もしや今日ではと思って出かけた斑鳩町目安(めやす)の春日神社。
10時に終わったと一人の宮守さんが話していた。
朝8時から3人の宮守さんと垣内代表3人の手伝いとともに済ませたと云う門松立てと注連縄掛け。
竹で周りを囲って砂を盛る。
松・竹・梅を立ててナンテンやハボタンを添えていた。
春日神社の宮守はかつて5軒の特定家が担っていた。
2軒が退かれて今では3軒。
維持することが困難になり、3垣内の代表3人を加えるようにされた。
一年交替の垣内代表者とともに春日神社の年中行事を行っていると話す。
「ここらは水ツキしやすい土地だった。
あの辺まで水が来たら危なくなる。
そういう水ツキの「目安」になるから大字の名が目安になった」という。
目安は60戸からなる旧村であったが、新興住宅が増えて今では90戸になった。
増えた理由の一つに疎開から戻ってきたということである。
目安はおよそ7割が農家。
田園が広がる地域である。
簾型の注連縄は単に「シメナワ」と呼んでいたが飾り付けはあとになると話していた。
90戸の集落をぐるりと巡って戻ってきたたら、もう一人の宮守さんがやってきた。
ウラジロ、ユズリハ、ダイダイ、カタスミを注連縄中央に飾り付けをする。
クシガキは二日後の30日にするようだ。
注連縄は笹の葉付き。
できる限り葉が色落ちしないように前日に作られた。
モチワラを七、五、三本ずつ繰り返して巻き重ねて作ったと話す。
モチワラは神さんごとやからワラ打ちをしないという。
刈り取るときも綺麗に揃えておく。
神社行事に出仕される龍田神社の先代宮司より、そう伝えられて現在に至る宮守さんは若い時から神社行事を務めてきたから今でもいわれた通りに行っていると話す。
「ちょっと待ってもらったら花立てにビシャコを立てるから」と云って家まで戻って持ってきたビシャコ。
サカキの代用にそうしているという。
花立ての土台は亀さん。
ユニークな形である。
コミヤさんや神域外にある行者さんにもビシャコを立てる。
昭和9年に大和川の改修工事でこの地に遷った。
その改修記念に鳥居を建てたそうだ。
かつてはもっと広かったと云う鎮座地。
そのときに行者さんや神武さん遥拝石標を遷したそうだ。
翌年のトンドで燃やされる簾型の注連縄はそれまで飾っておくと話したご主人が思い出す30年前にしていた「砂モチ」の風習。
大晦日に大和川の奇麗な川砂を竹製のモッコに入れて境内に運んだ。
家族の人数分の数だけ砂を盛った。
8人家族なら八つの砂盛り。
村じゅうの人たちがしていた「砂モチ」。
分量が増えて境内が高くなりすぎことから中断したと云う。
目安のトンドは成人の日の前日日曜日。
大和川の堤防したで行われる。
点火は朝8時である。
正月元日は朝に御膳を供える。
2月3日は「トシコシ」。
朝8時、煎った大豆をオヒネリにして供えておく。
数量は7品だ。
村の人がお参りする。
その際に持ってきた豆を供えた豆を交換して持ち帰る。
「サナブリ」は6月下旬の日曜日。
朝9時に祭典がある。
目安の田植えがすべて終わったときに行われる行事は田植え奉告祭であろう。
マツリは10月の第一日曜日。
前日の土曜日に行っていた「ヨイミヤ」はなくしたという。
大阪平野の大念仏のご回在はそれより前の7日か8日辺り。
稀に9月末になる年があるというから、そのときは山間に出向く大和ご回在の年であろう。
12月17日に近い日曜日はイノコマツリとも呼ぶ新穀感謝祭。
氏神さんは春日神社。
春日若宮おん祭と同じ日にしていたという。
ちなみに近隣の大字服部では30日に門松立て・注連飾りをしているようだと話していた。
機会があれば伺いたい。
(H26.12.28 EOS40D撮影)
10時に終わったと一人の宮守さんが話していた。
朝8時から3人の宮守さんと垣内代表3人の手伝いとともに済ませたと云う門松立てと注連縄掛け。
竹で周りを囲って砂を盛る。
松・竹・梅を立ててナンテンやハボタンを添えていた。
春日神社の宮守はかつて5軒の特定家が担っていた。
2軒が退かれて今では3軒。
維持することが困難になり、3垣内の代表3人を加えるようにされた。
一年交替の垣内代表者とともに春日神社の年中行事を行っていると話す。
「ここらは水ツキしやすい土地だった。
あの辺まで水が来たら危なくなる。
そういう水ツキの「目安」になるから大字の名が目安になった」という。
目安は60戸からなる旧村であったが、新興住宅が増えて今では90戸になった。
増えた理由の一つに疎開から戻ってきたということである。
目安はおよそ7割が農家。
田園が広がる地域である。
簾型の注連縄は単に「シメナワ」と呼んでいたが飾り付けはあとになると話していた。
90戸の集落をぐるりと巡って戻ってきたたら、もう一人の宮守さんがやってきた。
ウラジロ、ユズリハ、ダイダイ、カタスミを注連縄中央に飾り付けをする。
クシガキは二日後の30日にするようだ。
注連縄は笹の葉付き。
できる限り葉が色落ちしないように前日に作られた。
モチワラを七、五、三本ずつ繰り返して巻き重ねて作ったと話す。
モチワラは神さんごとやからワラ打ちをしないという。
刈り取るときも綺麗に揃えておく。
神社行事に出仕される龍田神社の先代宮司より、そう伝えられて現在に至る宮守さんは若い時から神社行事を務めてきたから今でもいわれた通りに行っていると話す。
「ちょっと待ってもらったら花立てにビシャコを立てるから」と云って家まで戻って持ってきたビシャコ。
サカキの代用にそうしているという。
花立ての土台は亀さん。
ユニークな形である。
コミヤさんや神域外にある行者さんにもビシャコを立てる。
昭和9年に大和川の改修工事でこの地に遷った。
その改修記念に鳥居を建てたそうだ。
かつてはもっと広かったと云う鎮座地。
そのときに行者さんや神武さん遥拝石標を遷したそうだ。
翌年のトンドで燃やされる簾型の注連縄はそれまで飾っておくと話したご主人が思い出す30年前にしていた「砂モチ」の風習。
大晦日に大和川の奇麗な川砂を竹製のモッコに入れて境内に運んだ。
家族の人数分の数だけ砂を盛った。
8人家族なら八つの砂盛り。
村じゅうの人たちがしていた「砂モチ」。
分量が増えて境内が高くなりすぎことから中断したと云う。
目安のトンドは成人の日の前日日曜日。
大和川の堤防したで行われる。
点火は朝8時である。
正月元日は朝に御膳を供える。
2月3日は「トシコシ」。
朝8時、煎った大豆をオヒネリにして供えておく。
数量は7品だ。
村の人がお参りする。
その際に持ってきた豆を供えた豆を交換して持ち帰る。
「サナブリ」は6月下旬の日曜日。
朝9時に祭典がある。
目安の田植えがすべて終わったときに行われる行事は田植え奉告祭であろう。
マツリは10月の第一日曜日。
前日の土曜日に行っていた「ヨイミヤ」はなくしたという。
大阪平野の大念仏のご回在はそれより前の7日か8日辺り。
稀に9月末になる年があるというから、そのときは山間に出向く大和ご回在の年であろう。
12月17日に近い日曜日はイノコマツリとも呼ぶ新穀感謝祭。
氏神さんは春日神社。
春日若宮おん祭と同じ日にしていたという。
ちなみに近隣の大字服部では30日に門松立て・注連飾りをしているようだと話していた。
機会があれば伺いたい。
(H26.12.28 EOS40D撮影)