、すればここは南垣内。
屋内から唐櫃を担ぐ二人の人足が顔を出している。
行列のどこに入ろうとしているのか様子を伺っているように思えた。
と、いうのも、成願寺の役目はお旅所への行列には加わらず、戻りの還幸祭のお渡りに加わるのだ。
人足が担ぐ唐櫃は還幸祭が行われる大和神社に奉納される牛の舌餅を納めている。
今年は雨天で還幸祭の渡御はない。
ないから、神幸祭のお渡りで加わることになったのだろう。
これまでこういうことはなかったように伺える特異なお渡りなのだ。
頃合いというか、列の区切りを判断されて行列に飛び込んだ。
もちろん、唐櫃を先頭するのは成願寺の大字旗だ。
街道は成願寺の街道にもなるから迎える町の人は近所つきあいの人たち。
笑顔で見送った。
しばらく歩けば成願寺の集落外れ。
西の方角は田園が広がる。
風流傘の後ろは龍頭をもつ兵庫の子どもたち。
烏帽子を被って紺色の装束を身につけている。
龍頭の子供を擁護していた世話人は兵庫のMさん。
村行事やちゃんちゃん関係の行事取材でいつもお世話になっている。
そうこうしているうちに岸田・中山・成願寺・新泉が担ぐ増御子(ますみこ)社神輿が通って行く。
長柄・兵庫・萱生・三昧田・佐保之庄が担ぐ本社神輿も通って行くが、子供が役する随身(ずいじん)の姿は見られなかった。
この雨天決行に登場することはなかった。
写りこむ空は暗雲。
いまにもどっと雨が降りそうな気配だ。
ここからは今回初めてのショートカットお渡りコース。
大字の中山・岸田との境界にあたる辻手前の筋辻を西へ向かい大字新泉の集落に向かう。
集落南より中央の筋道を行く。
そして、中央の辻からは東へ向きを換える。
つい1時間20分ほど前に新泉の人たちが出発した集落を大行列が通り抜ける。
こういうことは初めてだ。
新泉の人たちには伝わっていたのであろう、住民たちは今か、今かと待ちかねていた。
迎えに拍手することもなかった大行列は黙々と練り歩く。
2時間ほど前はぐらりと感じた地震。
その場でY婦人が見ていた。
何年か前まで、数年間も務めた新泉の翁役の男性も自宅前で迎えていた。
時間短縮の迂回コースは特別なコース。
今回、初めて取り入れたコース設定である。
二度目はあるのか、ないのか天候に悩ませる大行列。
これも記録と思ってシャッターを押していた。
東に向かった行列の先頭は、再び上街道に戻って北上する。
威風堂々とした姿で街道をゆく。
出発した一の鳥居を潜って大和神社に戻ってきた。
およそ一時間のお渡りであった。
戻ってきた行列はここで一旦は解散。
これよりは大字中山が主になるお旅所祭が行われる。
歯定神社、若宮社に出向くのは頭人とトーニンゴだけになる。
昨年の大雨はそうされたと聞くが、今年はやや小雨。
小雨決行の一部斎行の特別な状況で行われる。
お旅所で奉納される兵庫の龍の口舞に新泉の翁の舞(田の実の舞とも)は中止かと思っていたが、そうではなかった。
少人数で、極端にいえば田植えの所作をする翁役だけでも、ということであったが、新泉の所作はそういうわけにはいかない。
最後に所作される「オオミタラシノカミ」である。
一人だけで樫の葉を放り投げるのは様にならない。
そう判断されて新泉の一行は全員が揃ってお旅所に向かった。
歯定神社での神事が始まったのは午後3時50分ころだった。
ほぼ例年と変わらないような時間帯である。
晴天であれば広場で大字ごとに昼食をされるが、今回は雨天で中止。
その時間がなかったというようなものだ。
粛々と行われる大字中山の神事。
次は、大字ごとに頭人とトーニンゴが拝礼をする。
映像を見れば判るようにこの時点においても雨は降っていた。
続いて行われたのは兵庫の龍ノ口舞である。
本来であればこの場に二つの神輿がある。
ところが今回は雨天一部決行。
増御子(ますみこ)社神輿も本社神輿は渡御されなかったのである。
後に聞いた話しによれば両神輿とも分霊遷しはされなかったようだ。
と、いうことはお渡りしたそのときの神輿は神さんが居なかったのである。
それはともかく、次に行われたのは中山の行事。
各大字が寄せるお供えの返しをする。
その次はチンマキ投げだ。
本来はこれら中山の行事が終わってから龍ノ口の舞になるのだが、例年と違う行程でとまどうばかりであった。
引き続いて行われる新泉の奉納は翁の舞(田の実の舞とも)だ。
新泉の人たちが並ぶ。
一人が前にでる。
所作の主役になる田楽役は翁役なのだ。
竹の皮で作られた円形の田植笠を左手に持って頭に翳す。
右手でもつ鋤で田を耕す。
上下にスジを切るような鋤の作法。
水はけをよくする溝を切っているような作法である。
2スジ掘って鋤を振り上げて肩のほうに上げる。
2回された所作、それは麦作と稲作の2毛作を表しているのではないだろうか。
その所作を終えて半切り型の桶(コシキとも)に入れていた樫の葉を新泉の座中に配る。
円陣を組んで一握りずつ樫の葉を手に持って一斉に頭上に放り投げる。
その際に「オオミタラシ(大御手洗)ノカミー ワー」と唱和して放り投げるのだ。
翁の舞(田の実の舞とも)と称される所作であるが、この葉は雨を現わしているそうだ。
農作に必要な雨乞いだともいうから豊作予祝の作法であろう。
これまで何年間も亘って翁役の所作をしてきたYさんが、いうには、かつて新泉には本物の翁面があったそうだ。
何年か前に頭屋を務めた長老のMさんがいうには、翁は樫の葉を放り投げるときも被っていたと話していた。
平成22年に訪れたときに聞いた話しである。
その翁面は白木の面だったようだ。
小さな穴が開いた翁の面。
見えにくいながらも所作をしたと話していたMさん。
いつしか被らなくなった翁面は大和神社に納めたようだと話していた。
実は何年間も亘って県教委がちゃんちゃん祭の詳細調査をしてきた。
実態は過去をも含めて事実関係を掘り起こそうと調査していた。
この翁面も調査されたが、結局は見つけることができなかった。
行方不明になっただけに事実関係の一切が判らなくなったとYさんが云った現実が悲しい。
お旅所の祭典が終わって解散、ではなく還幸祭が行われる大和神社に戻る関係者。
相席で乗ってきた車に分乗して戻っていった。
大字岸田が常持の白馬、黒馬の神馬(しんめ)奉納があったのかどうかは聞かずじまいだった。
還幸神事は例年より30分程度早いかもしれない。
成願寺が供えた牛の舌餅をいただく兵庫の二人も来ていた。
いつもの顔ぶれである。
拝殿南側で立って楽奏する4人。
龍笛、笙、篳篥で雅楽を奏でる楽人たち。
うち一人は顔馴染みだ。
しかも天理市民ではなく大和郡山市民。
矢田町に住むTさんは長年に亘って楽人を務めている。
地元矢田町に鎮座する矢田坐久志玉比古神社の祭礼にも楽奏される。
呼び出された頭人、トーニンゴたちは昇殿してお祓いを受ける。
拝殿を降りてしばらくしてからだ。
これまで何度も拝見してきたが、これは何だと思ったのが拝殿柱に括り付けた幣である。
今年だけそうなのか、それとも例年の形式であるのか、不明だが、その場に男性が手を差し出した。
年預総代はその幣を括っていた紐を解いて手を出した男性に幣を手渡す。
男性は兵庫の特別な人だった。
特別な人はかつて勅使を受け入れていた特定家の両家。
史料によれば天皇(おそらく勅使)が大和神社の神事を見にこられたときに付き添った華族、公家が宿泊した両家だったようだ
両家は成願寺が奉納した牛の舌餅も貰い受ける。
牛の舌餅を貰うのはこと特定家と大字岸田だけである。
ちゃんちゃん祭のラストを飾る奉納所作がある。
お旅所で披露された龍ノ口の舞と翁の舞である。
このときの時間は午後5時50分直前だった。
大字兵庫の龍頭と龍尾を所作する子どもたちは拝殿に登った。
そこで演じる龍ノ口の舞。
何度か訪れて拝見してきた〆の奉納であるが、拝殿上で所作をするのは初めてだ。
続けて所作される新泉の人たち。
拝殿前の場に登場する。
所作の場は替わっていない。
お旅所で所作された笠を被るような格好で鋤の所作と樫の葉を放り投げる。
雨とされる葉が舞い落ちるのは雨乞いの所作で締められた。
すべての行事を終えた人たちはそれぞれ大字へ戻っていく。
午後6時前、例年なら午後6時30分~40分ころに終えるが、それより30分以上も前に終わった。
雨天対応の午後の半日。
ちゃんちゃん祭りはこうして特別な方法で終えた。
通算で費やした歩行時間は1時間半。
移動した距離は5.2cm。
歩行数が8226。
1万歩も歩いていなかったが、私的には心臓リハビリ運動として有効的だったと思う。
(H28. 4. 1 EOS40D撮影)
年に一度の大行列がある天理市新泉町・大和神社のちゃんちゃん祭。
昨年は大雨でお旅所までのお渡りは還幸も含めて中止された。
お旅所の神事は9ケ大字の頭人やトーニンゴによる祭典は執行されたが一番の見せ場になる大行列が中止である。
今年もそうなるのか心配していた宮総代。
車を停めておくならここから東に登った国道沿いにあるコンビニの駐車場を利用してくれと云われた。
空いていたら思う存分使ってくれというのだから、ありがたい顔見知りの総代さんだ。
昼前に到着した大和神社。
この時間帯は神事。
主神・大国魂大神(おおくにたまのおおかみ)の例祭が行われていた。
それから数時間後、大字新泉の人たちとともに再び神社にやってきた。
それぞれの大字ごとに指定されている杭に産子弊、小幣、梅幹(梅ずわい)を結わえて立てる。
新泉の大字旗が目印である。
小雨であるが雨はあがらない。
頭人はトーニンゴとともに傘をさす。
トーニンゴは実姉の孫。
叔父と甥っ子の立ち姿にUさんはにっこり笑顔。
大字旗に着いていち早く動きだしたのは太鼓担ぎだ。
お渡り前にしなければならないひと稼ぎ。
大字兵庫の龍頭(たつのくち)とともに屋台店に出向く。
龍頭の口を開けてパカパカ、新泉は太鼓を打って店主にねだって商品や金銭をもらい受ける。
それは太鼓の天秤棒に括りつけた袋に納める。
平成23年に拝見した太鼓には風呂敷を結んでいた。
貰った商品などは風呂敷に入れていた。
この年は雨天。
仕方なくビニール袋にしたのだろう。
貰ってきた商品のすべてはトーニンゴ行き。
小児の男児にとってはお菓子でいいのだろう。
お渡りの行列が出発するのは午後2時。
例年より30分遅らして出発する。
行列はおよそ200人。
内訳を列挙する。
先頭は先駆。
大和神社の年預総代(総務担当)が務める。
次は鉄棒。その年の1番くじを引いた大字が担う。
今年は兵庫の二人だった。
次は鉦鼓。2番くじを引いた成願寺の二人が担いで鉦鼓を打ち鳴らす。
次は新泉の梅幹と新泉の小幣持ち。常持大字の新泉である。
次は産子(うぶこ)幣。1番くじを引いた兵庫があたる。
次は常持新泉の太鼓担ぎだ。
次は猿田彦(天狗とも)。
1番くじを引いた兵庫は大字旗をもつ人足を先頭に猿田彦が道中に休む腰かけ台(胡床)持ちの一人がお伴について行列する。
次は常持長柄の錦旗(にしきのみはた)。一対の旗だから二人である。
次は勅使役とする天理市市長が乗る乗馬。
そして、2番くじを引いた産子幣①が続く。
この年は成願寺だった。続いて産子幣②。
3番くじを引いた長柄がつく。
こういう場におればいろんな方々と遭遇する。
兵庫の前総代のMさんや長柄の前年預総代のMさんら。
例年、お会いする馴染みの方々。
ふっと振り返れば三昧田のNさんとも出合う。
それぞれ大字ごとの行事の在り方を取材させていただいたが、今年も、というわけにはいかない。
失礼してしまうのが申しわけない。
特にNさんはF学芸員がお気に入り。
元気でいているか、といつも問われる。
私は、といえば天理の病院通い。Nさんも同じ心臓病を患った。
私も処置をしてもらったカテーテルは対応した医師も同じだった。
ゆっくりとお話しをしている時間はない。
失礼して次の調査に移る。
大行列はまだまだ続く。
この年の根超榊(ねごしのさかき)役は長柄の二人だった。
次は神饌唐櫃担ぎ。
4番くじを引いた中山の二人が担ぐ。
実は神饌唐櫃は二種類ある。
一つはお渡りの際に担がれるが中身は空である。
実の神饌は前もった時間帯の朝9時にお旅所に運ばれているのである。
次は大幣。3番くじを引いた長柄があたる。
次は産子幣③。4番くじを引いた中山がつく。
次は常持兵庫があたる千代山鉾(かつては勅使の輿があったが消失して山鉾のみとなった)。
次は清祓。お旅所で献饌、撤饌する大和神道御霊之社・教会長がつく。
次は風流傘。5番くじを引いた岸田がつく。
次は兵庫の龍頭(たつのくち)。
烏帽子を被って紺色の装束を身につけた子どもが二人。
うち一人は龍頭の胴にあたる布を持つ役になる。
なお、お渡りには子供が演じる龍頭を擁護する世話人もつく。
次は産子幣④。5番くじを引いた岸田がつく。
次は甲冑乗馬。馬は二頭。三昧田と兵庫の人は鎧を身に着けて乗馬する。
次は岸田・中山・成願寺・新泉が担ぐ増御子(ますみこ)社神輿だ。
神輿は8人で担ぐが、途中で休む場合の台持ちの二人がお伴につく。
そして、禰宜職。大和神社の大祭を応援する宮司は増御子(ますみこ)社神輿の御霊遷しを担う。
行列はまだまだ続く。
次は盾、矛、鞨鼓(かっこ)樂人、成願寺の樂太鼓、長柄の樂鉦鼓、伶人(れいじん)樂奏者、随身(ずいじん)、長柄・兵庫・萱生・三昧田・佐保之庄が担ぐ本社神輿、菅翳(すげのさしは)、紫翳(むらさきのさしは)、年預の剱(つるぎ)、長柄の矛、神馬(しんめ)、乗馬宮司、(※ 長岳寺山主、長岳寺鉦鼓は)、産子幣⑤、神職の順である。
今年の撮影は新泉の人たちを中心に撮らせていただく。
特に祭りの用具を持つ人たちの姿が今回の代理調査の目的。
道具だけでなく道具とともに撮っておけばどれくらいの大きさが自ずと判るわけだ。
一つは太鼓を担いでドン、ドン、と打ちながら行幸する姿だ。
梅幹を手に取って上方に立ててあるく人足。
横列になった小幣持ちも行幸するが、産子幣持ちは後方の列についていた。
距離が若干離れるために撮ることはできなかった。
お渡りはちゃんちゃん祭の名前の由来となる鉦鼓担ぎは外せない。
鉄棒と新泉の太鼓に挟まれた位置にいるからどうしても撮ってしまう。
一の鳥居を出た一行は大字成願寺集落を南北に通る上街道を南下する。
ジャラン、ジャランの音にちゃんちゃんの鉦の音が聞こえてきたら町の人が出迎える。
鳥居から100mほどの処にある家が目に入った。
玄関が開いている家の前に立つ白装束の人。
行列する人たちは順番が決まった隊列を組んで歩く。
少なくともそうである。
この場に居ること自体が不思議であるが、私は見逃さずにここで立ち止まる。
その家の玄関には門飾りを立ててあった。
提灯も掲げている。
ここはまちがいもなく成願寺の頭屋家である。
成願寺の頭屋家は4垣内の順番で廻ってくる。
平成25年は西垣内、26年は東垣内、27年は北垣内で今年の平成28年は南垣内になると聞いていた。
と、すればここは南垣内。
屋内から唐櫃を担ぐ二人の人足が顔を出している。
行列のどこに入ろうとしているのか様子を伺っているように思えた。
と、いうのも、成願寺の役目はお旅所への行列には加わらず、戻りの還幸祭のお渡りに加わるのだ。
人足が担ぐ唐櫃は還幸祭が行われる大和神社に奉納される牛の舌餅を納めている。
今年は雨天で還幸祭の渡御はない。
ないから、神幸祭のお渡りで加わることになったのだろう。
これまでこういうことはなかったように伺える特異なお渡りなのだ。
頃合いというか、列の区切りを判断されて行列に飛び込んだ。
もちろん、唐櫃を先頭するのは成願寺の大字旗だ。
街道は成願寺の街道にもなるから迎える町の人は近所つきあいの人たち。
笑顔で見送った。
しばらく歩けば成願寺の集落外れ。
西の方角は田園が広がる。
風流傘の後ろは龍頭をもつ兵庫の子どもたち。
烏帽子を被って紺色の装束を身につけている。
龍頭の子供を擁護していた世話人は兵庫のMさん。
村行事やちゃんちゃん関係の行事取材でいつもお世話になっている。
そうこうしているうちに岸田・中山・成願寺・新泉が担ぐ増御子(ますみこ)社神輿が通って行く。
長柄・兵庫・萱生・三昧田・佐保之庄が担ぐ本社神輿も通って行くが、子供が役する随身(ずいじん)の姿は見られなかった。
この雨天決行に登場することはなかった。
写りこむ空は暗雲。
いまにもどっと雨が降りそうな気配だ。
ここからは今回初めてのショートカットお渡りコース。
大字の中山・岸田との境界にあたる辻手前の筋辻を西へ向かい大字新泉の集落に向かう。
集落南より中央の筋道を行く。
そして、中央の辻からは東へ向きを換える。
つい1時間20分ほど前に新泉の人たちが出発した集落を大行列が通り抜ける。
こういうことは初めてだ。
新泉の人たちには伝わっていたのであろう、住民たちは今か、今かと待ちかねていた。
迎えに拍手することもなかった大行列は黙々と練り歩く。
2時間ほど前はぐらりと感じた地震。
その場でY婦人が見ていた。
何年か前まで、数年間も務めた新泉の翁役の男性も自宅前で迎えていた。
時間短縮の迂回コースは特別なコース。
今回、初めて取り入れたコース設定である。
二度目はあるのか、ないのか天候に悩ませる大行列。
これも記録と思ってシャッターを押していた。
東に向かった行列の先頭は、再び上街道に戻って北上する。
威風堂々とした姿で街道をゆく。
出発した一の鳥居を潜って大和神社に戻ってきた。
およそ一時間のお渡りであった。
戻ってきた行列はここで一旦は解散。
これよりは大字中山が主になるお旅所祭が行われる。
歯定神社、若宮社に出向くのは頭人とトーニンゴだけになる。
昨年の大雨はそうされたと聞くが、今年はやや小雨。
小雨決行の一部斎行の特別な状況で行われる。
お旅所で奉納される兵庫の龍の口舞に新泉の翁の舞(田の実の舞とも)は中止かと思っていたが、そうではなかった。
少人数で、極端にいえば田植えの所作をする翁役だけでも、ということであったが、新泉の所作はそういうわけにはいかない。
最後に所作される「オオミタラシノカミ」である。
一人だけで樫の葉を放り投げるのは様にならない。
そう判断されて新泉の一行は全員が揃ってお旅所に向かった。
歯定神社での神事が始まったのは午後3時50分ころだった。
ほぼ例年と変わらないような時間帯である。
晴天であれば広場で大字ごとに昼食をされるが、今回は雨天で中止。
その時間がなかったというようなものだ。
粛々と行われる大字中山の神事。
次は、大字ごとに頭人とトーニンゴが拝礼をする。
映像を見れば判るようにこの時点においても雨は降っていた。
続いて行われたのは兵庫の龍ノ口舞である。
本来であればこの場に二つの神輿がある。
ところが今回は雨天一部決行。
増御子(ますみこ)社神輿も本社神輿は渡御されなかったのである。
後に聞いた話しによれば両神輿とも分霊遷しはされなかったようだ。
と、いうことはお渡りしたそのときの神輿は神さんが居なかったのである。
それはともかく、次に行われたのは中山の行事。
各大字が寄せるお供えの返しをする。
その次はチンマキ投げだ。
本来はこれら中山の行事が終わってから龍ノ口の舞になるのだが、例年と違う行程でとまどうばかりであった。
引き続いて行われる新泉の奉納は翁の舞(田の実の舞とも)だ。
新泉の人たちが並ぶ。
一人が前にでる。
所作の主役になる田楽役は翁役なのだ。
竹の皮で作られた円形の田植笠を左手に持って頭に翳す。
右手でもつ鋤で田を耕す。
上下にスジを切るような鋤の作法。
水はけをよくする溝を切っているような作法である。
2スジ掘って鋤を振り上げて肩のほうに上げる。
2回された所作、それは麦作と稲作の2毛作を表しているのではないだろうか。
その所作を終えて半切り型の桶(コシキとも)に入れていた樫の葉を新泉の座中に配る。
円陣を組んで一握りずつ樫の葉を手に持って一斉に頭上に放り投げる。
その際に「オオミタラシ(大御手洗)ノカミー ワー」と唱和して放り投げるのだ。
翁の舞(田の実の舞とも)と称される所作であるが、この葉は雨を現わしているそうだ。
農作に必要な雨乞いだともいうから豊作予祝の作法であろう。
これまで何年間も亘って翁役の所作をしてきたYさんが、いうには、かつて新泉には本物の翁面があったそうだ。
何年か前に頭屋を務めた長老のMさんがいうには、翁は樫の葉を放り投げるときも被っていたと話していた。
平成22年に訪れたときに聞いた話しである。
その翁面は白木の面だったようだ。
小さな穴が開いた翁の面。
見えにくいながらも所作をしたと話していたMさん。
いつしか被らなくなった翁面は大和神社に納めたようだと話していた。
実は何年間も亘って県教委がちゃんちゃん祭の詳細調査をしてきた。
実態は過去をも含めて事実関係を掘り起こそうと調査していた。
この翁面も調査されたが、結局は見つけることができなかった。
行方不明になっただけに事実関係の一切が判らなくなったとYさんが云った現実が悲しい。
お旅所の祭典が終わって解散、ではなく還幸祭が行われる大和神社に戻る関係者。
相席で乗ってきた車に分乗して戻っていった。
大字岸田が常持の白馬、黒馬の神馬(しんめ)奉納があったのかどうかは聞かずじまいだった。
還幸神事は例年より30分程度早いかもしれない。
成願寺が供えた牛の舌餅をいただく兵庫の二人も来ていた。
いつもの顔ぶれである。
拝殿南側で立って楽奏する4人。
龍笛、笙、篳篥で雅楽を奏でる楽人たち。
うち一人は顔馴染みだ。
しかも天理市民ではなく大和郡山市民。
矢田町に住むTさんは長年に亘って楽人を務めている。
地元矢田町に鎮座する矢田坐久志玉比古神社の祭礼にも楽奏される。
呼び出された頭人、トーニンゴたちは昇殿してお祓いを受ける。
拝殿を降りてしばらくしてからだ。
これまで何度も拝見してきたが、これは何だと思ったのが拝殿柱に括り付けた幣である。
今年だけそうなのか、それとも例年の形式であるのか、不明だが、その場に男性が手を差し出した。
年預総代はその幣を括っていた紐を解いて手を出した男性に幣を手渡す。
男性は兵庫の特別な人だった。
特別な人はかつて勅使を受け入れていた特定家の両家。
史料によれば天皇(おそらく勅使)が大和神社の神事を見にこられたときに付き添った華族、公家が宿泊した両家だったようだ
両家は成願寺が奉納した牛の舌餅も貰い受ける。
牛の舌餅を貰うのはこと特定家と大字岸田だけである。
ちゃんちゃん祭のラストを飾る奉納所作がある。
お旅所で披露された龍ノ口の舞と翁の舞である。
このときの時間は午後5時50分直前だった。
大字兵庫の龍頭と龍尾を所作する子どもたちは拝殿に登った。
そこで演じる龍ノ口の舞。
何度か訪れて拝見してきた〆の奉納であるが、拝殿上で所作をするのは初めてだ。
続けて所作される新泉の人たち。
拝殿前の場に登場する。
所作の場は替わっていない。
お旅所で所作された笠を被るような格好で鋤の所作と樫の葉を放り投げる。
雨とされる葉が舞い落ちるのは雨乞いの所作で締められた。
すべての行事を終えた人たちはそれぞれ大字へ戻っていく。
午後6時前、例年なら午後6時30分~40分ころに終えるが、それより30分以上も前に終わった。
雨天対応の午後の半日。
ちゃんちゃん祭りはこうして特別な方法で終えた。
通算で費やした歩行時間は1時間半。
移動した距離は5.2cm。
歩行数が8226。
1万歩も歩いていなかったが、私的には心臓リハビリ運動として有効的だったと思う。
(H28. 4. 1 EOS40D撮影)