今年も出かける和歌山での写真展。
毎年のお楽しみに食事はどうするか、である。
その件については後述の“テイクアウト”コーナーでアップするが・・・
写真展を拝見して昼飯になるコース時間を設定した結果は自宅を午前9時に出発である。
走路コースは京奈和自動車道を第一義にする。
昨年にほぼ全線が開通した京奈和自動車道。
阪和道路に繋ぐ一部の路線は有料であるが、以外はすべてが無料。
こんなありがたい国道はあまりない、と思うのだがどうなんだろうか。
奈良県側の郡山下ツ道JCTに入るまでがケッコーな時間がかかる。
信号待ちに一部渋滞。
その日の状況、或いは時間帯によって10分ほどの差がつく。
郡山下ツ道JCTから橿原北ICを出るまでは実にスムーズ。
降り口直後の信号待ちで若干の遅れを生じる。
降り口直後に信号がある高速道路はいずこも大同小異の待ち時間。
構造的な問題を抱えているにも拘わらず見直し・検討もされない国交省。
なんとかならないものかと毎度の信号待ちにイライラ感がつのる。
橿原北ICから橿原高田IC間は事業化も未定の地道走行。
一挙に車両量が増えるわ、信号はあるわ。
しかも、橿原イオンモール来客も多いのでノロノロ。
これもなんとかならんのか、とつい愚痴りたくもなる。
橿原高田ICに入った時間帯は午前9時50分。
自宅を出て50分。
距離はまったく伸びていない。
橿原高田IC―御所IC―御所南IC/PA―五條北IC―五条西IC―橋本東IC―橋本IC―高野口IC―紀北かつらぎIC―かつらぎ西IC/PA―紀の川東IC―紀の川IC―岩出根来IC/TB―和歌山JCTの全線が開通しているが一部は有料道路になっている。
その一部とは岩出根来IC/TB―和歌山JCT間の6.3km。
阪和道に入ってしまうにはもったいないから岩出根来IC/TBで下りるに限る。
そこからは一般道路。
はじめに出会う一般国道交差点信号を右に折れて南下する。
目印といえば岩出寺だが、そこへは行かずに岩出市街に向けて走る。
岩出市・根来西の信号を右折れて一直線。
紀泉台西入口信号を左に折れてずっと南下。
しばらく走ればスーパー松源が目に入る。
目と鼻の先にある信号は目黒。
国道24号線との交差点。
そこを右に折れてひたすら西に向けて走る。
ここまで来たら記憶にある道。
ちょっとヤヤコシイ信号さえ間違えなければ間違いなく伝法橋南ノ丁7番地にある和歌山市民会館に着く。
到着した時間は午前11時20分。
我が家を出発してから2時間20分。
橿原高田ICからだったら1時間半。
地道でなく有料道路の阪奈道を利用すれば20分は短縮できるらしい。
着いたときは和歌山市語り部クラブの解説が始まっていた。
写した資料を提示して解説していたテーマは友が島砲台だった。
昨年の語り部とは違う人。
喋りは坦々としているのでまだ聞ける。
昨年の人はまったく頭に入らない独善的語り。
語り部の人であるが、語りはあまりにも酷かったことを覚えている。
語り部の会の人たちとともに友が島を美しくする清掃ボランテイア活動をしてきたJNP和歌山第二支部。
そのお付き合いから写真展で語るようになったようだ。
それはともかく今回拝見したJNP和歌山第二支部の作品群。
目が輝くくらいの景観情景写真に見惚れていた。
どれこれもかっしりした作品。
しっとりとした質感はデジタルでは味わえない。
すべての作品はフイルムと聞いて、なるほど、である。
憧れの作品が目白押し。
私なんぞの力量ではとてもじゃないが届かない素晴らしい作品。
ピンの甘さはどこにも見当たらない。
惹きつけられる写真は3度も廻った。
拝見していたら解説してくれた男性がいた。
支部長のNさんである。
遠くに出かけて撮ってきたが、やはり地元を忘れては・・・という。
私もそう思って知人が所属するクラブの写真展を見てきた。
どこを撮影地に選んでいるのか、である。
遠くに行かなくても、あった地元の景観。
灯台下暗しに気づいて今では近場に出かけているという。
なんやかやの会話に共通の知人がいたことを知った。
前日にお会いしていた第12回フォトサークルDAN選抜写真展代表の宮崎壽一郎さんも、前JNP奈良支部長のTさんも第二支部のYさんも話題に登場する。
尤も一番古くからのお付き合いはD夫妻である。
JNP和歌山市部を立ち上げる以前から存じている夫妻。
出会った場所は和歌山でもなく奈良県の野迫川村立里荒神。
その日は15年も前のこと。
平成15年1月2日だった。
当時の仲間で立ち上げたHPに公開していたフイルム作品。
たしかHPの名称は「CLUB-67」だった。
その名が示すようにカメラ67。
HPは閉鎖されたが、今でも続くネット公開は転じた平成20年7月に立ち上げた「風景写真~奮闘日記」がある。
時刻は12時を過ぎていた。
そろそろ戻る時間帯になったかな、と思っていたところにこの度、素晴らしい銀賞を取得したKさんのご出動。
おめでとうございます、の写真は優れもの。
またまた見惚れて今回の展示作品をまた見て廻る。
途中の食事時間もあったが、市民会館を出てから自宅まで。
戻りは行きよりも早くて1時間50分で着いた。
(H30. 4.21 SB932SH撮影)
毎年のお楽しみに食事はどうするか、である。
その件については後述の“テイクアウト”コーナーでアップするが・・・
写真展を拝見して昼飯になるコース時間を設定した結果は自宅を午前9時に出発である。
走路コースは京奈和自動車道を第一義にする。
昨年にほぼ全線が開通した京奈和自動車道。
阪和道路に繋ぐ一部の路線は有料であるが、以外はすべてが無料。
こんなありがたい国道はあまりない、と思うのだがどうなんだろうか。
奈良県側の郡山下ツ道JCTに入るまでがケッコーな時間がかかる。
信号待ちに一部渋滞。
その日の状況、或いは時間帯によって10分ほどの差がつく。
郡山下ツ道JCTから橿原北ICを出るまでは実にスムーズ。
降り口直後の信号待ちで若干の遅れを生じる。
降り口直後に信号がある高速道路はいずこも大同小異の待ち時間。
構造的な問題を抱えているにも拘わらず見直し・検討もされない国交省。
なんとかならないものかと毎度の信号待ちにイライラ感がつのる。
橿原北ICから橿原高田IC間は事業化も未定の地道走行。
一挙に車両量が増えるわ、信号はあるわ。
しかも、橿原イオンモール来客も多いのでノロノロ。
これもなんとかならんのか、とつい愚痴りたくもなる。
橿原高田ICに入った時間帯は午前9時50分。
自宅を出て50分。
距離はまったく伸びていない。
橿原高田IC―御所IC―御所南IC/PA―五條北IC―五条西IC―橋本東IC―橋本IC―高野口IC―紀北かつらぎIC―かつらぎ西IC/PA―紀の川東IC―紀の川IC―岩出根来IC/TB―和歌山JCTの全線が開通しているが一部は有料道路になっている。
その一部とは岩出根来IC/TB―和歌山JCT間の6.3km。
阪和道に入ってしまうにはもったいないから岩出根来IC/TBで下りるに限る。
そこからは一般道路。
はじめに出会う一般国道交差点信号を右に折れて南下する。
目印といえば岩出寺だが、そこへは行かずに岩出市街に向けて走る。
岩出市・根来西の信号を右折れて一直線。
紀泉台西入口信号を左に折れてずっと南下。
しばらく走ればスーパー松源が目に入る。
目と鼻の先にある信号は目黒。
国道24号線との交差点。
そこを右に折れてひたすら西に向けて走る。
ここまで来たら記憶にある道。
ちょっとヤヤコシイ信号さえ間違えなければ間違いなく伝法橋南ノ丁7番地にある和歌山市民会館に着く。
到着した時間は午前11時20分。
我が家を出発してから2時間20分。
橿原高田ICからだったら1時間半。
地道でなく有料道路の阪奈道を利用すれば20分は短縮できるらしい。
着いたときは和歌山市語り部クラブの解説が始まっていた。
写した資料を提示して解説していたテーマは友が島砲台だった。
昨年の語り部とは違う人。
喋りは坦々としているのでまだ聞ける。
昨年の人はまったく頭に入らない独善的語り。
語り部の人であるが、語りはあまりにも酷かったことを覚えている。
語り部の会の人たちとともに友が島を美しくする清掃ボランテイア活動をしてきたJNP和歌山第二支部。
そのお付き合いから写真展で語るようになったようだ。
それはともかく今回拝見したJNP和歌山第二支部の作品群。
目が輝くくらいの景観情景写真に見惚れていた。
どれこれもかっしりした作品。
しっとりとした質感はデジタルでは味わえない。
すべての作品はフイルムと聞いて、なるほど、である。
憧れの作品が目白押し。
私なんぞの力量ではとてもじゃないが届かない素晴らしい作品。
ピンの甘さはどこにも見当たらない。
惹きつけられる写真は3度も廻った。
拝見していたら解説してくれた男性がいた。
支部長のNさんである。
遠くに出かけて撮ってきたが、やはり地元を忘れては・・・という。
私もそう思って知人が所属するクラブの写真展を見てきた。
どこを撮影地に選んでいるのか、である。
遠くに行かなくても、あった地元の景観。
灯台下暗しに気づいて今では近場に出かけているという。
なんやかやの会話に共通の知人がいたことを知った。
前日にお会いしていた第12回フォトサークルDAN選抜写真展代表の宮崎壽一郎さんも、前JNP奈良支部長のTさんも第二支部のYさんも話題に登場する。
尤も一番古くからのお付き合いはD夫妻である。
JNP和歌山市部を立ち上げる以前から存じている夫妻。
出会った場所は和歌山でもなく奈良県の野迫川村立里荒神。
その日は15年も前のこと。
平成15年1月2日だった。
当時の仲間で立ち上げたHPに公開していたフイルム作品。
たしかHPの名称は「CLUB-67」だった。
その名が示すようにカメラ67。
HPは閉鎖されたが、今でも続くネット公開は転じた平成20年7月に立ち上げた「風景写真~奮闘日記」がある。
時刻は12時を過ぎていた。
そろそろ戻る時間帯になったかな、と思っていたところにこの度、素晴らしい銀賞を取得したKさんのご出動。
おめでとうございます、の写真は優れもの。
またまた見惚れて今回の展示作品をまた見て廻る。
途中の食事時間もあったが、市民会館を出てから自宅まで。
戻りは行きよりも早くて1時間50分で着いた。
(H30. 4.21 SB932SH撮影)