朝一に電源をあげたパソコン。
なぜだかゲートウエイの文字が表示したまま動かない。
この日の葬儀は急がねばならないから諦めて電源を切って出かけた。
葬儀場は大阪・富田林市市営の葬儀場。
平成26年1月、母屋のおばちゃんの葬儀が行われた場である。
近くまで来ているのにさんざん彷徨った場は覚えているがどの道を行ったかまたもや失念。
頼りはカーナビゲーション。
葬儀場の地をセットして大阪・住之江に向かう。
いつものことだが阪神高速道路は長田辺りから混みだす。
仕事に出かける車でいつも渋滞する。
環状線に合流する辺りでやっと解放されて住之江へ。
おふくろを載せて出発だ。
堺市内中央を抜けて金岡経由で美原を目指す。
案内するカーナビゲーションは途中で右折れを伝える。
リルートを無視して東へまっしぐら。
三原JCで思い出しながら道を曲がる。
ここからが難儀した。
カーナビゲーションが案内する道が判らなくなっていた。
思っていた景観がまったく違うのだ。
ここら辺りは街になっていた。
立ち並ぶ工場やお店で方角が判らない。
こうなりゃ案内どおりに走らざるを得ない。
どこをどう曲がったのがさっぱり判らない土地。
どうやら309号線のようだ。
案内されるままに車を走らせる。
先は千早赤阪。このまま行けば違うと言い出したおふくろ。
そりゃそうだが道案内はそうなっている。
木材団地を抜けて新家・川西南。石川を跨ぐ橋を越えたら板持南。
見覚えがある景観だ。
この道路は河南赤坂バイパス。
昔はこんな道はなかったがもうすぐだ。
佐備を通過してたどり着いた葬儀場にいち早く到着していたいとこたちが待っていた。
一年ぶりの顔合わせだ。
亡くなったのは彼方(おちかた)のおばちゃん。
享年98歳。
久しぶり見る顔は遺影写真。
昨年のマツリに撮ったものだという。
錦織にある母屋近くの融通念仏宗の極楽寺住職が念仏を申される。
葬儀を終えてお棺に納めたおばちゃんに花飾り。
あまりの多さに花畑に包まれるようだった。
ご出棺は葬儀場奥にある火葬場へ男性が運ぶ。
最後のお別れに焼香をする。
骨揚げまでの待ち時間。
いとこが頼んでおいた膳につく。
おふくろの家や私の家に電話をしたが留守番電話。
どこか旅行へでも、と思っていたようだ。
たしか携帯電話の番号は知っているはずなんだが・・。
膳の料理は喪主が頼んでいた「御懐石」。
この料理は料理・仕出しもしている紅焔(こうえん)。
喪主の実家である彼方にある。
骨揚げを済ませて初七日法要。
宴の場は転じて法要の場となる。
四十九日は4月半ば。
錦織の甘山(つじやま)墓地に埋葬する。
子供の頃は母親に連れられてお盆に出かけていた。
母屋に集まったいとこは十数人。
高校生ぐらいまではいつも集まっていた。
軽トラに乗って畑の野菜を取りに行く。
運んだスイカを落として真っ赤に割れたこともあった。
母屋の叔父に連れられて石川へ鮎取り。
竹の棒で追い込んで手で掴んで取っていた。
懐かしい子供の頃は今でも思い出す。
早めに終わった葬儀に集まったいとこたち。
おふくろも連れてお茶にしようということになった。
目指す喫茶店は甘山墓地向かいにあるカフェテラス蘭館。
ケーキが売り物らしい。
(H27. 3.13 SB932SH撮影)
なぜだかゲートウエイの文字が表示したまま動かない。
この日の葬儀は急がねばならないから諦めて電源を切って出かけた。
葬儀場は大阪・富田林市市営の葬儀場。
平成26年1月、母屋のおばちゃんの葬儀が行われた場である。
近くまで来ているのにさんざん彷徨った場は覚えているがどの道を行ったかまたもや失念。
頼りはカーナビゲーション。
葬儀場の地をセットして大阪・住之江に向かう。
いつものことだが阪神高速道路は長田辺りから混みだす。
仕事に出かける車でいつも渋滞する。
環状線に合流する辺りでやっと解放されて住之江へ。
おふくろを載せて出発だ。
堺市内中央を抜けて金岡経由で美原を目指す。
案内するカーナビゲーションは途中で右折れを伝える。
リルートを無視して東へまっしぐら。
三原JCで思い出しながら道を曲がる。
ここからが難儀した。
カーナビゲーションが案内する道が判らなくなっていた。
思っていた景観がまったく違うのだ。
ここら辺りは街になっていた。
立ち並ぶ工場やお店で方角が判らない。
こうなりゃ案内どおりに走らざるを得ない。
どこをどう曲がったのがさっぱり判らない土地。
どうやら309号線のようだ。
案内されるままに車を走らせる。
先は千早赤阪。このまま行けば違うと言い出したおふくろ。
そりゃそうだが道案内はそうなっている。
木材団地を抜けて新家・川西南。石川を跨ぐ橋を越えたら板持南。
見覚えがある景観だ。
この道路は河南赤坂バイパス。
昔はこんな道はなかったがもうすぐだ。
佐備を通過してたどり着いた葬儀場にいち早く到着していたいとこたちが待っていた。
一年ぶりの顔合わせだ。
亡くなったのは彼方(おちかた)のおばちゃん。
享年98歳。
久しぶり見る顔は遺影写真。
昨年のマツリに撮ったものだという。
錦織にある母屋近くの融通念仏宗の極楽寺住職が念仏を申される。
葬儀を終えてお棺に納めたおばちゃんに花飾り。
あまりの多さに花畑に包まれるようだった。
ご出棺は葬儀場奥にある火葬場へ男性が運ぶ。
最後のお別れに焼香をする。
骨揚げまでの待ち時間。
いとこが頼んでおいた膳につく。
おふくろの家や私の家に電話をしたが留守番電話。
どこか旅行へでも、と思っていたようだ。
たしか携帯電話の番号は知っているはずなんだが・・。
膳の料理は喪主が頼んでいた「御懐石」。
この料理は料理・仕出しもしている紅焔(こうえん)。
喪主の実家である彼方にある。
骨揚げを済ませて初七日法要。
宴の場は転じて法要の場となる。
四十九日は4月半ば。
錦織の甘山(つじやま)墓地に埋葬する。
子供の頃は母親に連れられてお盆に出かけていた。
母屋に集まったいとこは十数人。
高校生ぐらいまではいつも集まっていた。
軽トラに乗って畑の野菜を取りに行く。
運んだスイカを落として真っ赤に割れたこともあった。
母屋の叔父に連れられて石川へ鮎取り。
竹の棒で追い込んで手で掴んで取っていた。
懐かしい子供の頃は今でも思い出す。
早めに終わった葬儀に集まったいとこたち。
おふくろも連れてお茶にしようということになった。
目指す喫茶店は甘山墓地向かいにあるカフェテラス蘭館。
ケーキが売り物らしい。
(H27. 3.13 SB932SH撮影)