風薫る季節の五月は子どもが中心となってノガミさんを祀る行事が奈良盆地で見られる。
なかでも白いパンツを着た小さな子どもに、年長者が墨汁を身体中に塗りつける橿原市地黄町のススツケ祭りは特異な行事。
当屋の門口には三宝に載せた蝋燭とカワラケ盃が置かれている。
前年当屋は酒を持って当屋の家を訪問する。
玄関口で酒交する所作は引継の儀式。
そのころには笹竹を手にしたパンツ姿の子どもらが現れる。
代表の子ども2名は門口に置かれた所に一歩前にでる。
そして、サイレンの合図とともにトヤの目の前で笹竹を打ち付けカワラケ盃を砕く。
さぁー、これからがススツケ祭りのはじまりだと人麿神社に向かって走っていく。
会場となる境内は観客席と呼ぶのかロープが張られていて周りは人、人、人。
墨汁をたっぷりと付けて裸の子どもに塗りたくる。
しまいには顔まで真っ黒で目が光っている。
現在は墨汁なのでスミツケ祭りとも呼ばれるが、本来は竃の煤を集めてそれを付けていたことからススツケ祭りといい、多く付くほど豊作になるとされています。
翌未明、お籠もりした子どもらは蛇綱を作り、真っ暗な道を歩んで農神さんに絵馬を奉納する。
豊作を祈願して町へ戻るときの帰り道、子供達は大声で「ノーガミさんオークッタッ、ジージもバーバも 早よ起きよ!」と囃子ながら元気良く戻っていきます。
参られた数多くの絵馬は積み重ねるように捨てられている。
ススツケ祭は一連のノガミさんの行事から独立したようにみえることから特に呼称してきたようだ。
(H20. 5. 4 Kiss Digtal N撮影)
なかでも白いパンツを着た小さな子どもに、年長者が墨汁を身体中に塗りつける橿原市地黄町のススツケ祭りは特異な行事。
当屋の門口には三宝に載せた蝋燭とカワラケ盃が置かれている。
前年当屋は酒を持って当屋の家を訪問する。
玄関口で酒交する所作は引継の儀式。
そのころには笹竹を手にしたパンツ姿の子どもらが現れる。
代表の子ども2名は門口に置かれた所に一歩前にでる。
そして、サイレンの合図とともにトヤの目の前で笹竹を打ち付けカワラケ盃を砕く。
さぁー、これからがススツケ祭りのはじまりだと人麿神社に向かって走っていく。
会場となる境内は観客席と呼ぶのかロープが張られていて周りは人、人、人。
墨汁をたっぷりと付けて裸の子どもに塗りたくる。
しまいには顔まで真っ黒で目が光っている。
現在は墨汁なのでスミツケ祭りとも呼ばれるが、本来は竃の煤を集めてそれを付けていたことからススツケ祭りといい、多く付くほど豊作になるとされています。
翌未明、お籠もりした子どもらは蛇綱を作り、真っ暗な道を歩んで農神さんに絵馬を奉納する。
豊作を祈願して町へ戻るときの帰り道、子供達は大声で「ノーガミさんオークッタッ、ジージもバーバも 早よ起きよ!」と囃子ながら元気良く戻っていきます。
参られた数多くの絵馬は積み重ねるように捨てられている。
ススツケ祭は一連のノガミさんの行事から独立したようにみえることから特に呼称してきたようだ。
(H20. 5. 4 Kiss Digtal N撮影)
儀式を終えると膳食の場に移る。
区長の挨拶を受けて食事が始まる。
10年ぐらい前までは箱膳と呼ばれるひとりずつに盛られた膳だったが、簡素化されてパック御膳に変わった。
頃合いを見計らって酒を注ぎ回る手伝い役。
代表者の歓談がしばらく続いた時間に手伝い役の膳が盛られて共によばれの時を過ごす。
最近の話題やニュース、グローバルなオリンピックに始まって、同所の八坂神社やメスリ山古墳へと繋がる会話は2時間余り。
「水」が縁でこうやって会話が弾むのも先達らのおかげ、ありがたいことだと歴代区長の額縁写真を見入る。
水振祭(みずふるまい)は、川下4カ地区(安部、橋本、吉備、生田)のうち、生田を除く3カ地区の代表者を招待する習慣で、徳川時代から続く儀式です。
寺川に流れる水を、各地区で耕作水田を灌漑するのに四分六井堰の管理権をもつ川上の高田地区は、余水世話料として川下の地区より「水振米」をいただくことになっている。
招待者は1区2名ずつで、接待役の高田区長を入れて計7名の席が設けられる。
昭和38年には吉野川分水の水が通水され一定の水量となったことから、水振米を止めるような意見が出たが、川下の区からは親睦として続けてほしいと願われ減米(額)して現在も続けられている。
水振祭の儀式は、膳宴を終えて区長の挨拶のあと、最後にもう一度、開宴の儀式と同じ朱塗りの重ね酒盃が差し出される。
盃の作法もまったく同じだ。作法は、三三九度の儀式といわれ、交わす盃は所謂、三献固めの盃で、水振祭はかための儀式であると考えられる。
(H20. 5. 4 Kiss Digtal N撮影)
区長の挨拶を受けて食事が始まる。
10年ぐらい前までは箱膳と呼ばれるひとりずつに盛られた膳だったが、簡素化されてパック御膳に変わった。
頃合いを見計らって酒を注ぎ回る手伝い役。
代表者の歓談がしばらく続いた時間に手伝い役の膳が盛られて共によばれの時を過ごす。
最近の話題やニュース、グローバルなオリンピックに始まって、同所の八坂神社やメスリ山古墳へと繋がる会話は2時間余り。
「水」が縁でこうやって会話が弾むのも先達らのおかげ、ありがたいことだと歴代区長の額縁写真を見入る。
水振祭(みずふるまい)は、川下4カ地区(安部、橋本、吉備、生田)のうち、生田を除く3カ地区の代表者を招待する習慣で、徳川時代から続く儀式です。
寺川に流れる水を、各地区で耕作水田を灌漑するのに四分六井堰の管理権をもつ川上の高田地区は、余水世話料として川下の地区より「水振米」をいただくことになっている。
招待者は1区2名ずつで、接待役の高田区長を入れて計7名の席が設けられる。
昭和38年には吉野川分水の水が通水され一定の水量となったことから、水振米を止めるような意見が出たが、川下の区からは親睦として続けてほしいと願われ減米(額)して現在も続けられている。
水振祭の儀式は、膳宴を終えて区長の挨拶のあと、最後にもう一度、開宴の儀式と同じ朱塗りの重ね酒盃が差し出される。
盃の作法もまったく同じだ。作法は、三三九度の儀式といわれ、交わす盃は所謂、三献固めの盃で、水振祭はかための儀式であると考えられる。
(H20. 5. 4 Kiss Digtal N撮影)
毎年5月4日は道造りを終えた桜井市高田北垣内の高田会所に役員が集まってくる。
今日は高田区の役員がもてなす水振祭(みずふるまい)と呼ばれる大切な儀式の日。
安部、橋本、吉備の区の代表者は迎えの車で来所される。
着到の挨拶を済ませてお茶とお菓子でひといきの場。
代表者が膳席に着かれると儀式の大切な道具である朱塗りの重ね酒盃が差し出される。
高田の区長(諸事情で急遽区長代理)の水振祭の挨拶が口上されると、接待役は盃を差し出して酒を注ぐ。
三口で飲み干せば、杯を紙で拭き取り返す。
次々と作法にそって酒を飲み干す。
三段重ねの盃、区長が手にした大きさで決まるもので、その盃を次席の者が手にしなければならない。
膳席の順、酒盃の順も昔から定まっている儀式は厳かに行われる。
(H20. 5. 4 Kiss Digtal N撮影)
今日は高田区の役員がもてなす水振祭(みずふるまい)と呼ばれる大切な儀式の日。
安部、橋本、吉備の区の代表者は迎えの車で来所される。
着到の挨拶を済ませてお茶とお菓子でひといきの場。
代表者が膳席に着かれると儀式の大切な道具である朱塗りの重ね酒盃が差し出される。
高田の区長(諸事情で急遽区長代理)の水振祭の挨拶が口上されると、接待役は盃を差し出して酒を注ぐ。
三口で飲み干せば、杯を紙で拭き取り返す。
次々と作法にそって酒を飲み干す。
三段重ねの盃、区長が手にした大きさで決まるもので、その盃を次席の者が手にしなければならない。
膳席の順、酒盃の順も昔から定まっている儀式は厳かに行われる。
(H20. 5. 4 Kiss Digtal N撮影)