午前中は奈良市押熊町。
夕方は大和郡山市の南。
大和川を越えたらすぐ、川西町の吐田に着く。
昨年の5月19日である。
隣村になる下永でされている松苗、イロバナの分布調査に訪れていた。
ふと思い出して急行した地は吐田の北吐田。
8年ぶりにお会いしたHさん。
畑地を巡回していたときにお会いした。
たまたまの出会いである。
当時、産経新聞の奈良版に連載していたシリーズやまと彩祭のゲラ記事の検証に伺っていた。
悩まされた表現は「トーヤ」。
充てる漢字は、頭屋と聞いていたが、どうも違うらしく、Hさんの記憶は頭家表記であった。
念のために継承されてきた古文書をもって検証してみようと資料を漁ってみた。
すると、「トーヤ」の漢字表記は、一定でないとわかった。
頭屋もあれば、頭家もある。
一転、二転もしていた漢字表記に断定するのは難しい。
北吐田(きたはんだ)の宮座の人たちによって行われる莊厳(しょうごん)行事だけに悩まされたが、最後は決断するにかない、と「頭家」に決められたことを思いだす。
そのHさんが話してくれたH家の苗代つくり。
例年の4月29日。祝日である。
その日の午前中に終えた苗代に花を立てる、と。
だいたいがそれくらいの日にしていると云われるので、また寄せてもらいます、とお願いしていたが、午前中は護符を立てる押熊。
優先度が上がった押熊行きに決めた。
気になるのは、H家のイロバナ立てである。
されているのか、どうか、行けばわかると思って車を走らせた。
そのときの立ち話である。
今も会員登録しているから大和郡山の柳澤文庫に出向くそうだ。
今は、企画展だけになったが、その当時の学芸員は藤本正文さんだったから、熱心に学んでいた古文書勉強会。
実は私も存じていた藤本学芸員であるが、勤務地が移ってから通信は途絶えた。
そういえばお盆のときの「サシサバ」はご存知ですか、と尋ねたら、ずいぶん昔のことのようで、親父さんの時代に食べていた、という。
Hさんが、記憶の片隅の残るサシサバの映像を思い出してもらえば、と思って発刊されたばかりの山と渓谷社刊の『サバが好き!旨すぎる国民的青魚のすべて』を献本していた。
小屋の横に設えた苗代。
南側に挿していたイロバナを撮っていたら、駐車した車を見つけた家族さんが窓から覗かれて・・・。
名を名乗ってお父さんおられますか、と声をかけたらお家から出てこられた。
会うなり話してくださった県立民俗博物館事業の「私がとらえた大和の民俗―つくる―」テーマに揚げた古民家展示の写真展のことである。
H家もしていた、という「カンピョウ」。
3枚組のカンピョウ写真で展示した作品に感動した、と。
大きく育てたユウガオの実。
ざっくり円盤状に切る道具は両手で支える餅切りだった。
名前はなかったが、皮を剥く道具もあった。
その皮剥き道具の刃は剃刀。
長く、長く剥いたカンピョウは、展示写真と違って、屋根の低い作業の小屋根に片方を。
もう片方の竿の先を小屋前に突き出して支柱を立てて支えた。
その竿には麦わらを巻いていた、というからこれまで取材地で見たのと同じである。
カンピョウのタネは需要があった。
実生で育苗したカンピョウの苗は、スイカの苗に接ぎ木。
その方が丈夫な苗に育つ。同じようにカンピョウをしていた地区に田原本町の黒田を思い出された。
懐かしいカンピョウ干しの事例が吐田にあった。
そのことも嬉しいが、展示に来てくれたのが2月23日。
年賀状に案内してあった写真展、天理教月並祭を終えてから見に行った。
3月8日までの展示であったが、新型コロナウイルス拡散防止対策の関係で2月27日からは中止。
ぎりぎりセーフで見られた写真展。
また味わってくださったら、と思って特別にもっていた図録を差し上げた。
さて、苗代の件である。
作付け品種は馴染みのヒノヒカリ。
県内取材地のあちこちで栽培されているヒノヒカリである。
何年か前のこと。村の人が出かけた川合町・広瀬神社の砂かけ祭りに出かけて際、松苗をたばって持ち帰った。
その松苗は、村に戻って分けてもらった。
豊作に立てるという松苗を苗代に立てたが、住まいする地の氏神さんではないからと、それっきりのようだ。
イロバナを立てる位置は南側の畝の前。
本来なら水口付近に立てるようだが、お家は意識していないので、いつもこの位置にしている、という。
今年のイロバナは、お家に咲いたコデマリにドイツアヤメ、つまりジャーマンアイリス系のイリスとツツジ。
そろそろ陰に入る夕暮れどき。
丁度の時間帯に撮らせてもらった吐田のイロバナ。
Hさんが住まいする北吐田の氏神社は杵築神社。
3月は大祭であったが、新型コロナウイルス拡散防止対策の関係で、神社庁からの指示を受けた神主は、神事を含め、一切の年中行事を中止した、という。
3密に避ける散髪屋さん行き。
耳にかかるところは、娘さんに刈ってもらって対応するのも、既往症に何かが起こってはなるまいと日々気をつけている、と話してくれた。
(R2. 4.29 SB805SH撮影)
(R2. 4.29 EOS7D撮影)
夕方は大和郡山市の南。
大和川を越えたらすぐ、川西町の吐田に着く。
昨年の5月19日である。
隣村になる下永でされている松苗、イロバナの分布調査に訪れていた。
ふと思い出して急行した地は吐田の北吐田。
8年ぶりにお会いしたHさん。
畑地を巡回していたときにお会いした。
たまたまの出会いである。
当時、産経新聞の奈良版に連載していたシリーズやまと彩祭のゲラ記事の検証に伺っていた。
悩まされた表現は「トーヤ」。
充てる漢字は、頭屋と聞いていたが、どうも違うらしく、Hさんの記憶は頭家表記であった。
念のために継承されてきた古文書をもって検証してみようと資料を漁ってみた。
すると、「トーヤ」の漢字表記は、一定でないとわかった。
頭屋もあれば、頭家もある。
一転、二転もしていた漢字表記に断定するのは難しい。
北吐田(きたはんだ)の宮座の人たちによって行われる莊厳(しょうごん)行事だけに悩まされたが、最後は決断するにかない、と「頭家」に決められたことを思いだす。
そのHさんが話してくれたH家の苗代つくり。
例年の4月29日。祝日である。
その日の午前中に終えた苗代に花を立てる、と。
だいたいがそれくらいの日にしていると云われるので、また寄せてもらいます、とお願いしていたが、午前中は護符を立てる押熊。
優先度が上がった押熊行きに決めた。
気になるのは、H家のイロバナ立てである。
されているのか、どうか、行けばわかると思って車を走らせた。
そのときの立ち話である。
今も会員登録しているから大和郡山の柳澤文庫に出向くそうだ。
今は、企画展だけになったが、その当時の学芸員は藤本正文さんだったから、熱心に学んでいた古文書勉強会。
実は私も存じていた藤本学芸員であるが、勤務地が移ってから通信は途絶えた。
そういえばお盆のときの「サシサバ」はご存知ですか、と尋ねたら、ずいぶん昔のことのようで、親父さんの時代に食べていた、という。
Hさんが、記憶の片隅の残るサシサバの映像を思い出してもらえば、と思って発刊されたばかりの山と渓谷社刊の『サバが好き!旨すぎる国民的青魚のすべて』を献本していた。
小屋の横に設えた苗代。
南側に挿していたイロバナを撮っていたら、駐車した車を見つけた家族さんが窓から覗かれて・・・。
名を名乗ってお父さんおられますか、と声をかけたらお家から出てこられた。
会うなり話してくださった県立民俗博物館事業の「私がとらえた大和の民俗―つくる―」テーマに揚げた古民家展示の写真展のことである。
H家もしていた、という「カンピョウ」。
3枚組のカンピョウ写真で展示した作品に感動した、と。
大きく育てたユウガオの実。
ざっくり円盤状に切る道具は両手で支える餅切りだった。
名前はなかったが、皮を剥く道具もあった。
その皮剥き道具の刃は剃刀。
長く、長く剥いたカンピョウは、展示写真と違って、屋根の低い作業の小屋根に片方を。
もう片方の竿の先を小屋前に突き出して支柱を立てて支えた。
その竿には麦わらを巻いていた、というからこれまで取材地で見たのと同じである。
カンピョウのタネは需要があった。
実生で育苗したカンピョウの苗は、スイカの苗に接ぎ木。
その方が丈夫な苗に育つ。同じようにカンピョウをしていた地区に田原本町の黒田を思い出された。
懐かしいカンピョウ干しの事例が吐田にあった。
そのことも嬉しいが、展示に来てくれたのが2月23日。
年賀状に案内してあった写真展、天理教月並祭を終えてから見に行った。
3月8日までの展示であったが、新型コロナウイルス拡散防止対策の関係で2月27日からは中止。
ぎりぎりセーフで見られた写真展。
また味わってくださったら、と思って特別にもっていた図録を差し上げた。
さて、苗代の件である。
作付け品種は馴染みのヒノヒカリ。
県内取材地のあちこちで栽培されているヒノヒカリである。
何年か前のこと。村の人が出かけた川合町・広瀬神社の砂かけ祭りに出かけて際、松苗をたばって持ち帰った。
その松苗は、村に戻って分けてもらった。
豊作に立てるという松苗を苗代に立てたが、住まいする地の氏神さんではないからと、それっきりのようだ。
イロバナを立てる位置は南側の畝の前。
本来なら水口付近に立てるようだが、お家は意識していないので、いつもこの位置にしている、という。
今年のイロバナは、お家に咲いたコデマリにドイツアヤメ、つまりジャーマンアイリス系のイリスとツツジ。
そろそろ陰に入る夕暮れどき。
丁度の時間帯に撮らせてもらった吐田のイロバナ。
Hさんが住まいする北吐田の氏神社は杵築神社。
3月は大祭であったが、新型コロナウイルス拡散防止対策の関係で、神社庁からの指示を受けた神主は、神事を含め、一切の年中行事を中止した、という。
3密に避ける散髪屋さん行き。
耳にかかるところは、娘さんに刈ってもらって対応するのも、既往症に何かが起こってはなるまいと日々気をつけている、と話してくれた。
(R2. 4.29 SB805SH撮影)
(R2. 4.29 EOS7D撮影)