マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

コゴミを求めて道の駅巡り

2019年08月11日 09時46分09秒 | あれこれテイクアウト
FBでコゴミがあったとか、ここにも売っているとかコメントがアップされるものだから、辛抱たまらなくなる。

宇陀市榛原に出かけることに便乗して、各地にある道の駅や産直市場も見て廻る。

はじめに訪れたのは名阪国道の拠点にある針テラスの産直とれしゃき市場。

ここを訪れる人は1日でどれぐらいになるのだろうか。

とにかく多い訪問者数であるが、統計情報はあるのか、ないのか・・。

拝見する産直とれしゃき市場の商品棚。

コゴミがあった。

1パック180円で売っていたコゴミ。

多いのか、それとも少量なのか、見極めできない税込み料金。

こんなちょっとじゃあっという間に食べてしまうと判断して2パック買った。

ついでに買った商品はワケギ。

1束100円を手にした。

もう一つは我が家で大好評の葉タマネギ。

鍋ではもったいないくらいの味をもっている葉タマネギ。

普段なら大和小泉店のよってって、で購入するが、ここにも売っているのなら、見逃すわけにはいかない。

三つ球があった1束で130円。

甘味のある葉タマネギは5月まで。あるうちに買っておきたい春もの野菜である。

次の買い付け地はどこでなるか。

榛原まで来たのなら、少し足を伸ばして大宇陀に向きを替える。

目的地はいわずと知れた大宇陀の道の駅直売所。

観光客に足湯求める人に購買者でごったがえす道の駅。

日曜日、しかもすぐ近くにある本郷の又兵衛桜見客。

入店したときはそうでもなかったが、吉野山の桜見客が戻ってくる観光団体バスで国道は渋滞状態。

時間帯は午後3時半。

どんぴしゃの遭遇に迂回道を探る。

そうそう買わなかったが大宇陀の道の駅直売所にもコゴミはあった。



あったが買わなかったのはちょっとだけ割高。

コゴミ量は針テラスの産直とれしゃき市場よりかは少し多いが価格は200円。

気持ちが萎えた価格帯であった。

やや東吉野寄りになったが、軌道修正して榛原の中心部を抜けてA-COOP榛原店を目指す。

一年前に立ち寄ったA-COOP榛原店で顧客カードを作った。

それから一度も利用していない。

我が家の近くにCOOP店はあるが、系統がことなる奈良COOP、顧客カードは使えない。

このA-COOP榛原店にも地産商品がある。

地元の人たちが栽培した採れ取れの野菜。

この店ではまだ・・と思ってじっくり探したら見つかった。



なんと袋入りで1袋が90円。

量的には針テラスとそん色のない量だ。

パックでなく袋入りにされてコストパフォーマンス。

思わず2袋も買ってしまった。

ついでに買ったのは惣菜コーナーにあった菜の花辛子和え。

半額サービスに釣られて1パック60円の菜の花辛子和えも購入。

他もあるが、本日はここまで。

これ以上買ったらどんだけーとなること間違いない。

案の定、帰って購入商品を並べてかーさんに伝えたら、こんなに買ってどうすんの、である。

こういうときに口にするのは、食べたかったんや、である。

コゴミは昨年の4月28日に帰り道に購入したときとほぼ同じ。

同じ販売所で買ったコゴミは翌日に調理してくれた天ぷらで賞味した。

とても美味しかった。

それ以上の食べ方は知らない。

タブレット端末を駆使して料理法を知るかーさん。

コゴミも天ぷら以外の美味しい食べ方があると・・・。

で、翌日の晩飯にどっと出てきた。



皿に盛ったコゴミのすべては天ぷら。

あっと驚きの天ぷら料理のコゴミの山である。

むちゃ嬉しい山のような盛り。

結局は買った4パックすべてのコゴミが天ぷらの山になった。

味わうには塩のみ。

ちょいちょいとつけて食べる春の恵みのコゴミの食感。

カリカリ、サクサクの食感に食欲が増す。

丸まった葉っぱ部分はとても味わい深い。

だいたいが3本セットのコゴミ。

葉に一つの軸がある。

これはカリカリもサクサクもなく、ぬめりである。

このぬるっと感がたまんない。

こんなにぎょうさん、と云っていたかーさんもパクパク、モリモリ。

美味いから箸は止まらない。

えぐみのないコゴミに称賛だったと思う・・・。

ところで翌日の10日に買物したよってって大和小泉店。

ここへ行けば何かがあるだろうと思って入店する。



探す間もなく見つかったコゴミは1パックで150円。

色艶から新鮮状態。

これならガソリン代を使わずに近くで調達できる。

ありがたいことだ。

しかもこの日は我が家で大好評の葉たまねぎがごっそりと入荷した。

価格もお安い。

店員さんが商品棚に並べていた。

これってむちゃ美味しいのでいつも買いますねん。

3月初めに調達しましたが・・と云えば、これからが旬やという。

4月初旬から5月半ばまで。

なんと商品棚には新玉ねぎと同じように葉っぱを除いた玉だけを並べていた。

そこに札を立てていた。

葉っ葉は0円。

無料ですから、新玉を購入の人の思考は葉っぱが無用。

なんということだ。

玉も葉っぱもむちゃ甘い。

すき焼きに入れても旨いが、炒め物。

サラダにはし難いが、たいがいの料理に発揮する葉玉ねぎ。

何年か前から味を覚えた葉玉ねぎ。

新玉ねぎよりかもひとつ上を行く食材だと思っていることも付記しておく。

さて、時季も時期。

コゴミの次はコシアブラに移っていた。

(H30. 4. 8 SB932SH撮影)
(H30. 4. 9 SB932SH撮影)
(H30. 4.10 SB932SH撮影)

旧都祁白石町・白石行者の春の大祭

2019年08月10日 09時09分35秒 | 奈良市(旧都祁村)へ
名阪国道を走る。

行事取材に必ずといっていいほど立ち寄る針テラス。

食事もそうだがトイレも助けてくれる休憩地点。

とれしゃき市場もよく入店する。

そこを離れて走る国道369号線。

少し南下したところにある信号は白石。

角に辻村商店がある。

その傍に建つお堂は融通念仏宗派の興善寺。

ふと目にした左手に赤い幟旗が何本かあった。

これはなにかの行事であるのか。

左に折れたら幟旗が何本も。

誘われるままに車を進めていけば小高い丘がある。

そこには満開の桜が咲いているし、吹き流しのような五色の幟も見られた。

何台かの車が連なって停めていたが、余裕はないようだ。

もう少し登ったら更なる高台があった。

登る階段上に僧侶の姿が見えた。

丁度、法要をしているような時間帯だった。

参拝らしき人も見えるが、停める場所が見つからない。

行けるとこまでと思ってそろそろ走る。

まるで小高い丘の周囲を移動しているように思った。

ここはなんだろうか。

ぐるりと回って国道に戻ったら興善寺駐車場に臨時駐車場の表示があった。



それには「白石行者 春の大祭」を記していた。

丘にあったのは白石行者。

この日は関係者が集まる春の大祭とわかったが、直接の聞取りや取材をしている時間がなく、遠目で大祭の舞台を撮っていた。

(H30. 4. 8 EOS7D撮影)

富士食品工業の豚ばらスタミナ丼

2019年08月09日 08時38分04秒 | あれこれインスタント
いつ、どこで、そしていくらで買ったのか記憶にない。

推定買物店はスーパートライアルか、業務スーパー、或いはスーパーサンデイのいずれかだと思う。

袋のデザインが美味そうに見えたので買っておいたが、食卓に登場してくれない。

忘れられた存在ではない。

かーさんの好みではないから、登場することはない。

何度も、何度も食べたい意思を告げるが・・。

つい最近になって、それってもう賞味期限切れになっていると返す。

たしかに、である。

賞味期限は昨年の平成29年9月20日だった。

もう半年以上も過ぎている。

数週間前にも食べたい意思を伝えたが、豚バラがない、と返されて敢え無く撃沈。

この日の朝は山陽マルナカに出かけてお買い物。

そのときにねだってやっと買ってくれた豚バラ肉。

ようやく日の目をみる富士食品工業の豚ばらスタミナ丼であるが、なんとご飯がないというのだ。

そういう日もときおりある。

その対策はパック入りご飯の登場。

有名メーカー品もあるが、今はサードパーティ製品でも美味しい。

電子レンジでチンするだけで美味しいご飯が食べられる。

電気釜で炊くよりその方が良い独身者向け。

昨今は高齢者向けという人も多くなった。

それはともかく豚ばらスタミナ丼である。

ほくほく熱々の豚ばらスタミナ丼が食卓に初の登場。

甘い香りがその場に漂う。



美味そうな香りに乗せられてがっつりいただく。

中央にそっと盛ってくれた卵黄はそのまま。

まずが、豚ばらスタミナ丼そのもののタレの味を知りたいから卵黄を除けていただく。

箸で底から掬うようにタレが絡まったタマネギ、豚バラ、ご飯を口に放り込む。

美味い、旨いの詞しかでない。

これって予想以上の出来栄えだよな。

次は卵黄を潰して適度に絡める。

卵黄の味によってタレが甘くなると予想していたが、そうはならずに味は一層強まった。

こりゃ美味い。

ほんまに旨い。

ガツガツ、ガッツリ、止まらない。

半分ぐらい食べたところでかーさんが云った。

この豚バラは脂まみれ。

炒めたフライパンに液体脂が溜まっていた。

そうか、むしろ豚バラの旨味が美味さを引きたてたのかもしれない。

賞味期限がとうに過ぎていたが、むちゃくちゃ旨い。

ただ、1袋で1人前の丼量。

まだ、2袋もある。

毎日は出ないし、すぐにということもないだろう。

そうすれば、ますます期限切れ証明を味わうことになる。

(H30. 4. 8 SB932SH撮影)

佐紀東町・葛木神の節分祭

2019年08月08日 08時57分46秒 | 奈良市へ
東町の座中から教えてもらった2月3日の節分祭。

枡に盛った節分の福豆を交換すると聞いた再訪である。

節分祭に相応しい福豆を供えておく。

村神主、八人衆が乾垣内に鎮座する葛木神社の本殿に吊るす四つの吊り提灯。



しばらくしてから村神主がお祓いをされた。

神事を終えた村神主は供えた福豆を下げて拝殿の前に移す。



お神酒にカワラケ。

スルメイカに捻り昆布を盛っておく。

これより来られる参拝者によばれてもらうお神酒に肴である。

神事を終えてすぐに来られる参拝者。



鈴を振って手を合わせていた。



ただ、下げた福豆やお神酒にカワラケ。



スルメイカに捻り昆布を並べた状態を見られた参拝者。

さてどうするのか、迷っておられた。

初めてこられたのだろうか。

節分祭の要領を知らないのか、「どうしたらいいのでしょう」と尋ねられる。



「参拝を済ませたら、どうぞいただいてください」と伝えていた座中。

参拝の一番手は隆光僧正の初名、川辺隆長が先祖にあたる川辺家の人だった。

豆を供えることなく熱心に手を合わせて拝んでおられた。

次の人も参拝するが、豆ではなく、栗が良いだろうと供えた。

栗を供える形式は初見である。

節分或いはトシコシ(年越し)とも呼ばれる旧村行事につきものの豆交換。

参拝に豆を供えて、先に参拝した人が供えた豆を持ち帰る。

簡単にいえば豆の交換であるが、ごくごく普通にある習俗である。

ここ佐紀町では、かつてあったのかどうかわからないが、参拝者が“福”を持ち帰る福豆交換の習俗信仰が薄らいでいるのでは・・と思った。

平成26年の2月3日。

すぐ近くになる佐紀中町の門外神社にも節分祭がある。

福豆の交換をしていた村の習俗。

個々参拝に持ち帰るには少しの懸念、村の人が申し出た意見を取り上げ、中身の見えるビニールの袋詰めに切り替えた。

斑鳩町目安の春日神社にも豆交換はあるが、袋詰めでなく半紙を摘まんだオヒネリの形である。

大和郡山市新木町(にきちょう)の新城神社の節分祭。

ここには袋詰め、オヒネリの形は見られない。

参拝者は別器に持ってきた豆を供えて、村神主が別途用意していた器に盛った福豆を一握り持ち帰る。



地域によって一定の形でない福豆交換。

本来のあり方よりも清潔さを考えた手段はさまざまな形式を生む。

境内にずっと立ち尽くす男性がおられた。

大阪の堺から来たという男性。

堺のある神社。

仁徳天皇というか、おほさざきのみこと(大鷦鷯尊)に導かれて当地に来たという。

男性がいうには、若宮さんという神々が枕元に立たれて「葛木神社に参られよ」とお告げがあった、という。

ネットなどで探した結果、お告げがあった神社は佐紀町だった。

今日初めての参拝でなく、初参拝は昨年の12月。

その後にまたお告げがあった。

「神さんにお酒を供えよ」というお告げだった。

そのお告げがあったから、本日も参ったと語る男性。

お神酒として献酒をしたいが、どうするのかわからなくて拝殿に置かせてもらった。

しばらくして拝殿に寄進者名のあるお神酒があるとわかって本社殿に供えたと・・。

その経緯を村神主に伝えて場を離れた。

そういえば、すぐ近くにヒシアゲ古墳がある。

仁徳天皇の皇后、磐之媛命(いわのひめのみこと)の陵墓とされる。

佐紀町との繋がりはここにあった。



さて、参拝の波が和らいだところで拝見させてもらった社務所保管の絵馬。

大正元年拾月吉日に寄贈された武者絵である。

寄進者は東部青年會。

連名された寄進者数は55人。

京都・山城町の祝園(ほうその)の人も併せて寄進された武者絵馬。



描いた製造人は大阪の難波。

御堂筋南本町の稲垣製、とある。

墨書された寄進者名はどなたも存じていないという。

大正元年生まれの人なら107歳。

大正元年に寄進した青年會(青年団)なら、さらに下って、仮に二十歳として計算すれば明治25年のころの生まれ。

存知し難い127年前のころの寄進者である。

(H30. 2. 3 EOS40D撮影)

三郷町の花まつりを探しに称名寺

2019年08月07日 18時58分48秒 | 三郷町へ
平成27年の4月4日の土曜日。

花まつりとお勤めをすると案内していたポスターがあった。

お勤めの場所は三郷町龍田北称名寺と書いてあった。

いつか取材する機会があればと思ってメモっていた。

ただそれだけの手がかりに出かけた三郷町の龍田。

3年前に見かけた掲示板。

そこに手がかりがあるだろうと思って車を走らせたが、それらしき案内が見つからない。

付近にお寺があるだろう探してみるが見つからない。

もしか、あそこではと下った三差路付近にある寺院。

浄土真宗本願寺派称名寺だろう。

呼び鈴を押して尋ねた花まつりの件。

たまたま来られた檀家婦人や住職の話しによれば、花まつりのお勤めは平群惣西本願寺派寺院が持ち回りで運営している事業だった。

ただ、すべての寺院でなく、僧侶不在とか賄うことができない寺院は外すそうだ。

持ち回りは順番でなく、できると決断された寺院挙手による順になるから、いつも決まっているわけでもない。

今年は4月7日の土曜日。

本日であるが、なんと地元になる大和郡山市の車町・光専寺若しくは今井町の光慶寺でしているらしい。

営みがはじまる時間は午後1時。

すでに始まっている時間帯。

とてもじゃないが間に合わずに断念である。

正面、威容を誇る称名寺の本堂。

大和川沿いのJR大和路線傍を通る新道ができたのは30年前のこと。

道路新設および拡幅工事によって称名寺は移転・移築した。

西本願寺よりも立派と云われる本堂はコロで転がして移動した。

工事はどれぐらいの期間を要したかわからないが、現在地に移転した。

その際・蔵裏を新築。

蔵裏反対側のお堂も改築したと檀家婦人が話してくださった。

(H30. 4. 7 SB932SH撮影)

泌尿器科の3カ月検診

2019年08月06日 09時47分38秒 | むびょうそくさい
本日は泌尿器科の3カ月検診。

前回は1月12日。あれから3カ月。

月日の経過はとても早く感じる。

毎回、処方された薬の恩恵を受けて利尿はまったく問題のない日々を送っている。

薬の「ナフトピジルOD錠75mg(サワイ)」に効き目があるということだ。

この日の尿検査結果に赤ペンを入れた白血球。

結果値は1-4/HPF。

特に問題は見られないということで、終わりと云いたいが、前立腺肥大によって押され気味の尿管は広げておかないとエライことになる。

(H30. 4. 6 SB932SH撮影)

トライアル宝来店で買ったブリの子は含め旨煮料理

2019年08月05日 09時33分32秒 | だんらん
帰り道に選んだ道は真っすぐ西へ。

そのまま真っすぐ突き進めば阪奈道路。

そして生駒の峠越をして大阪・東大阪に着く。

尤もそこまで行ってしまえば、明らかに道迷い。

奈良公園辺りまで結ぶ幹道は観光客帰りの車と一緒になる時間帯であれば、やはり混む。

以前はもっと渋滞があったが、近年はそうでもなくなった県道308号線。

買物したい店はスーパートライアル宝来店。

ときおり寄ってはいろんなものを買いそろえる。

なくても何かがあるだろうと思ってトライアルカードを手にして入店する。

なにげに見た海鮮。

いつも見る商品棚にはそんなものはない。

えっと思ったぐらいのネタに思い出したのがタイの子の煮付けである。

所帯をもった数年後。

十年も経っていないころだったか・・。

街の小さなスーパーがあった。

お肉も海鮮ものも非直営店で売っていたタイの子。

子どものころから大好きだったタイの子。

行きつけだったスーパーコマトラは夜逃げしたものだから、入手することはできなくなった。

価格はそれほど高くもなく、どちらかと云えば安い方だった。

タイの子の他、タラの白子も売っていた時代から、もうずいぶんと経った。

記憶によれば平成15年まであったスーパーコマトラ。

あれほど美味しく、しかも安価で提供していたお店は2度と出会うこともない。

さて、スーパートライアル宝来店で見た海産ものは・・。

ブリの子である。

価格は219円。

お値段以上にぶっといブリの子。

親のブリがどれほど大きいのか想像もできないくらいの大きさ。

パックに盛っていたブリの子は3房。

尤も2房でセットもんだから、もう1房は、もう一尾のブリになる。

買ったブリの子を見せたらびっくりして、どうするのん、と返す。

そう、味付けはタイの子と同じで良いから、今夜の食卓に、とお願いした。

入浴を済ませて席についた食卓に、どでーん。

思った以上の大きさに腰が抜けそうになった。

そんな大げさな、と云われそうだが、ほんまにそう思うくらいのでっかいブリの子。

お味は濃いものでもなく、薄味でもない。

ほどよい味付けである。

ただ、身はタイの子よりも分離が悪いのか、それとも粒が小さいのか、箸で摘まみにくい。

がつんと食べたいが、箸で摘まめる量が少ない。

少ないが味は旨い。とても美味いから箸が止まらない。

ブリの子はビールよりも日本酒が口に合う。

食べる量はちょびちょび。

これが良いのだ。

酒の肴にもてこいのブリの子。

房がでかいので、今夜は半分で取りやめ。

残りは翌日の晩食に回した。

タイの子もタラの白子もいつの間にか高級食品になってしまった。

それがなんと、ブリの子ならこんなに安い。

すぐ、とは云わないが、期間を開けてもう一度狙ってみたい。

(H30. 4. 5 SB932SH撮影)

米谷町・白山比咩神社の小正月

2019年08月04日 09時43分18秒 | 奈良市(旧五ケ谷村)へ
朝7時ころから降り出した雨はやがてみぞれになっていた。

昨今の天気予報はよく当たる。

今はもう当たるという表現は避けた方が良いのかもしれない。

県内の山間地に至っては、みぞれでなく本雪になっていた。

天理東から入った西名阪国道は雨に濡れた道路だった。

しばらく走れば五ケ谷ICに着く。

それまでなんともなかった車内の温度がぐっと下がって、足元や膝などが冷んやりする。

ここまで来るルートは大和郡山市内の稗田町を東進。

井戸野町を抜けて天理市楢町辺り。

さらに東進して中之庄町から農道を利用する。

平坦部であるが、畑地の多い地域が真っ白になっていた。

畑の作物も白い帽子を被っていた。

降雪量は多くないから、やがてみぞれに戻れば解けてしまうだろう。

さて、降りたところが五ケ谷IC。

忘れもしない日がある。

山添村の民俗取材に向かっていたときだ。

平坦では雨だったが、この日と同じように天理東から西名阪国道に入ってと同時に雪が降ってきた。

みるみるうちに道路が真っ白。

降雪量はとんでもない早さで天から降りてくる。

スタッドレスタイヤであったが、こりゃ本降りどころか、とてつもない量が一気に。

真っ白になった道路を先行するトラックなどの轍を踏んでとろとろ走行。

やがて到着した五ケ谷ICは出入り口が閉鎖。

泣く泣く走り続けて針テラスで助けられた平成25年の1月14日

今回はまずそこまでの降雪量にはならないと思った。

目的地は奈良市米谷町の白山比咩神社。

村の入口でもある神社参道前。

数台の車が停まっていた。

うち一台は車の屋根が真っ白に覆われていた。

車の所有者は寿福寺上ノ坊住職だった。

本堂はもっと奥になる高地。

福住に近い地は標高410m。

結構な量の雪が降っていたという。

参道は積もっていないが、山間に生える樹木は真っ白になっていた。

手水舎があるところだけは樹木の空白地帯なのか、そこだけが真っ白になっていた。

朱の鳥居を潜って登っていけば、そこは一面が真っ白。

粉雪というか、パウダー状になった積雪を踏みしめたらキュッキュと音がでる。

この日は2月1日の「小正月」行事である。

2月1日は「一夜正月」、若しくは「重ね正月」とも呼ばれるらしい。

最初の朔日(ついたち)を2度目の正月として、数え年で厄年にあたる人に一つ歳をとらせて、早く厄年をやり過ごそうとした考え方のようだ。

2度目の正月を二ノ正月と呼ぶ地域は割合に多い。

これも2度目の正月のことで2月朔日になる。

ただ、米谷町の「小正月」名称が気になる。

小正月は1月15日である。

ひと月遅れに小正月行事をする地域がある。

つまりとんどである。

とんどは小正月行事であるから1月15日。

とんどの火付けを前夜の1月14日にする地域も少なくはない。

このとんどを2月15日に行う地域がある。

あまり知られていないが、ごく一部の地域でされているとんどである。



この日に集まる米谷の十一人衆に上ノ坊寿福寺住職。

宮総代を務めていたOさんの他、2名が繰り上げした座中入り。

暖房のある籠り所に集まっていた。

米谷の参拝はめいめいが順次済ませて暖をとっていた。



菜花にニンジン、コイモ、バナナにパンの御供は予め村神主が供えていた。

映像では見えないが、洗米に丸めた小豆も供えたという社殿は、村の人が云うにはチンジサン

鎮守社が訛ったチンジサンであるが、史料の『五ケ谷村史』から推定した大山祇神を祀る山王神社である。

お供えはチンジサンだけでなく、本社殿にも並べている。



社殿の壇に置いた白いものは寿福寺上ノ坊が用意した“米谷宮”の文字があるごーさん札である。

村の戸数分の枚数を束ねて置いている。

右に立てかけているのは村神主が用意した2m以上の長さがある7本のウルシ木だ。

ごーさん札にウルシ木が揃えばオコナイ。

そもそものオコナイはムネの薬師さんで行われる仏行事であるが、本日の小正月行事は白山比咩神社で行われる神社行事。

ごーさん札は2種類ある。

仏行事のごーさん札の中央に配置した文字は「壽福寺」。

本日は神社行事だけに「米谷宮」の文字である。

2枚を揃えて苗代に立てる豊作の願い。

平成29年の4月21日に拝見したO家の水口まつりに「米谷宮」のごーさん札を拝見していた。



ところで、ごーさん札の“米”の文字である。

知人のFさんは、この文字を見て素直に判読した「八」に「木」である。

まさにその通りに読めるが、「米谷」町を知っている人なら、これもまた素直に「米」谷と読むであろう。

もう一人の知人にMさんがいる。

なにかといろんなことを深い知識と情報をもつMさんの見立ては“はち”に“ぼく”。

つまりは“八”に“木”である。

いつの時代にどなたがいい出したのかわからないが、“米”の文字を分解した“八木(はちぼく)”である。

つまり、米谷で作る米が豊作になってほしい、という思いが、“米”の文字を分解し、“八木”文字を生み出したのでは・・ということだ。

ネット調べによれば、「・・享保の改革に・・米価の統制に力をいれた徳川八代将軍の徳川吉宗・・・米の文字を分解して“八”、“木”・・・・・人々は、はちぼく“八木”将軍と暗喩した・・・」とある。なるほどである。



一老のKさんから座に上がれ、とご下命が下った。

宮総代から、そう伝えられて座中一同に挨拶させていただき下座につく。

一老が話す先人、つまり先輩が話していたこと。

「意味はこうじゃ・・・」と、言って語ってくれた。

米谷の行事の数々を拝見してきた2年間。

前述した神仏習合のオコナイ行事。

苗代に豊作を願う村の初祈祷などとの関係性を話したら、2月8日に神主渡し、2月22日はデンガクにも来てほしい、と言われた。

大安のえー日に、豆の交換をする節分のトシコシもあるという米谷の年中行事。

昔は「百座」があったという。

『五ケ谷村史』に書いてある「百座」を補正、要約する。

「2月9日の百座。村神主の交替披露の日。むかしは村神主の家に招かれる十一人衆。夜には神社でオッサン(上ノ坊寿福寺住職)によって仁王経を読経された後、親類らも集まって賑やかに飲食した。今は昼間。神社に集まり、終わるようにしている。住職と新の村神主が拝殿に座り、後は籠り所に座ることになっている。旧の村神主が準備をして、佐多人がこれを助ける。十一人衆の他、氏子総代のうち、一人が陪席する。“肥後和夫氏の宮座資料”によれば、この日の村神主は十一人衆、佐多人とともに、神社へ参り、神前に“トリの盃”、と云って、一尺二寸、三寸ほどの盃を旧の村神主、一老、二老の順に飲み廻し、最後に旧の村神主に戻り、さらに新の村神主が飲む作法があった、と記している」とある。

村史はさらに「百座の名称は、地元では坊さんが百人も読経したために、或いは夜通しに籠りをしたので、火を焚くのに、柴が百駄も要ったからなどと云われているが、仁王経に見られる“仁王般若経護国品”の故事に基づく百座仁王講に由来する名称かと思われる。」

また、続けて「『定式』(※宝暦六年、安政六年に書写された宮本定式之事)には正月九日の行事とあり、社僧、平僧によって仁王経を読経されたことが記されており、そのときの献立も詳しく記されており、参考になる」と締めている。

現在おられる十一人衆には記憶のない百座のこと。

村史に記述された報告内容で読みとるしかない。

さて、この日の座中。

今年のマツリをどうするか、である。

トウヤ(唐屋)も一巡した。

次のトウヤ(唐屋)を決めるフリアゲや費用負担などさまざまな案件がある。

最終的には2月の町集会で決めなければならない。

座の〆に行われる“ゼニ カネ コメ”の作法である。



佐多人が手にした牛玉寶印。

古くから伝わる朱印にベンガラを混ぜたと思われる朱肉ももつ。



上座から順にされる“ゼニ カネ コメ”の作法。

両手を差し出した手のひらに“ゼニ”、“カネ”、“コメ”と声をあげて3回。

判を捺すような恰好でする牛玉寶印の作法。



“ゼニ カネ コメ”は大判小判のうちの小判。

つまり食べもんと同じ、金の”銭“。

手で受けて“銭”、“金”、“米”を授かる。



にこやかに盛り上がった座中の一人、一人が“銭”、“金”、“米”を授かる。

いわば各戸に福を授かり、村が反映するという願いにほかならない、と思うのである。

「あんたもしてもらいや」、と云われて左手で受けて捺印。



まるで認めてもらったような錯覚に陥る。

なお、寿福寺上ノ坊住職神名帳詠み、般若心経の祈祷もあるようなことを聞いていたが、この年は見られなかった。

一老のKさんが唐突に云った台詞。



「神社庁に行って神職になれ」のお言葉。

ありがたく賜るが、申しわけないが、その力はないと思う。

(H30. 2. 1 EOS40D撮影)

S&Bからし明太子ソース和えきしめん

2019年08月03日 09時47分13秒 | あれこれインスタント
先月に食べたスパゲティはいずれもスパゲティ麺ではなくきしめん利用。

クリームソースも旨いが、明太子ソースが特に美味い。

前回のクリームパスタソースはハチ食品の明太子クリームだったような気がする。

これも良いが、また一つインパクトのあるスパゲティが欲しくなる。

ソースだけでは満足できないから、潰した生明太子そのものも混ぜて作る。

きしめんはいつもの冷凍きしめん。

売っている店は業務スーパーしか見られない。

つい最近になって買いだしたスパゲティソースはS&B社製

生風味を謳い文句。

明太子たっぷりに旨みぎっしり。

添えつけに切り海苔もある。

買った店はスーパーマツゲン(松源)。

160円くらいで買ったようだ。

冷凍きしめんをほどよく湯もどし。

皿に盛ったらからし明太子ソースを落として、麺に絡めるようにを混ぜる。

潰しておいた生明太子そのものもばらばら落として、また混ぜる。

切り海苔だけではもの足りないので、刻み紫蘇をパラパラ振りかける。



フォークで食べてもいいし、お箸でも。

がっつりいきたいところだが、よそうのは少なめ。

味わいたいからそうする。

ちびちび食べて美味いんか、と云われそうだが・・。

こりゃ美味い。

むちゃ美味い。

きしめんに絡めたソースは実に濃い。

からし明太は濃厚。

ずるずる、ずるずる食べるきしめん味。

ちゅるっと感があるから喉越しも良い。

最近はとにかくきしめんに嵌っている。

今度は平打ちスパゲティで食べてみたいと云ったかーさん。

ちゅるちゅる感はたぶんにないが、コシがあるだろう。

茹でる加減で食感は替わると思うが、次回はそうすることになった。

(H30. 4. 4 SB932SH撮影)
(H30. 4. 5 SB932SH撮影)・・・

神饌・供えるこころ-野本暉房-出版記念写真展内覧会in奈良県文化会館

2019年08月02日 09時34分24秒 | しゃしん
展示写真は142点。

しかも大判が5、6枚もある。



正面受付の4枚は実に煌びやか。

圧倒される迫力写真が次々と迫ってくる。

この日は『神饌・供えるこころ-野本暉房-』出版記念写真展内覧会。

直会と称して招待された関係者席は100席も・・。

知人、友人に応援団が繰り広げるイベントに盛り上がる。

直会のお品書きは奈良大和ならではの特別誂え品物である。



最近、発売になった柿の葉すし味のポテトチップスは愛嬌としても1、2、3・・・すごい。

ため息が出そうな誂え品は薮田洋輔氏が独自に開発したきたまち豆腐店のトーフドーナツ。

甘さ控えめが優しい豆腐で作られたドーナツ。

お菓子であるように思えるが・・豆腐だけにちょと違う味わいが実にいい。

火打ち餅」は川上村高原の特産品

道の駅にも売っていることがある名産品の草餅。

これもまた甘さ控えめ。

朝に村の女性二人が一所懸命になって作ったという。

赤い苺は萩原苺農園産の古都華。

奈良の苺に違いないと思うが、ネーミングからあすかルビーを期待していたが・・。

お茶は“山笑う”水出し茶。

奈良市月ヶ瀬に住んでいるティーファーム井ノ倉さんが生産・販売している商品。

気品あるお茶が寛ぎを与えてくださる。

紙漉き宇陀紙の敷き紙は吉野町国栖の福西さんの手漉き。

こんなの滅多なことで手に入るわけがない品。

ありがたく持ち帰って食卓テーブルを盛り上げたい。

お箸は云わずとしれた吉野杉。

宇陀市室生の安田商会の商品だ。

箸置きがすごい。

大和郡山市内で店を構えてお弟子さんなどに技法を伝えている。

綿元は屋号。

元々は布団屋さんだった西井康元さんが一代で築いた藍染師である。

箸置きにそのまま使うのがもったいないことで・・。



で、後日に食べた">柿の葉すし味のポテトチップス

晩飯後のちょっとお酒の肴に袋を開けた。

一口、二口、三口食べても柿の葉寿司の味がわかんない。

適度な塩加減が逆に良いからバリバリ食べる。

お酒を飲めば食が止まらない。

手元に持っていったかーさんは袋ごとごそごそ。

出しては口へ出しては口へ・・。

これって美味しいやん、だ。

そうこうしているうちにときおりふと感じる柿の葉寿司らしき味が・・。

すぅーっと消えた。

午後6時から始まった直会。

2時間滞在に美酒一滴の味わいもない。



素で酔うわけにもいかない私は久しぶりにお会いしたM先生と連れだって立ち飲み屋の「蔵元 豊祝」店行き。

角打ちにいただくアテは先生におまかせに一杯、二杯、三杯・・・・。



積もる民俗話が拡がって・・・酒盃が増えていく。

(H30. 4. 3 SB932SH撮影)
(H30. 4. 5 SB932SH撮影)