15年ぶりに顔を合わせた男3人。
離れ離れであるから滅多に合うことはない。
宮城県の仙台からは二男が三重県の鈴鹿からは三男が集まった地は兵庫県の神戸有馬のダイヤモンドソサエティ。
昨年はおふくろと長男夫婦だけだった有馬の地。
子供の頃はイケメンだった二男に可愛い顔していた三男。
今でもそう思っているかーさん。
それから40年近くもなればただのおっさんはだんご三兄弟。
顔つきがほとんど変わらないぐらいになったおっさんの姿である。
おふくろが住んでいるのは大阪の住之江。
三兄弟が育った故郷は大和川。
ドロドロになっていた川は河川工事でずいぶんとましになったが、いつまで経っても護岸工事をしているように感じる。
我が家を出発して40分余り。第二阪奈有料道路、阪神高速を利用すればあっと言う間に着いてしまう。
おふくろを乗せて再出発したのは12時50分だ。
再び阪神高速に乗る。
目指すは大阪の池田。
いきなり降りてきたジェット機が高速道路をかすめる。
思わず頭を下げたかーさん。
市街地にある大阪空港付近と通過するときに遭遇する。
飛行場のない奈良県では見慣れない風景である。
池田から誘導されるように進入した中国自動車道。
第二阪奈有料道路も阪神高速も現金扱いだが中国自動車道だけはクレジットカードが利用できる。
ここでも第二阪奈道路と同じように軽自動車料金の650円。
料金体系助けられて出たのは西宮北料金所。
阪神高速の住之江からおよそ45分で到着だ。
ここから有馬までは地道。
見慣れた道路や飲食店。
信号を右折して川沿いの上流へ。
ソサエティに行くまでに用をたすスーパーはmandai西宮山口店。
スーパーmandaiは奈良県内にもあるお店だ。
大和郡山市には小泉駅前店がある。
そことは大きな違いの広いスペースに陳列された商品の豊富さがまったく違う。
昨年もここで買い求めた夜食の買出し。
スーパーmandaiの前身は万代百貨店(昭和37年に万代油脂工業株式会社から分離創業)。
「いちでまんだい じゅうでまんだい ひゃくでまんだい せんでまんだい まんで まんだーい ひゃっかてん」のベタなコマーシャルが懐かしい。
万代百貨店といえば大阪住吉帝塚山にあった万代池(まんだいいけ)。
手漕ぎボートに乗って底にあったカラス貝を手探りで探したことを覚えている。
42年前のことだ。
中学生時代に男友達と一緒に自転車を漕いではるばる出かけた万代池。
学生帽を被っていたことまで覚えている。
その帽子は白かった。
夏の様相であったと思う。
万代池と万代百貨店が関係あったのか、なかったのか未だ判らず、である。
チェックインを済ませてそれぞれの泊まり部屋に案内されて落ち着く間もなく有馬温泉街に向かう。
今夜の食事処となる「あり釜めしくつろぎ家」へは徒歩で何分かかるかどうかの下見である。
軽自動車でも難しい有馬の道。
雪国稲荷大明神を祀る神社がある辻角を曲がる。
創建が明治40年であるからそれほど古くないが有馬の街の入り口に建之するのは門ノ切の守護神。
かつては射場山中腹に鎮座する有馬稲荷大明神の神託を受けて上之町に勧請したそうだ。
そこから少し下れば愛宕神社の社が見られる。
覆い屋下にある社はどうみても山車である。
唐破風屋根、獅子噛、車板、枡合など地車特有の彫り物がある。
おそらく綱で曳いていただんじりを神社として固定化したのであろう。
だんじりの幅、大きさは上之町の街道を曳く丁度良い形のように思える愛宕神社は昭和参年八月の建之。
経緯は判らないが愛宕神社は町の防火。
火伏せの神さんとして崇めているのであろう。
さらに下ればまたもや神社があった。
そこには縄のれんのような形の注連縄が掛けてあった。
七、五、三の注連縄でもないようでもなくそれぞれ2本ずつ垂らして下部は藁筋を広げている。
気にかかったので撮っておいた妬(うわなり)泉源の妬神社。
湯は枯れたが建之して祀っている。
ここからは御泉街の情景。
有馬人形筆の店や新しいkinariとんぼ玉の店が立ち並ぶ。
有馬名物炭酸煎餅を焼く店や松茸昆布店もある。
さらに下れば人気の足湯。
観光客で湯はいっぱいになっている。
以前も入館した有馬玩具博物館を左手にあがる。
金の湯を通りすぎて着いたのが「あり釜めしくつろぎ家」だ。
ソサエティから歩いて10分ほどの距離である。
車の通行が難しい御泉の車道だが1時間で300円の一般駐車場もある。
予約を確かめておいたくつろぎ家。
大家族が揃って会食する店は旅館と思わせるような佇まいだ。
有馬への旅が決まったことから探し出したお店に前もって電話で予約しておいた。
何度も何度もかけた電話は呼び鈴が鳴っても出なかった。
数日間外してやっとかかった。
間違いなくこの店である。
兄弟は酒を飲みたいから車でなく徒歩。
それを確かめた下見の散歩。
戻りは渓谷を思わせるような有馬川に沿った道。
これが実に急な坂である。
途中でなんども一服するかーさん。
おふくろは昭和元年生まれの87歳。
二男の孫は7カ月。
雪がちらつく冷たい風が吹く有馬では辛かろうと思って相談する。
先に風呂をよばれていた三男が曰く、それはないだろうと却下された車の利用。
一台だけでもと思って合い乗りも考えたが・・・。
仙台から12時間かけてやってきた二男。
少しの睡眠と入浴で身体が戻った。
「酒を飲みたいから歩いていきたい」の一言で出発したのである。
表玄関からは想像できない「あり釜めしくつろぎ家」。
狭い階段を上がって案内されたお部屋は座敷。
ガラス戸の風情と外の風情が一致しない。
予め注文していた「湯けむり蒸し」は2600円。
神戸肉がたっぷり盛られた蒸し器の下には野菜もたくさんある。
ヘルシーがうたい文句の一品メニューに300円を追加すれば釜炊白飯がミニくつろぎ釜飯になる。
ミニといっても侮れない。
椀に三杯もある量だ。
淡路島周辺で獲れた魚介類が盛りだくさん。
蒸し神戸肉ができあがるは釜飯も炊きあがっているはでどちらにいくか箸が悩む。
我が家が勢ぞろいした宴席は瓶ビールで乾杯。
すき焼きの鉄鍋を小型にしたような鉄板に水が入っている。
店員さんが火を点けてじゅうじゅう。
煮たってくれば2段の蒸し器を置く。
2段といっても上段は蓋だ。
5分間待って出来あがった神戸肉の蒸し料理は野菜も含めてとても美味しい。
タレはポン酢でしょうか。
もう一つは胡麻タレだ。
どちらを選ぶかは食べる人任せ。
必然的に選んだ胡麻タレは牛肉だ。
これが美味しくて箸がすすむ。
野菜はポン酢のほうに味わいがあって美味かった。
釜飯といえば具材である。
明石のタコかどうか判らないが淡路島周辺で獲れた魚は鯛もある。
さすがに鮭は違うだろう。
釜飯には香りつけに山菜もあったが味は薄め。
食べてもコクがないと感じた釜飯である。
吸い物はワカメでしょうか。
香の物も付いている程度でデザートと呼ばれていた和菓子はソサエティにもあった同じ金泉焼のモチだった。
「あり釜めしくつろぎ家」で2時間弱も過ごした寛ぎの団らんは積もる話も盛りだくさんだった。
支払いは飲み物も入れて3万円を切った9人分。
ソサエティで食べるよりも遥かに安くついた。
ご満悦の夜は歩いて帰る組とタクシー組に分かれた。
19時も過ぎれば観光客はいないだろうと思っていたがそうではなかった。
さすがに足湯はだれもいないが日帰り御泉の金の湯(入浴料650円)に浸かる人も少なくない。
午後10時まで営業している。
ソサエティに戻ったら飲みなおし。
スーパーmandaiで買出ししておいた料理をテーブルに広げる。
造りはブリ、サーモン、めばちマグロの3品。
合計で千円だ。
298円のさばのきずしも買っておいたがそこまでいかない。
ではとパックを開けたポン酢付きの若鶏モモ焼きは298円。
レンジで温めたいが室内にはそれがない。
金麦の発泡酒をぐいぐい。
会話も酒も弾けるのである。
この日は二男の定年満了や孫の誕生、息子の卒業の祝いの日。
目出度い日に昔話も展開する。
お互いの白髪頭を身合わす姿。
歳がいけば同じような顔立ち。
まるでだんご3兄弟と女性陣が笑う。
399円のお魚やさんの玉子焼きも美味かった。
お腹が空いていればもっと美味しく感じたであろう。
時間が経てばお腹も空くだろうと買っておいた煮こみ穴子の美味しい巻き寿司はあっという間になくなった。
これも399円でお買い得。
子供が食べたらいいだろうと買っておいたレタスたっぷりのエビチリは298円。
これも美味い。
女性にはサンドイッチもと買っておいたスペシャルBOXは278円。
半分残した。
若鶏のモモ竜田揚げは336円。
これも半分残した。
178円の穂先竹の子の土佐煮や190円の野菜たっぷりポテトもまるまる残した。
漬けものもいるだろうと思って買った198円のナス漬け、105円のキュウリ漬けは手がいかず。
「こんなぎょうさん食べられるわけないだろう」と云われたが・・・。
3.11の東日本大震災で大きな被害を受けた。
山形に出張していた二男は仙台の家族と連絡がとれなかった。
ほどなく合流することができた自宅も損壊。
何週間も日々を暮らした食べ物はコメばかり。
いつ何時食べることができなくなると思って暮らしたそうだ。
飢餓のような気分で送る毎日だったと話す。
それほどであったのか・・・。
おかずが無い毎日。
コメ、コメである。
そのおかげか、定年退職後の運動不足も繋がって身体は膨らみぎみ。
話も膨らんで有馬の夜がふけていく。
(H25. 3. 2 SB932SH撮影)
離れ離れであるから滅多に合うことはない。
宮城県の仙台からは二男が三重県の鈴鹿からは三男が集まった地は兵庫県の神戸有馬のダイヤモンドソサエティ。
昨年はおふくろと長男夫婦だけだった有馬の地。
子供の頃はイケメンだった二男に可愛い顔していた三男。
今でもそう思っているかーさん。
それから40年近くもなればただのおっさんはだんご三兄弟。
顔つきがほとんど変わらないぐらいになったおっさんの姿である。
おふくろが住んでいるのは大阪の住之江。
三兄弟が育った故郷は大和川。
ドロドロになっていた川は河川工事でずいぶんとましになったが、いつまで経っても護岸工事をしているように感じる。
我が家を出発して40分余り。第二阪奈有料道路、阪神高速を利用すればあっと言う間に着いてしまう。
おふくろを乗せて再出発したのは12時50分だ。
再び阪神高速に乗る。
目指すは大阪の池田。
いきなり降りてきたジェット機が高速道路をかすめる。
思わず頭を下げたかーさん。
市街地にある大阪空港付近と通過するときに遭遇する。
飛行場のない奈良県では見慣れない風景である。
池田から誘導されるように進入した中国自動車道。
第二阪奈有料道路も阪神高速も現金扱いだが中国自動車道だけはクレジットカードが利用できる。
ここでも第二阪奈道路と同じように軽自動車料金の650円。
料金体系助けられて出たのは西宮北料金所。
阪神高速の住之江からおよそ45分で到着だ。
ここから有馬までは地道。
見慣れた道路や飲食店。
信号を右折して川沿いの上流へ。
ソサエティに行くまでに用をたすスーパーはmandai西宮山口店。
スーパーmandaiは奈良県内にもあるお店だ。
大和郡山市には小泉駅前店がある。
そことは大きな違いの広いスペースに陳列された商品の豊富さがまったく違う。
昨年もここで買い求めた夜食の買出し。
スーパーmandaiの前身は万代百貨店(昭和37年に万代油脂工業株式会社から分離創業)。
「いちでまんだい じゅうでまんだい ひゃくでまんだい せんでまんだい まんで まんだーい ひゃっかてん」のベタなコマーシャルが懐かしい。
万代百貨店といえば大阪住吉帝塚山にあった万代池(まんだいいけ)。
手漕ぎボートに乗って底にあったカラス貝を手探りで探したことを覚えている。
42年前のことだ。
中学生時代に男友達と一緒に自転車を漕いではるばる出かけた万代池。
学生帽を被っていたことまで覚えている。
その帽子は白かった。
夏の様相であったと思う。
万代池と万代百貨店が関係あったのか、なかったのか未だ判らず、である。
チェックインを済ませてそれぞれの泊まり部屋に案内されて落ち着く間もなく有馬温泉街に向かう。
今夜の食事処となる「あり釜めしくつろぎ家」へは徒歩で何分かかるかどうかの下見である。
軽自動車でも難しい有馬の道。
雪国稲荷大明神を祀る神社がある辻角を曲がる。
創建が明治40年であるからそれほど古くないが有馬の街の入り口に建之するのは門ノ切の守護神。
かつては射場山中腹に鎮座する有馬稲荷大明神の神託を受けて上之町に勧請したそうだ。
そこから少し下れば愛宕神社の社が見られる。
覆い屋下にある社はどうみても山車である。
唐破風屋根、獅子噛、車板、枡合など地車特有の彫り物がある。
おそらく綱で曳いていただんじりを神社として固定化したのであろう。
だんじりの幅、大きさは上之町の街道を曳く丁度良い形のように思える愛宕神社は昭和参年八月の建之。
経緯は判らないが愛宕神社は町の防火。
火伏せの神さんとして崇めているのであろう。
さらに下ればまたもや神社があった。
そこには縄のれんのような形の注連縄が掛けてあった。
七、五、三の注連縄でもないようでもなくそれぞれ2本ずつ垂らして下部は藁筋を広げている。
気にかかったので撮っておいた妬(うわなり)泉源の妬神社。
湯は枯れたが建之して祀っている。
ここからは御泉街の情景。
有馬人形筆の店や新しいkinariとんぼ玉の店が立ち並ぶ。
有馬名物炭酸煎餅を焼く店や松茸昆布店もある。
さらに下れば人気の足湯。
観光客で湯はいっぱいになっている。
以前も入館した有馬玩具博物館を左手にあがる。
金の湯を通りすぎて着いたのが「あり釜めしくつろぎ家」だ。
ソサエティから歩いて10分ほどの距離である。
車の通行が難しい御泉の車道だが1時間で300円の一般駐車場もある。
予約を確かめておいたくつろぎ家。
大家族が揃って会食する店は旅館と思わせるような佇まいだ。
有馬への旅が決まったことから探し出したお店に前もって電話で予約しておいた。
何度も何度もかけた電話は呼び鈴が鳴っても出なかった。
数日間外してやっとかかった。
間違いなくこの店である。
兄弟は酒を飲みたいから車でなく徒歩。
それを確かめた下見の散歩。
戻りは渓谷を思わせるような有馬川に沿った道。
これが実に急な坂である。
途中でなんども一服するかーさん。
おふくろは昭和元年生まれの87歳。
二男の孫は7カ月。
雪がちらつく冷たい風が吹く有馬では辛かろうと思って相談する。
先に風呂をよばれていた三男が曰く、それはないだろうと却下された車の利用。
一台だけでもと思って合い乗りも考えたが・・・。
仙台から12時間かけてやってきた二男。
少しの睡眠と入浴で身体が戻った。
「酒を飲みたいから歩いていきたい」の一言で出発したのである。
表玄関からは想像できない「あり釜めしくつろぎ家」。
狭い階段を上がって案内されたお部屋は座敷。
ガラス戸の風情と外の風情が一致しない。
予め注文していた「湯けむり蒸し」は2600円。
神戸肉がたっぷり盛られた蒸し器の下には野菜もたくさんある。
ヘルシーがうたい文句の一品メニューに300円を追加すれば釜炊白飯がミニくつろぎ釜飯になる。
ミニといっても侮れない。
椀に三杯もある量だ。
淡路島周辺で獲れた魚介類が盛りだくさん。
蒸し神戸肉ができあがるは釜飯も炊きあがっているはでどちらにいくか箸が悩む。
我が家が勢ぞろいした宴席は瓶ビールで乾杯。
すき焼きの鉄鍋を小型にしたような鉄板に水が入っている。
店員さんが火を点けてじゅうじゅう。
煮たってくれば2段の蒸し器を置く。
2段といっても上段は蓋だ。
5分間待って出来あがった神戸肉の蒸し料理は野菜も含めてとても美味しい。
タレはポン酢でしょうか。
もう一つは胡麻タレだ。
どちらを選ぶかは食べる人任せ。
必然的に選んだ胡麻タレは牛肉だ。
これが美味しくて箸がすすむ。
野菜はポン酢のほうに味わいがあって美味かった。
釜飯といえば具材である。
明石のタコかどうか判らないが淡路島周辺で獲れた魚は鯛もある。
さすがに鮭は違うだろう。
釜飯には香りつけに山菜もあったが味は薄め。
食べてもコクがないと感じた釜飯である。
吸い物はワカメでしょうか。
香の物も付いている程度でデザートと呼ばれていた和菓子はソサエティにもあった同じ金泉焼のモチだった。
「あり釜めしくつろぎ家」で2時間弱も過ごした寛ぎの団らんは積もる話も盛りだくさんだった。
支払いは飲み物も入れて3万円を切った9人分。
ソサエティで食べるよりも遥かに安くついた。
ご満悦の夜は歩いて帰る組とタクシー組に分かれた。
19時も過ぎれば観光客はいないだろうと思っていたがそうではなかった。
さすがに足湯はだれもいないが日帰り御泉の金の湯(入浴料650円)に浸かる人も少なくない。
午後10時まで営業している。
ソサエティに戻ったら飲みなおし。
スーパーmandaiで買出ししておいた料理をテーブルに広げる。
造りはブリ、サーモン、めばちマグロの3品。
合計で千円だ。
298円のさばのきずしも買っておいたがそこまでいかない。
ではとパックを開けたポン酢付きの若鶏モモ焼きは298円。
レンジで温めたいが室内にはそれがない。
金麦の発泡酒をぐいぐい。
会話も酒も弾けるのである。
この日は二男の定年満了や孫の誕生、息子の卒業の祝いの日。
目出度い日に昔話も展開する。
お互いの白髪頭を身合わす姿。
歳がいけば同じような顔立ち。
まるでだんご3兄弟と女性陣が笑う。
399円のお魚やさんの玉子焼きも美味かった。
お腹が空いていればもっと美味しく感じたであろう。
時間が経てばお腹も空くだろうと買っておいた煮こみ穴子の美味しい巻き寿司はあっという間になくなった。
これも399円でお買い得。
子供が食べたらいいだろうと買っておいたレタスたっぷりのエビチリは298円。
これも美味い。
女性にはサンドイッチもと買っておいたスペシャルBOXは278円。
半分残した。
若鶏のモモ竜田揚げは336円。
これも半分残した。
178円の穂先竹の子の土佐煮や190円の野菜たっぷりポテトもまるまる残した。
漬けものもいるだろうと思って買った198円のナス漬け、105円のキュウリ漬けは手がいかず。
「こんなぎょうさん食べられるわけないだろう」と云われたが・・・。
3.11の東日本大震災で大きな被害を受けた。
山形に出張していた二男は仙台の家族と連絡がとれなかった。
ほどなく合流することができた自宅も損壊。
何週間も日々を暮らした食べ物はコメばかり。
いつ何時食べることができなくなると思って暮らしたそうだ。
飢餓のような気分で送る毎日だったと話す。
それほどであったのか・・・。
おかずが無い毎日。
コメ、コメである。
そのおかげか、定年退職後の運動不足も繋がって身体は膨らみぎみ。
話も膨らんで有馬の夜がふけていく。
(H25. 3. 2 SB932SH撮影)