佐紀東町乾垣内葛木神の節分祭を拝見した次はすぐ近くになる山陵町字山上の八幡神社に向かう。
同神社は幾たびか訪れていた。
初めて訪れたのは平成19年の10月7日であるが、祭りの祭典中であったから声もかけずに場を離れた。
それから数年後の平成26年の12月31日。
2人の写真家に、神社で合流した知人とともに拝見した大晦日の様相に感動し、設えた板注連縄に用立てする稲刈り作業を撮らせてもらったことのある神社。
その後の平成28年12月15日。
板注連縄を設えるころだろうと判断して出かけたが、既に終わっていた。
今の村神主は前年の平成29年12月に前村神主から引き継いだ、老人会会長も兼務するMさん。
当社の大祭は年に3回ある。
その都度に出仕してもらう神職とともに祭祀する。
自治会は47軒であるが、氏子数は34軒。
宮さん務めする人が少なくなり、Mさん自身も務める村神主は今回で3度目。
実質、六人衆の5人が順に一年交替で役を廻している。
節分に供える豆は六人衆めいめいが仕入れてきたもの。
開封、バラした豆を枡に入れたものと袋詰め二通りに整えて供えている。
時間ともなれば村神主が動き出す。
用意しておいた台燈明に火を点ける準備をする。
神主家で預かっている古い燈明箱。
歴史風情がある燈明箱は黒光りの照り。
代々の神主、六人衆が大切に継承してきた燈明箱に感動する。
丸い窓はお日さん、反対側の窓はお月さん。
灯籠にも見られる造りに蝋燭の火が美しい。
実は、燈明箱に移したオヒカリは風で消えないように神社に持ってきたという。
そのオヒカリで台燈明に火を移す。
今年は風にあたって消えてしまわないように工夫をしている。
風の通り道になる西風。
社殿より西側に設えた透明シートの風除けである。
この在り方は斑鳩町の龍田神社で拝見したことがある。
行事は風祈祷。
台風など大風で育ってきた稲が倒れないように祈る農事行事。
風に負けないように何本もの燈明を灯す。
行事日が微弱な風であれば燈明の火は消えることはないが、強い風の場合は何度灯してもすぐに消える。
その風を避けて通れないから透明シートを設える風除け。
平成23年の7月16日に拝見した。
さて、山上八幡神社の節分である。
先に準備していた福豆を供えてから台燈明に一本ずつ蝋燭に火を点ける村神主。
台燈明の形は仏具であれば燭台。
台燈明にも同じように溶けて流れる蝋を受ける部分にそれがある。
すべて灯したら、参拝者が頭を下げる。
次々に訪れる氏子たち。
割拝殿に設えた暖房機。
2月初めの空気は冷たい。
おまけに風もある夜の参拝に準備したストープが身体を温めてくれる。
下げたお神酒に割きスルメをいただく氏子たち。
仲のいい宮守経験者の話題はつきない。
しばらくしたら、ストープの上で焼く干しスルメも登場した。
焼けたスルメの匂いでお神酒をいただく。
もちろん焼けたスルメも手で割いていただく。
スルメの他に干し魚も焼いていた酒の肴にお神酒がすすむ。
そのころともなれば続々と参拝者がやってくる。
いつもなら、半紙に包んでオヒネリの形にしてお供えしていたが、今年は枡に入れてきたという若年層の男性。
家から持参した豆を供えて参拝する。
空になった枡に村神主が準備してくれた福豆をたばってきた。
枡いっぱいに盛った福豆たばりの様相を撮らせてもらった。
台燈明のローソク火が消えるまではこうして参拝者を待っている村神主に六人衆。
この日は節分。
割拝殿の柱に取り付けたヒイラギイワシを拝見していた。
柱だけでなく本社殿前にある柱にもあると云われたヒイラギイワシ。
藁縄を柱に結んで落ちないようにしている。
鰯の頭を刺したヒイラギの枝を藁に差し込む。
なるほどの仕掛け。
神社らしさがいい感じ、である。
六人衆が揃ったところで神社の決め事を伝えられる。
先だって決まった板注連縄の決定事項の通知である。
これまでずっと毎年してきた板注連縄を廃止して、一般的な形の注連縄に移行する、という件である。
一般的な形を手作りするのではなく、業者から購入することになった、という。
この日も架けていた板注連縄。
師走まではこのままの状態であるが、大晦日になれば、新しく購入する一般的な形の注連縄にするという決定事項である。
なお、Mさんが云うには、板注連縄は七、五、三編みでなく、すべて七本ずつの藁束単位で繋げていたもの。
ある年に数えた藁の本数は1680本だった、という。
この本数、村の記録に残したく付記しておく。
(H30. 2. 3 EOS40D撮影)
同神社は幾たびか訪れていた。
初めて訪れたのは平成19年の10月7日であるが、祭りの祭典中であったから声もかけずに場を離れた。
それから数年後の平成26年の12月31日。
2人の写真家に、神社で合流した知人とともに拝見した大晦日の様相に感動し、設えた板注連縄に用立てする稲刈り作業を撮らせてもらったことのある神社。
その後の平成28年12月15日。
板注連縄を設えるころだろうと判断して出かけたが、既に終わっていた。
今の村神主は前年の平成29年12月に前村神主から引き継いだ、老人会会長も兼務するMさん。
当社の大祭は年に3回ある。
その都度に出仕してもらう神職とともに祭祀する。
自治会は47軒であるが、氏子数は34軒。
宮さん務めする人が少なくなり、Mさん自身も務める村神主は今回で3度目。
実質、六人衆の5人が順に一年交替で役を廻している。
節分に供える豆は六人衆めいめいが仕入れてきたもの。
開封、バラした豆を枡に入れたものと袋詰め二通りに整えて供えている。
時間ともなれば村神主が動き出す。
用意しておいた台燈明に火を点ける準備をする。
神主家で預かっている古い燈明箱。
歴史風情がある燈明箱は黒光りの照り。
代々の神主、六人衆が大切に継承してきた燈明箱に感動する。
丸い窓はお日さん、反対側の窓はお月さん。
灯籠にも見られる造りに蝋燭の火が美しい。
実は、燈明箱に移したオヒカリは風で消えないように神社に持ってきたという。
そのオヒカリで台燈明に火を移す。
今年は風にあたって消えてしまわないように工夫をしている。
風の通り道になる西風。
社殿より西側に設えた透明シートの風除けである。
この在り方は斑鳩町の龍田神社で拝見したことがある。
行事は風祈祷。
台風など大風で育ってきた稲が倒れないように祈る農事行事。
風に負けないように何本もの燈明を灯す。
行事日が微弱な風であれば燈明の火は消えることはないが、強い風の場合は何度灯してもすぐに消える。
その風を避けて通れないから透明シートを設える風除け。
平成23年の7月16日に拝見した。
さて、山上八幡神社の節分である。
先に準備していた福豆を供えてから台燈明に一本ずつ蝋燭に火を点ける村神主。
台燈明の形は仏具であれば燭台。
台燈明にも同じように溶けて流れる蝋を受ける部分にそれがある。
すべて灯したら、参拝者が頭を下げる。
次々に訪れる氏子たち。
割拝殿に設えた暖房機。
2月初めの空気は冷たい。
おまけに風もある夜の参拝に準備したストープが身体を温めてくれる。
下げたお神酒に割きスルメをいただく氏子たち。
仲のいい宮守経験者の話題はつきない。
しばらくしたら、ストープの上で焼く干しスルメも登場した。
焼けたスルメの匂いでお神酒をいただく。
もちろん焼けたスルメも手で割いていただく。
スルメの他に干し魚も焼いていた酒の肴にお神酒がすすむ。
そのころともなれば続々と参拝者がやってくる。
いつもなら、半紙に包んでオヒネリの形にしてお供えしていたが、今年は枡に入れてきたという若年層の男性。
家から持参した豆を供えて参拝する。
空になった枡に村神主が準備してくれた福豆をたばってきた。
枡いっぱいに盛った福豆たばりの様相を撮らせてもらった。
台燈明のローソク火が消えるまではこうして参拝者を待っている村神主に六人衆。
この日は節分。
割拝殿の柱に取り付けたヒイラギイワシを拝見していた。
柱だけでなく本社殿前にある柱にもあると云われたヒイラギイワシ。
藁縄を柱に結んで落ちないようにしている。
鰯の頭を刺したヒイラギの枝を藁に差し込む。
なるほどの仕掛け。
神社らしさがいい感じ、である。
六人衆が揃ったところで神社の決め事を伝えられる。
先だって決まった板注連縄の決定事項の通知である。
これまでずっと毎年してきた板注連縄を廃止して、一般的な形の注連縄に移行する、という件である。
一般的な形を手作りするのではなく、業者から購入することになった、という。
この日も架けていた板注連縄。
師走まではこのままの状態であるが、大晦日になれば、新しく購入する一般的な形の注連縄にするという決定事項である。
なお、Mさんが云うには、板注連縄は七、五、三編みでなく、すべて七本ずつの藁束単位で繋げていたもの。
ある年に数えた藁の本数は1680本だった、という。
この本数、村の記録に残したく付記しておく。
(H30. 2. 3 EOS40D撮影)