撮影したのは1月25日であるが、本日28日の午後2時に開通した。
当地へ越して来て早やくもないが、30年以上も経って、ようやく開通した石木-城線。
奈良市の石木町から南の大和郡山市城町を結ぶ幹線道路である。
幹線道路の用途はもともと奈良市の押熊町にまで延ばす計画であった。
土地買収の課題もあったが、周辺道路の拡張や新路線の開通によって、これまで難儀していた渋滞があっさりと消えてしまった。
路線は必要としなかったが、新しく建てられる奈良県立病院の移転先が決まったことで、方針は大転換された。
奈良県立病院は4月に移転、5月1日に開院する段階で名称は奈良県総合医療センターに生まれ変わる。
幹線道は新設する病院導入路でもあるし、富雄川沿いに走る道路にも繋げる幹線道路は大和中央道のバイパスのようなものだと思う地元住民である。
これまで見たことのないような景観になった。
過去の映像は記憶が霞んでしまうほどのぶっとび変容であるが、慣れるのは数日であろう。
ちなみにここは十字交差点の城町北。
幹線道路を渡るには押し釦式信号器がある。
徒歩、自転車の人は押しボタンを押して青になるのを確認するが、バイクや車は停車して左右に顔を大きく振って往来する車の動きを見なくてはならない。
停車する車を自動感知する信号器を望んでいたが、実行されないと伝わった風の便り。
事故が発生してからでは、もう遅い。
通行量を計測する予定はあるのか、ないのか・・・。
その結論は翌年の平成31年3月まで待たねばならない。
(H30. 1.25 SB932SH撮影)
当地へ越して来て早やくもないが、30年以上も経って、ようやく開通した石木-城線。
奈良市の石木町から南の大和郡山市城町を結ぶ幹線道路である。
幹線道路の用途はもともと奈良市の押熊町にまで延ばす計画であった。
土地買収の課題もあったが、周辺道路の拡張や新路線の開通によって、これまで難儀していた渋滞があっさりと消えてしまった。
路線は必要としなかったが、新しく建てられる奈良県立病院の移転先が決まったことで、方針は大転換された。
奈良県立病院は4月に移転、5月1日に開院する段階で名称は奈良県総合医療センターに生まれ変わる。
幹線道は新設する病院導入路でもあるし、富雄川沿いに走る道路にも繋げる幹線道路は大和中央道のバイパスのようなものだと思う地元住民である。
これまで見たことのないような景観になった。
過去の映像は記憶が霞んでしまうほどのぶっとび変容であるが、慣れるのは数日であろう。
ちなみにここは十字交差点の城町北。
幹線道路を渡るには押し釦式信号器がある。
徒歩、自転車の人は押しボタンを押して青になるのを確認するが、バイクや車は停車して左右に顔を大きく振って往来する車の動きを見なくてはならない。
停車する車を自動感知する信号器を望んでいたが、実行されないと伝わった風の便り。
事故が発生してからでは、もう遅い。
通行量を計測する予定はあるのか、ないのか・・・。
その結論は翌年の平成31年3月まで待たねばならない。
(H30. 1.25 SB932SH撮影)