奈良県の平たん部で苗代作りをされ始める地域で最も早いと思っている地域がある。
地域と云っても、集落すべての家がそうであるかといえば、そうでない。
ある特定の家がそうなのだ。
村行事の取材をきっかけに数年前から訪れるようになった旧五ケ谷村の一地域。
村の後背にあたる山間地に高速道が走る。
昭和44年に全線が開通した西名阪自動車道である。
奈良県・天理ICから三重県・亀山ICを結ぶ大動脈は国道25号線のバイパスとして供用された。
今年の桜開花はとても早かった。
例年ならまだまだ感の村の桜も全開。
その桜の下に苗代田がある。
この日は村の神社で長老ら八人衆たちが節句行事をしていたが参拝者は皆無だった。
昔は村神主がせっせと自宅で作っていたヨモギのヒシモチ。
手間がかかる作り手作業は業者に移管して現在に至る。
取材を終えからI家の水口マツリの様相を見に行く。
この日は出かけているらしく呼び鈴押しても反応がなかった。
翌々日にも訪れたI家のおばあさん。
病院に行っていたという。
不在だったので勝手に撮らせてもらっていたと伝えたら、苗代田に行くという。
「このとおり、杖がいるようになってな」、という。
85歳のIさん。
口は達者やけど、大丈夫やろか。
今年は4月1日に苗代つくりをしていたという。
例年が日曜日。
孫らもいるからできる苗代つくりにイロバナを飾ってウルシ棒に挟んだごーさん札を立てたIさん。
この日は写真家のKさんも同行。
なんぼでも撮ってくれていいで、といつもありがたい言葉に甘える。
水口の両脇にそのときおりのイロバナを添える。
黄色のラッパスイセンが目立っているが、ツバキは必須である。
右にあるのはごーさん札。
ウルシ棒に挟んでいる。
左にあるのは松苗。
正月前にせっせと村神主に長老ら八人衆らが作った。
護符に松苗を神社に奉って年初に村の安寧と子孫繁栄を祈る。
行事は正月二日であるが、松苗は青々だ。
3カ月間の保存状態が実に素晴らしい。
地区は違うが、先だってある人に聞いた鮮度の保ち方。
毎日の水替えが大切なんよ、と云っていた。
その方は、水道水ではなく「井戸水でしてますねん」・・と云っていた。
新聞チラシと思われる紙の中身が気にかかる。
えっ、ここにあったの。
フライパンで煎ったと想定できるハゼコメ(爆ぜ米)は両方にある。
後日に聞いたこれは両方とも種籾。
粳米はヒノヒカリ。
もう一つは糯米のアサヒモチ。
稲作は粳に餅の2種をしていると聞いたが、左右どっちがそれであるのか聞きそびれた。
ただ、糯米を煎った場合はポップコーンのように爆発的爆ぜ状態であるから、これは粳米のような気がする。
2日後の5日。
鳥獣の餌食にならず、ハゼコメはこの日もあった。
傍には土筆がにょきっと直立していた。
しばらく話していたIさんの出里は大慈仙らしい。
母親はショッピンセンターたけよしが近くにある都祁白石のT家。
夏場の葬儀は暑くてまいった、と話していたIさん。
要介護の身とは思えない身の軽さ。
杖さえもっていくのを忘れるくらい元気な様子。
おふくろもIさんのような具合だったらいいのだが・・。
ちなみに苗代の場である。
かつては下の方にあった畑を苗代にしていたが、自宅からより近い処に望んでいた。
地道だった家の前の道。
アスファルト舗装に切り替えた際に、道を拡げるために畑を切り崩した。
一段高い畝があった、という向こう側が苗代。
谷から流れる清い水。
パイプを引いて苗代に注ぐようにしたそうだ。
宮さん御供のヨモギのヒシモチで思い出されたヨモギ団子。
春になってヨモギの若葉がでたときに作っていたヨモギ団子。
粳米に糯米。
7;3の割合、若しくは6;4の割合にヨモギを混ぜて作るヨモギ団子。
丸めた団子を椿の葉にのせて蒸す。
先、軸のある葉の両端は切り取った椿の葉。
遅い時季のときは、椿の葉の代用にサンキラの葉を利用。
できた葉のせヨモギ団子は、向こう隣に作ってはあげていた。
サンキラの葉はサルトリイバラ。
イバラとも呼んでいたサンキラの葉にあんこ餅を包んで食べていた、というのはおふくろ。
遠い昔の記憶に、ふと話してくれたことがある。
その団子は「火打ち団子」とも・・。
青い実食べとった、というサンキラの話題に竹で作った酒入れの「ゴンゴ」。
山行きに供える酒の「ゴンゴ」。
米も包んで枝にかけてから出かけていたという日は1月7日。
その様相は、まさに山の神参りのあり方。
これもって帰り、とくださった採れたての水菜。
瑞々しい水菜は今夜のおかずにいただいた。
(H30. 4. 3 EOS7D撮影)
(H30. 4. 5 EOS7D撮影)
地域と云っても、集落すべての家がそうであるかといえば、そうでない。
ある特定の家がそうなのだ。
村行事の取材をきっかけに数年前から訪れるようになった旧五ケ谷村の一地域。
村の後背にあたる山間地に高速道が走る。
昭和44年に全線が開通した西名阪自動車道である。
奈良県・天理ICから三重県・亀山ICを結ぶ大動脈は国道25号線のバイパスとして供用された。
今年の桜開花はとても早かった。
例年ならまだまだ感の村の桜も全開。
その桜の下に苗代田がある。
この日は村の神社で長老ら八人衆たちが節句行事をしていたが参拝者は皆無だった。
昔は村神主がせっせと自宅で作っていたヨモギのヒシモチ。
手間がかかる作り手作業は業者に移管して現在に至る。
取材を終えからI家の水口マツリの様相を見に行く。
この日は出かけているらしく呼び鈴押しても反応がなかった。
翌々日にも訪れたI家のおばあさん。
病院に行っていたという。
不在だったので勝手に撮らせてもらっていたと伝えたら、苗代田に行くという。
「このとおり、杖がいるようになってな」、という。
85歳のIさん。
口は達者やけど、大丈夫やろか。
今年は4月1日に苗代つくりをしていたという。
例年が日曜日。
孫らもいるからできる苗代つくりにイロバナを飾ってウルシ棒に挟んだごーさん札を立てたIさん。
この日は写真家のKさんも同行。
なんぼでも撮ってくれていいで、といつもありがたい言葉に甘える。
水口の両脇にそのときおりのイロバナを添える。
黄色のラッパスイセンが目立っているが、ツバキは必須である。
右にあるのはごーさん札。
ウルシ棒に挟んでいる。
左にあるのは松苗。
正月前にせっせと村神主に長老ら八人衆らが作った。
護符に松苗を神社に奉って年初に村の安寧と子孫繁栄を祈る。
行事は正月二日であるが、松苗は青々だ。
3カ月間の保存状態が実に素晴らしい。
地区は違うが、先だってある人に聞いた鮮度の保ち方。
毎日の水替えが大切なんよ、と云っていた。
その方は、水道水ではなく「井戸水でしてますねん」・・と云っていた。
新聞チラシと思われる紙の中身が気にかかる。
えっ、ここにあったの。
フライパンで煎ったと想定できるハゼコメ(爆ぜ米)は両方にある。
後日に聞いたこれは両方とも種籾。
粳米はヒノヒカリ。
もう一つは糯米のアサヒモチ。
稲作は粳に餅の2種をしていると聞いたが、左右どっちがそれであるのか聞きそびれた。
ただ、糯米を煎った場合はポップコーンのように爆発的爆ぜ状態であるから、これは粳米のような気がする。
2日後の5日。
鳥獣の餌食にならず、ハゼコメはこの日もあった。
傍には土筆がにょきっと直立していた。
しばらく話していたIさんの出里は大慈仙らしい。
母親はショッピンセンターたけよしが近くにある都祁白石のT家。
夏場の葬儀は暑くてまいった、と話していたIさん。
要介護の身とは思えない身の軽さ。
杖さえもっていくのを忘れるくらい元気な様子。
おふくろもIさんのような具合だったらいいのだが・・。
ちなみに苗代の場である。
かつては下の方にあった畑を苗代にしていたが、自宅からより近い処に望んでいた。
地道だった家の前の道。
アスファルト舗装に切り替えた際に、道を拡げるために畑を切り崩した。
一段高い畝があった、という向こう側が苗代。
谷から流れる清い水。
パイプを引いて苗代に注ぐようにしたそうだ。
宮さん御供のヨモギのヒシモチで思い出されたヨモギ団子。
春になってヨモギの若葉がでたときに作っていたヨモギ団子。
粳米に糯米。
7;3の割合、若しくは6;4の割合にヨモギを混ぜて作るヨモギ団子。
丸めた団子を椿の葉にのせて蒸す。
先、軸のある葉の両端は切り取った椿の葉。
遅い時季のときは、椿の葉の代用にサンキラの葉を利用。
できた葉のせヨモギ団子は、向こう隣に作ってはあげていた。
サンキラの葉はサルトリイバラ。
イバラとも呼んでいたサンキラの葉にあんこ餅を包んで食べていた、というのはおふくろ。
遠い昔の記憶に、ふと話してくれたことがある。
その団子は「火打ち団子」とも・・。
青い実食べとった、というサンキラの話題に竹で作った酒入れの「ゴンゴ」。
山行きに供える酒の「ゴンゴ」。
米も包んで枝にかけてから出かけていたという日は1月7日。
その様相は、まさに山の神参りのあり方。
これもって帰り、とくださった採れたての水菜。
瑞々しい水菜は今夜のおかずにいただいた。
(H30. 4. 3 EOS7D撮影)
(H30. 4. 5 EOS7D撮影)