マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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痛みがなけりゃ階段は登れる

2018年10月19日 09時45分28秒 | むびょうそくさい(おかん編)
痛みの症状はいつ出るやもしれない。

まったく発症しない日もあれば、突然のごとく背中が痛いと泣き叫ぶ場合もある。

日によっては痛みではなく痛だるいという感覚の発症もある。

これまで発症していた部位はほぼ限定しているように思えた。

痛だるい部位は右大腿骨辺り。

痛烈な痛みは右肩甲骨下辺りだ。

8月7日の午後、突然に歩けなくなった痛みは痛だるい右大腿骨であったが、前日までに過去3回もあったという強烈な痛みは胸とか背中と云っていたのが、右肩甲骨下辺りであったと見えてきた。

前夜、就寝時はまったく痛みをなくぐっすり寝た。

ところが夜中の3時頃に突然の痛み。

起き上がるのも難儀して這いつくばってトイレに向かったという。

それは朝5時過ぎにも発症した。

その間も痛みが連続する。

安眠どころではない状態だった。

そんなことを知らずに私の起床時間は朝7時。

起きて始めてしったその事実。

おかしな状態になれば2階で寝ているかーさんに何故緊急携帯電話をしなかったのか。

待っておれば和らぐと思っていたらしい。

できうる限り我慢してしまうおふくろである。

とにかく起き上がれないおふくろを後ろから羽交い締めするような恰好で抱えた。

膝は動くのか。

なんとか身体を抱えてソファに移す。

このときの身体は横臥ではなく正面に座するという感じだ。

とにかく寝返りも困難だった身体をソファに座った瞬間に痛みが消えた。

独りで立ってつたい歩きでトイレに行く。

傷みはないというが、大腿骨が痛だるいとも・・・。

不定期に出現する症状は痛い、痛だるい、まったくないという状況を繰り返す。

それも起伏が激しいほどの痛みに辛い、ツライと云っていた状況が一転して回復して朗らかな表情になる。

その時間が長くなるほど家に戻っていたいと思い始める。

本日はとにかくこっちが勝手に予想していたお盆休診明けの日。

2カ月前に倒れて診察してもらった大阪住之江の浜口にある須見整形外科へ電話する。

予想通りの休診明け日と判断していた通りであった。

前もって確かめるが、この日も渋滞に巻き込まれる可能性が消えたわけじゃない。

走ってみなけりゃわからない阪神高速道路である。

ガソリンも補給して満タン状態にしたスズキエブリイジョインターボ。

朝9時半に入った第二阪奈道路の中町ランプ。

そのまま走れば阪神高速道路に突入する。

前回の10日の高速道路は水走辺りでもう渋滞。

この日はスイスイ。

荒本料金所前までは渋滞しているが示す距離は3km。

これならスイスイの日である。

森ノ宮辺りも渋滞であったが、難なく突破。

思っていた以上に早く着いた須見整形外科病院。

入口も待合室も診察室へもスラスラ。

傷みがまったくない診察に医師はどう判断するのだろうか。

2か月前の倒れたときの処置。

その後の状況に台風さなかの脱出劇、ではなく、階段降りにそろりそろりと車に移動。

そして着いた須見整形外科病院は台風の影響で急遽、臨時の休診日。

仕方なく友愛会病院。

そして奈良の循環器内科検査に診察。

その後も再診する友愛会病院の脳外科検査に診察。

結局はなにもなかったが、自己による歩行は困難な状態。

傷みも日々推移する状態を説明して介護認定の主治医になっていただけるか相談にのってもらう。

医師は、診断書を書かなければならんが、おふくろの身体状況については書けない老人性身体衰退病。

病といえない老人病ではどうするか・・・。

その後の診察は痛みのある個所のレントゲン。

それに並行してしなくてはならない内科医師の服用薬の処方箋。

今から行かせてもらいますとかーさんが電話で伝えて私は車を走らせる。

距離はそれほど遠くないが、信号、信号で待ち時間。

かつて知ったる畠中医院。

私が子どものころから成人するまでずっと診てくださっていた大先生がおられた医院。

今は息子さんが代を継いでいる。

受付の看護士さんも存じている。

おふくろは只今検査診断中で畠中さんには行けないが現状を伝えておきたかった。

それもあるし介護認定申請における主治医である。

それなら今すぐ先生にお話しを、と云って診察室のドアを開ける。

大先生にはお世話になっているし、いつもおふくろを診てくださってありがとうございます、である。

これまでの経緯を伝えて主治医の相談である。

そんなんであればいつでも受けるよって云ってくださる。

区役所の担当者に相談した10日から悩み続けていた主治医の選択にいとも簡単に受けてくださる。

介護認定にあたって調査員からの依頼を受けたら患者さんの状態について意見書を書くそうだ。

それが整形外科病院の医師が云っていた診断書である。

涙が出るほど嬉しくなって思わず先生の手を握る。

やっていることはいつものおふくろと同じである。

この親にして子あり、である。

今、お願いしている整形外科の医師が断わるようであれば、お願いしますと畠中医院を出る。

処方箋指示書を持って目指すは北島薬局。

大昔の場所は覚えているが、見当たらない。

急ぐのは整形外科病院の進展状況。

処方箋は後でもできる要件。

そう思って車を走らせる。

着いたら検査も診察も終わっていた。

結果は老人性骨粗しょう症。

医師からブロック注射をしましょうと云われたが、おふくろは断ったという。

ある病に陥ってそのときの医師が注射をした。

そのときに不快な思いをした。

それからは駐車に恐怖感をもつようになった。

効能がどうであれ、その事件があってからは駐車処置を受けなくなった。

そうであれば内服薬投与である。

もう一つの要件は・・・受けてくださった。

ありがたいことである。

ほっとして食事を摂る。

それから向かった先はおふくろが居住する5階建ての市営住宅。

5階建てだからエレベータはない。

階段で上り下りする。

8月6日までのおふくろはこの階段を上り下りしていた。

昔よりかは遅くなったが、息切れせずに登る。

日によっては踊り場で休憩する場合もあるが、一応のところは自力で登れる。

これが、だ。

台風5号が、やってきた日からは介助支援の要る容態になった。

診断結果に今の容態に動ける、歩ける、登れると確信したおふくろ。

現状を試してみるのも良かろうと判断してかーさんの介助で階段を登った。

それはスルスルと上がっていく。

なんのためらいもなくスルスル上がる。

行きついた先は4階の住居。

介護認定申請に必要な介護被保険者証を探す。

必要ないと判断していたおふくろの記憶にない。

どこに仕舞ったのかさっぱり思い出せずに断念である。

下ってきた二人。

特にびっくりしていたのは介助していたかーさんだ。

市営住宅の階段には手すりがある。

大昔、大ばあさんが生きていたころはその設備はなかった。

苦労して上り下りしていた大ばあさんは京都の施設で亡くなった。

最後の方は私を息子と間違えるくらいの認知症になっていた。

そんなことを思い出す階段の手すりである。

それにしても朝起床するまでは背中が痛くて起き上がれず、自力歩行も困難だったおふくろ。

一時的事象であると思うがびっくりする。

その晩、というか我が家に戻った夕方の5時。

戻ってからも落ち着いていたが、である。

突然に始まった背中の痛みに難儀する。

午後の5時ころはややマシだった。

それが7時ともなれば痛みは最高潮。

悲鳴を何度も揚げるおふくろ。

午後8時に処方箋の痛み止めを飲む。

それからしばらくは治まっていた。

食欲はなかった晩食もなんとか食べたが、就寝間近の午後10時。

またもや再来の背中の痛み。

服用した痛み止めも効かない。

座る場所を替えてソファに移動させる。

そうすると痛みはマシになった。

その後も徐々に落ち着いていくおふくろの容態。

翌朝はまたもや普通に戻っていた。

起伏激しく、回復もあれば、またもや繰り返すおふくろも辛いが、それは医者の注射を断ったからでないのか・・。

翌日に書き上げた介護認定申請書。

事情のこと細かさは書けなかったが、主治医を須見先生にさせてもらって郵送した。

その夜の10時。

背中が痛だるいという。

コウヤクというか湿布を貼ってもらうのだと、風呂上がりのかーさんを待っていた。

入浴は二日に一度。

その都度にかーさんは一緒に入浴して介助することにしている。

この様子では住之江住居の独り入浴はとてもじゃないが、無理である。

ところで傷む時期は一定でもない。

突然に痛がるのである。

それもたいがいが就寝中のようだ。

稀に昼間の場合がある。

8月19日のことだった。

炊事場に居るかーさんに向かっておふくろが呼んだ。

それと同時に身体の向きを換えた。

そのときに「イ、タタタ」と声を出した。

私が診ている限りではあるが、骨ごと捩じりをしたときに発症するようだ。

ほぼ一瞬の痛さであるが、その後はまったく出ない。

しばらくは落ち着いていたが、8月21日の午前5時である。

私は別室で寝ていたからわからなかったが、トイレに行ったようだ。

そのときに痛だる症状になったらしい。

布団の上で座ったり、すぐ横にあるソファに座ったりしていたが、痛みは消えずにいたが、マシになるにつれうつらうつらする。

そのうち、眠たくなって身体を横にしたとたんに痛怠い状態になる。

眠れない、痛だる状態に疲れもでていたが、我慢していたらしい。

そのうちかーさんも起きた朝7時の起床時。

背中は痛くて起き上がるのも難儀した。

私は背中から抱えて身体を持ち上げ、そのままソファに移した。

背中を真っすぐな位置になっておれば痛みは消える。

こういった状況から推測するに寝返りをする度に、肋骨辺りが動いて、飛び出した神経が刺ささって痛さを感じている。

そう思うのである。

(H29. 8.17 SB932SH撮影)


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