マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

突然に決まった老人ホームの入居伝達に美味しシャトレーゼ焼きブッセを口にする

2024年10月11日 07時49分51秒 | むびょうそくさい(おかん編)
11日の午後にかかってきた電話。

えっ、まさか・・・

入居希望登録していたハッピーガーデン西ノ京のリーダーTさんからの連絡だ。

部屋に空きができたから、入居できる、と伝えてくれた吉報。

現在も入院中の田北病院のH介護相談員に直接電話をかけて、おふくろの状態を確認。

車椅子移動ができるから入居は許諾される。

ハッピーガーデン西ノ京・事務担当のK介護福祉士と契約を交わす日程は、3月13日午前10時より。

契約者、保証人2人の印鑑。

おふくろの容態から、1階の入居に決まる。

大阪におられるケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんに、その旨伝えたら退院、直ちに入居となるので、その時点で契約は自動消滅し、ハッピーガーデン西ノ京とは直接関係のないあゆみ介護支援事務所のKさんが担当する。

ケアマネージャー間の情報連携をもって移管される。

なお認定審査会は、今日現在まだ実施されていないが、たぶんに終えて有効期限までに新介護認定書が届くので、その確認をもって転出、転入届けをすれば自動的に福祉課に移る。

大和郡山市に転入届けをしたその足で福祉課に介護認定証の件を確認しておけばいい。

この日の午後は、私がとらえた大和の民俗写真展の当番日。

来訪に多くの見学者が・・

うち、知人が二組。

丁寧な対応に、行事の取材が急遽決まった。

また、重要な撮影も入った。

そこに、おふくろの行先が決った。

施設入所は、入院している病院治療の具合もあろう。

その後、一旦は退院許可が下りたが、リハビリ運動をもう少し、の状態もある。

ただ、次の方向先が決まったことが、いちばん嬉しい。

ただ、おふくろは、一旦退院したら、我が家にしばらくは療養するつもりになるかもしれない。

さまざまな事柄が、急激な動きに、本日の写真展に来られた川西町結崎にある大念仏・融通念仏衆 萬福山超圓寺の執事が手土産にもって来られた洋菓子。

当番を終えて、我が家で落ち着きを取り戻したら、甘いものが食べたくなる。



早速、開封させていただいた手土産は、シャトレーゼの焼き洋菓子は「さくら香るふんわりブッセ」

さくさくっと食べた一枚。

ほんわか美味しい洋菓子ブッセの味。

明日、面会にもっていっておふくろにおすそ分け。

悦ぶだろうな。

(R4. 3.11 SB805SH 撮影)

ラストになった私がとらえた大和の民俗写真展、当番日の訪問にありがとう

2024年10月10日 07時59分45秒 | 民俗を語る
今日も、県立民俗博物館併設大和民俗公園内施設の古民家を活用し、「私がとらえた大和の民俗」写真展を開催している。

県立民俗博物館の意向により、今回が最後になった、「私がとらえた大和の民俗」写真展

当番日以外もできる限り、立ち寄り、来訪者に解説をしていきたい、と思っている。

午後1時から午後4時までが当番枠だが、たいがいは蛍の光が流れるまで、ぎりぎり滞在してきた。



会場近くまで来たとき、学芸主任のYさんに出逢った。

定年後は再任用勤め。

今月いっぱいで退職される。

十数年前、初めて県立民俗博物館に来館した。

調べたい大和郡山市の地域に子供たちが主役の行事を教わりたく門を叩いた。

地区は、椎木町。

行事名はショウブデンボ


ショウブは植物の菖蒲。

漢字は、菖蒲であってもアヤメ。

ショウブとアヤメの違いは、わかり難い


尋ねた結果は、調査したが最後になった、という。

対象とする子どもが村にいない。

誕生の報せもなかった旧村地域。

場所だけでも見ておきたいと、思って訪れた平成19年の5月26日

そこでお逢いした椎木の住民。

ずいぶん昔になるが、子どものときに体験した詞章は、「ネーサン ネテルカ オキテルカ ショーブデンボデ イオタロケ」の囃子詞だった。

囃子の内容といい、節回しがさも似ている「わらべ歌」のような・・・

子どもの、今は・・に期待し、翌年の平成20年にも再訪した。

ショウブデンボは、6月6日にしていた、と資料にあったから、その日に合わせて出かけたが・・・

Yさんは、さまざまな民俗を教えてくれた一人。

逆に、学芸員でもわからないことがあり、その際に反応した行事は、私が取材、或いは見聞きした範囲内で協力していた。

DVD化に旧い映像を私に見せて、ここはどこ?何をしているのか・・・にも対応したことがある。

ところで、教えてほしいことが1件ある。

それは、令和4年の企画。

「博物館でひなまつり」に展示していた”陶器製の立ち雛”
である。

室生の毛原に住む知人のFさんが、FBにコメントしてくれた「京都・立雛の作り手の名前を揚げてほしい・・」、一件である。

展示上では「回答のできない明治期になっているが、実際は江戸期。たぶんに集団工房で造りこんだものと推定している」、という。

集団による工房造りであれば作者の名は表に出ない。

実は。展示した立雛はYさんが個人的にあるところから買ってきたもの。

大阪のある文化施設に展示していた立雛の出里は奈良橿原の豪商であったようだ。

その豪商がどのような形で入手したかは、謎であるが、どうやら当時は大量に買い付けて、なんらかの祝い事に配ったようだと推定されている。

大阪の展示でわかった大量にある同形の立雛。

つまり大量生産する工房があったからこそ、それが可能だったことと、配る風習があったことによる立雛の生い立ち・・・に、だから作者の名はわかりようなく、答えられないものであった。

そのことは、私はある程度、推定はしていたが、まさかの豪商が購入。

金持ちだからこそできる手段であり、それが配る風習も絡んでいたとは・・・民俗って奥深い。

謎解きが、博物館学芸員の役目。

さまざまなことを調べて推論をたて、立証する素晴らしい職業を失った3人の学芸員。

大波乱であるが、根にあるのは、すべて県予算。

民俗調査、報告、展示に予算が組み込めない事態。

組織というか、民俗に知見どころか、見識のない人たちの怠慢が問題の根であろう。

立ち話に、もっと時間は必要だが、今日の古民家写真展は私の当番日。

早速、訪問された数名の男性。

名前を告げられて、はっとした。

そう、FBに度々訪れ、民俗に関心を持たれている川西町結崎にある大念仏・融通念仏衆 萬福山超圓寺の執事・徳野良裕氏であった。

展示見学に、わざわざお越しいただいた人たち。

徳野良裕氏は、六斎念仏鉦を調べている私を先生と呼ぶ。

まさかの先生呼びであるが、論文を執筆しているワケでもない、あくまで肩書は民俗写真家。

あるていど、というか。

ひとさま(※他人さま)より、ほんのちょっとは知しっているというレベルの私に、なんと手土産持参で来られた。



過去、何度か、同様に手土産をいただいたことがある。

お返しは、民俗行事の解説に替えて・・・

写真家たちが、それぞれ展示されている作品に一つ、一つ、作者の思いも含めて、丁寧(※にしたつもり)にさせていただいた。

順に、解説したラスト映像は、動画も収録された安堵町・寺垣内で行われた最後の営み。

映像にかつて取材させていただいた東安堵の大寶寺六斎講

取材当時の代表のお顔もあった作品は「最後の営み」。

収録後に解散された念仏講の人たちの姿をとらえていた作品の出展者は、當麻武氏。

初の展示に、初の動画作品も写真展に華を飾った。

その解散話題から、話してくれた。

実は、私たちは川西町上吐田に住まいしているが、世話になっている寺院は、大念仏・融通念仏衆 萬福山超圓寺ですが、まったく別の組織である講が、今度の営みが最後、と伝えられた。

お逢いした講中のUさんの話しによれば、6軒で営みをしているそうだ。

その講は「センゲンサン」。

富士の山こと、浅間(※せんげん)さんを崇敬する講


同一名称のセンゲンサン。

奈良市古市の講の営みを取材した
ことがある。

いつからはじまったのか、わからないが、上吐田のセンゲンサン行事は、最後の営み。

二日後の3月13日に行われる。

集まる場は、講中のお家。

まわりの家にきてもらうが、所在地がわかり難いから上吐田の春日神社に来てもらいたい、といわれた。

春日神社の行事といえば、春祭りがある。

たまたまのご縁に、取材させていただいた平成25年の3月17日


また、上吐田のとんど行事も・・・

たぶんに、奈良ではいちばん遅いニノ正月のとんど。

春祭りの1カ月前の平成25年2月15日


雨天決行の情景が印象に残っているだけに、承諾を得て最後のセンゲンサン行事に伺うことにした。

ちなみに、本日ご一緒された、もう一人の方もご住職。

なんと、立地する場は存じている大和郡山市小泉町・融通念仏衆維摩寺(※ゆいまじ)のH住職。



ご縁が広がる当番日。

午後2時15分。

今、駐車場に着いた、と電話をかけてくれた方は、これまたなんと神社の宮司。

今から写真展を拝見するから、と伝えてくれた。

宮司は、父親の代からご縁繋がりの奈良市阪原町にお住いの太田和秀宮司。

平成30年3月4日、山添村大西で行われた稲荷神社の初午行事以来、しばらくご無沙汰している。

古民家写真展に合流することになったお二人。

正式衣装で並んだら僧侶と神職。

神仏混合のお二方が、同時に観てくださる。

こんな嬉しいことは二度もないでしょ、と伝えて、解説した私のテーマ「コロナ禍、そのときのT家は・・」。



それぞれの写真家たちがとらえた大和の民俗情景も、その撮影主旨や、見方のポイントを語った。

所用がある、と先に帰られた僧侶と講中にありがとうございました、と見送った。

ところで、と話し出した宮司は、撮影協力を願われた。

行事は、現在、コロナ禍で中断しているから、それではない。

撮影対象は、現在奈良県美術館に寄託保管していただいている五枚(※実際は六面であった)の古い能面(※文化財一覧によれば室町、桃山、江戸時代)である。

撮影は、当初、村の人が所有するデジタルカメラで収めようと、していたそうだ。

簡単に撮れると判断したが、素人では、えー写真にならん、と判断。

その代わりのお鉢に私の名前があがった。

指名したのは太田和秀宮司。

ありがたく受け止めたが、能面は極力移動させず、美術館内のある一角で撮影するらしい。

撮影は、本来ならスタジオ撮影。

影を出さないよう、細心の注意が要るどころか、ラインティングは少なくとも2台か、3台。

数台のストロボ装置に同期も要る。

なんせ、ちゃちゃっと撮れるものでもない。

しかも、撮った写真データは、村に寄託している奈良県美術館も提供。

保管され、展示する場合があれば、使用したい、という。

では、村ではどのように、である。

能面は、普段見ることはない。

ないが、手元(村および神社)に置いておかない、と代々が失念することも考えられる。

また、観光などで神社に来訪される人たちに、昭和30年に県指定された村の貴重な有形指定文化財の能面も伝えたい。

掲示する立て看板も新しくしたい、と・・・

撮影日も時間も、既に決まっていた有形指定文化財の撮影。

宮司は、2本のUSBを持参されるので、撮影後の当日預かり。

撮影すべてのデータと選択したデータをそれぞれのフォルダごとに収めて提出することにした。

とにかく、急ぐ撮影。

一日、一発でできあがるかどうか、心配はするが、美術館の学芸員とともにする作業だけに、ま、なんとかなるだろう。

なお、駐車場は、県警東側の駐車場に停めてください、とこれも指示があった。

(R4. 3.11 SB805SH 撮影)

ヤマダイ・凄麺シリーズの名古屋THE台湾まぜそば

2024年10月09日 07時17分02秒 | あれこれインスタント
2月中に賞味期限が切れていたヤマダイ・凄麺シリーズの名古屋THE台湾まぜそば。

もっと早くに食べりゃ、えーもんが・・・

どうしても旨そうなカップ麺は後回しにする傾向がある。



思い切って封を切った凄麺シリーズの名古屋THE台湾まぜそば。

熱々のお湯を入れて5分待ち。

ノンフライはともかく、極太麺の場合にかける麺の湯もどし時間。



温めておいた液体ソースかけ。



見るからに旨そうな名古屋THE台湾まぜそば。

魚粉の香りが広がるまぜめん特有の魚粉。

それは、別添えの小袋にある。



海苔に混ざってぱらぱら広がる旨味。

この時点で旨さがわかった名古屋THE台湾まぜそば

一口食べて、うまぁーーい。



ごしごし太麵に絡まったまぜめんソースに香りの魚粉。

まぜそばの命は魚粉にあり。

辛みはやわらか。

担々麺なら旨辛だが、まぜそばは旨旨麺。

箸が停まらないのは云うまでもない。

リカーショップのやまやで売っていた名古屋THE台湾まぜそばは、他の2品と一緒に買えばワンコイン。

ようするに選択が自由の3品でワンコイン商品。

次回の購入は、3品とも名古屋THE台湾まぜそばに決――めたっ。

(R3. 9.20 SB805SH 撮影)
(R4. 3.11 SB805SH 撮影)

無性に食べたくなったまぐたく包みが旨い①

2024年10月08日 07時47分51秒 | カンタンオリジナル
安くて、美味くてオモロイのが大阪や。

関西のテレビ番組アナナウンサーがそういってたくいだおれの街。

巷の人たちも、大阪を称する安い、美味い、オモロイの3拍子。

それって、中京テレビが制作する「オモウマい店」やん。

人情深い店主が提供する安くて旨いめし。

紹介されるお店は関東地方のお店が圧倒的。

取材先は、関東を離れ、東北、九州に大阪などにも・・・。

つまりは関西だけでなく日本全国にあるような気がする「オモウマい店」。

それとはまったくなんら関係なく、わが家のお家料理も極力、安くて旨い・・食事をと、思ってときおりチャレンジしてきた。

調理は嫌いじゃないが、自由時間がなかなか取れない。

ちゃちゃっとできそうなレシピが番組「昼めし旅」にでも放送されたら、つい試してみたくなる。

数か月前、きずし(※しめさば)調理をしてみたら、予想以上の旨さに驚いたものだ。

ある芸人さんが、言った決め台詞。

「やればできる!」に背中を押されて・・・

無性に食べたくなったまぐたく軍艦。

発端は、かっぱ寿司だった。

これってどういえば、いいのか。

不思議に感じたかっぱ寿司のメニューにあった。



まぐたくの味覚えの初めは、軍艦でなく包みタイプ
だったかもしれない。

方形海苔が一枚。

その海苔にのせた海鮮はまぐろのたたき。

ぱらぱら落としていたのが細かく刻んだ黄色い漬物のコウコ。



たくわんと呼ばず、コウコの呼び名で育った関西人。

コウコは、こうこ。

たくわんはたくわんなんだがなぁ。

まぐろのたたきなら、業務スーパーに冷凍食品として売っているからいつでも購入できる。



250g入りがほぼ500円。

通販で買っていたときのまぐろのたたきは、100gが500円。

つまり200gが千円の通販商品。

通販よりも半額で買える業務スーパーのまぐろのたたきで充分。

買い置きできる冷凍食品は助かる。



コウコは、ダイエーマルナカにあった。

コウコに胡瓜と赤かぶの3種盛り。

158円くらいでいつも売っている商品。

まぐたく用に使用するコウコ量は、ほんのちょっとでいい。

で、海苔はどうするのか。

保管しやすい味付け海苔がある。

常備しているからついついつまみ食いしてしまう味付け海苔。

長方形の味付け海苔を2枚並べたら、ほぼ正方形。

役者がそろったところで食卓に並べた。

そうそう、山葵に醤油も並べて作った一つ目。

まぐろのたたきをたっぷりのせて、黄色いコウコを数個から多めに・・



山葵醤油を落として軍艦巻き。

と、いう具合にならないからどうするか。

半折りすればまぐとろ包みになる。

まぐろのたたきにコウコは水気があるから半折りした海苔の端がくっつく。



箸は使わずに、手つかみ。

口に持っていってがぶり。

こりゃいける。

形はどうであれ、まぐたく包みがむっちゃ美味い、とわかった。

旨いとわかれば、手は休むことなく、自動的に、勝手に手が動く。

海苔を2枚。

まぐろたたきをちょいのせ。

刻みコウコをパラパラ。

山葵醤油をちょいたらし。



半折りしたらすぐに食べる。

皿に盛った100g程度のまぐろのたたきがなくなるまで、ずっと繰り返すまぐたく包み。

こりゃぁほんまの病みつきや。



ところで、まぐたく軍艦がメニューにある回転寿司チェーン店は・・

かっぱ寿司以外にもあるはず。

なんせ他店舗はほとんど行くことがない。

なぜならおふくろがいちばんに食べたいというのがかっぱ寿司。

その決め手は、平日が150円で販売されるかけうどんが大好きだからさ。

麺も出汁も天かすも、すべてが口にあっているというかっぱ寿司のかけうどん


あきんどスシローもくら寿司にもかけうどんはあるが、口に合わないと言ってからは、入店しなくなった。

まぐたく軍艦に話を戻そう。

あきんどスシローにも税抜き100円売りのまぐたく軍艦がある。

くら寿司には、まぐたく軍艦が見当たらない、と思っていたが・・・

関東では人気の回転寿司・みさきに150円売りのまぐたく軍艦がある。

また、元気寿司にもまぐたく軍艦はある

なお、元気寿司には、まぐたく軍艦以外に、100円の軍艦巻きもあれば、税込み540円のまぐたく丼つうのもある。

魚べいも同じようなメニューがある。

と、いうことは一定のまぐたくファンがおられる、ということだ。

お家で簡単に作れて、ちゃちゃっと食べられるまぐたく文化がオモシロイ。



なんせクックパッドにもまぐたく丼が登場するくらい、人気のまぐたく文化が広まっていた

(R4. 3.10 SB805SH 撮影)

エバラ食品・プチッと鍋寄せ鍋だしで食べるえび天のせ辛み大根きしめん+梅干し

2024年10月07日 07時42分27秒 | カンタンオリジナル
スーパー松源で買ってきたえび天があるけど・・・どうする。

その答えは、エバラ食品が発売するプチッと鍋寄せ鍋だしで食べるえび天きしめん。

トッピングになにかないのかなぁ、と探した冷蔵庫。

あった、あった、まだ、あった。

これが最後の一本になった辛み大根。



梅干しはどうする、と声がかかれば、それもトッピングして食べたえび天のせ辛み大根きしめん。

ぶっかけ風に食べた味は、濃いーーぃ。

熱々、ぬくぬくのきしめんうどんでもいいんだが、寒いときには、ね。

ざっとかき混ぜて食べた一口目。

さすがに旨いプチッと鍋の寄せ鍋だし。

旨味に包まれたきしめんが,、するする入っていく。

その味に爽やかさを育んだのが辛み大根。

美味いねぇ。

お年寄りも、特に女性向な味になった辛み大根効果。

梅干しはすっぱいんじゃなく、わが家は甘口。

これも味に一献、支援の旨味。

女性向きの味はさらに濃くなった。

うどん玉よりも、のど越しが心地よいきしめん。

我が家はうどん文化から、ますますきしめん文化にはまっていく。

(R4. 3. 9 SB805SH 撮影)

隣の自治会は購買者数が満たされ、毎週水曜日に通う移動販売車

2024年10月06日 07時41分53秒 | 民俗あれこれ(売る編)
せっかくダイエーマルナカ富雄南店が地区自治会に移動販売車を出してくれたのに、買い物客数が満たさなかった。

移動販売に必要な経費はかかるもの。

規模にとっては、運転手兼務もする営業販売者は複数人。

購買者数が一定の人数にならないと、契約に至らない。

つまり、経営が満たさないと、わかればその移動地に赴くことはない。

と、いうことで、試験販売は打ち切られ、前月の2月8日が最後になった。

実は、住まいする自治会への販売場所は、もう一か所ある。

そこは、自治会の集会所が建つ地。

割合、戸数も多く。

また、自治会には属さない、新興住宅地も多くあるから、購買は満たされているそうだ。

我が家が住まいする地区では、満たさなかったが、自治会としては別に集会所の地があり、既に問題なく稼働していた。

本日は、病院、クリニックの通院日。

病院は、消化器内科。クリニックは地元医院の泌尿器科。

その帰り道に出逢えたダイエーマルナカ富雄南店の移動販売車。

鉄製のネットで囲った安全地帯に販売していた移動販売車。

我が住む自治会よりも10年早く開発された住宅地。

そちら、N自治会会員は多く、若い人たちも多く住んでいるらしい。

尤も、移動販売車がやってくる曜日は決まっており、毎週の水曜日。

稼働日には、市役所職員がついている。

存じている職員の話によれば、一回あたりの購買者数は満たしている、という。

地区は違っていても買い物はできるらしい。

それは、いいことだと思う。

(R4. 3. 9 SB805SH 撮影)

2回目の生前整理②

2024年10月05日 07時50分55秒 | むびょうそくさい(おかん編)
今日は、2回目の生前整理。

先に、食事を摂っていたご近所の食事処・旨辛うどんすみのえ食堂の旨辛ホルモンラーメン

食事を済ませて、市営住宅の4階に向かう。

早速はじめた生前整理に、何がでるかな、なにが見つかるかな・・どきどきする生前整理。

実弟三男夫妻とともに作業する生前整理。

滞在時間は、午後12時50分から午後3時40分。

なんと出てきた写真は、おやじとおふくろが結婚式をあげたときの写真。

おふくろに聞けば、大阪市立住之江会館で撮ったと、いう記念の写真。

昭和52年の設立だから、その会館で撮ったものではないだろう。

そもそも、行政地名は、住之江区ではなく、元々は住吉区だった。

昭和49年7月22日、住吉区の西の地を分離した住之江区


だから、そもそもは写真館で撮ったものであろう。

おふくろの孫たちの写真がいっぱいある。

実弟次男に三男の孫たちだ。

さまざまな写真を整備する。

それにしても、いろいろ出てくる室内発掘。

小銭がいっぱい、重くなった4個の貯金箱が出土。



また、昭和61年まで使用していた伊藤博文の旧千円札が5枚もある。

な、な、な、なんと・・・8mmフィルムを発見した。



日つけは昭和44年10月。

タイトルに「祭り」と、鉛筆書き。

もう一箱にもフィルムが収まっている。

たぶんに、2本続けて撮影したフジフィルム。

昭和44年10月といえば、私が高校2年生だったころ。

「祭り」となれば、貴重な映像が出てきそう。

おそらく、おふくろが出里の大阪の富田林・錦織の母屋。

錦織(※にしこり)と彼方(※おちかた)に、今も続くだんじりではないだろうか。

秋の10月は、錦織の錦織神社例祭に登場するだんじりについて回って撮っていたのであろう。

フィルムはDVD化すれば、わかることだろう。

もし、画像が祭り・だんじりであれば、暮らしの民俗撮影・記録している現在活動中の私の原点になりえるだろう。

50歳から、行事の記録に目覚めた民俗の伝承。

モノクロ写真で見た記憶があるにわか姿。

母屋のおじきは白化粧。

踊りもしていた即興的漫才のような?、俄(※にわか)芝居の姿が写真に写っていた。

おじきの妹がおふくろ。

兄の姿は毎年見ていた、と話していたことを思い出した記憶の断片。

ネットに見つかった最近の祭り。

日つけは令和5年10月13日、とある。

その映像によれば、白塗り顔の俄は、だんじりに立つ姿。

それは神社、つまり神さんに奉納する姿。

たぶん、近い地域の様相であろう。

ネットでは、46年ぶりに復活した
、とあるから、およそ1978年(昭和53年)であるが・・・

私が高校2年生のときに映した映像は、どんなんかなぁ。

復活する前の年代。

遡ること、それよりさらにくだった昭和44年。

撮っていたら貴重な記録もんになろうか。

フィルムの思い出に浸っていては、生前整理がまったくもって進まない。

次の整理は、おふくろが来ていた着物。

着物が好きだ、と云っていた実弟次男の妻。

Kさんが、着れそうな着物が多数ある。

おふくろの介護用具も整理の対象。

浴槽につかるときに使う介護用手すりに、たくさん、たくさんになった介護資料。

見直すことはないかもしれないが、これらも我が家に移しておく。

さて、本日の整理に大おばあさんの仏壇である。

処分の対象ではなく、我が家に移設であるが、さてどうしたものか。

わからんときは、おふくろが買ったご近所の仏壇屋さんに、伺うことにした。



かつてバス停が、ここにあった。

移動してからは、人の動きが替わったが、みたらしや団子を売っている和菓子屋さんに仏壇屋さんの並びは、替っていない。

故郷、住之江に生まれ、育った私にとっては、都会のふるさと。



山口佛心堂の奥さんは、気持ち次第だ、という。

本格的に性根抜きするなら僧侶にお願いして1万円。

移動地の性根入れも費用がかかる。

単に貴方の家に移すだけなら運ばしてもらいます、と手を合せばいいし、移動地に着いたら運ばせてもらいました、これから我が家でお守り申します、と心で念じるだけでいい。

山口佛心堂の奥さんは続いて、私は仏壇屋です。

大阪市営住宅の4階であれば、そこから1階に下ろすとき、いつもそうしている、と話してくれた。

ちなみに位牌も含め、守ることなく処分したい場合は、大阪市に申し込めば千円で措置してくださるって・・・

(R4. 3. 8 SB805SH 撮影)

大阪・焼肉丼・旨辛うどんすみのえ食堂の旨辛ホルモンラーメンとミニ焼肉カルビ丼

2024年10月04日 07時56分38秒 | 食事が主な周辺をお散歩
なにかと用事がある大阪行き。

最近になって住之江に新しい食事処が出店した。

2020年10月にオープンした焼肉丼・旨辛うどんすみのえ食堂

翌月も訪れた家の用事。

居住地に向かう通りにあるすみのえ食堂

風の流れの関係に、表通りはそう感じないが、裏通りが凄い。

ここを走る度に、空腹を呼び起こす旨旨の肉香り。

心が吸い寄せられていく。

今は不在中のおふくろ住処がある北島に立地したすみのえ食堂

店舗が開業する前は、度々訪れては美味しい海鮮もんメニューを食べていた魚輝だった。

残念ながら、コロナ禍の影響を受けてか、閉店してしまったその跡地に入ったすみのえ食堂

団地住居にこれまで暮らし続けてきたあれこれがいっぱいある。

生前整理の作業に思いつくところは一応終えた時間帯は正午前。

住まいから歩き。

すぐ近くにある食事処に、タイムパーキングに停めていた車を発車する。



1分もかからない食事処。

すぐに着いた口コミ数がすごいすみのえ食堂。



開店間もないのに、口コミ数がむっちゃ多い

期待外れだった、という食事客もおられるが、総じて好評な食事処。

今日だけなのか、わからないが、圧倒的に多い男性客。

女性は、かーさんだけの日。



食べられるメニューはあるのかどうか・・・

とにかく美味しい匂い、焼き肉の匂いに釣られて入店した焼肉丼・旨辛うどんすみのえ食堂

案内されたグループテーブル席。

注文用のパネルはなく、タブレット端末を操作し、お好みのメニューをクリックして注文する。

大きく分けて焼き肉丼に旨辛麺。



コスパが良さそうな定食もある。

焼き肉はともかく、辛麺を受け付けないかーさんは、食べるものがない、という。

見ていたタブレット表示の左下に唐揚げ映像がある。

右の定食に700円の鶏の唐揚げ定食がある。

それなら食べられると、メニューが決まった。



さて、私は何を・・・目と目が合った旨辛麺。

それがいい。

麺食にカルビ、それともホルモン。

また麺選びに、ラーメンかうどん。



滅多に食べることのないホルモンに光があたった。

麺は、うどんよりもラーメンを選んだ780円の旨辛ホルモンラーメンに決まり。

だが、念のためメニューをくまなく、一応は目を通しておきたい、と思ってタブレット端末をタッチ繰る。

ご飯おかわり無料の定食。

ご飯は、いい。

お腹が受け付けないだろうから、ご飯のないセットもんがあるだろう。



次のメニューに見つかった〇得セット。

キムチが付いている麺類にミニ丼ぶりセットが1050円。

このメニューから、これしかないだろ、と決めた旨辛ホルモンラーメンとミニ焼肉カルビ丼。

他に肉味噌もあるが、目もくれず旨辛を選択。

これでよろしいでおます。

タッチした場面に特製タテギで辛みUP!、とあるが、”タテギ”っていったい、何なのか?調べてみれば、韓国の辛い味、味つけ味噌のようだ。

つまりは辛味噌である。

辛み増すごとにトッピング料金が段階的に増し金体系の仕組みになっている。

30円、50円、70円・・辛みが増すごとに上昇する料金体系ってあるんだ。

注文してから数分も経たたないうちの配膳。

いやもう、実に早い。

正午時間にカウンターはほぼ満席状態の旨辛うどんすみのえ食堂。

テーブル席は、これから混むのだろう。

じゅぅ、じゅぅ焼けた熱い鉄鍋。

まるでビビンバ焼の器のように思えた。

ニラは見えるが、麺も具材も沈んでいる真っ赤な海。

これこそ熱々、ふーふーせざるを得ない旨辛ホルモンラーメン。



数秒遅れの配膳が、ミニ焼肉カルビ丼。

どちらも、旨そうな香りが押し寄せてくる。



ただ、ただ傍観する旨旨状態の旨辛ホルモンラーメンとミニ焼肉カルビ丼。

少量のキムチ皿も膳にあった。

グツグツ、音を立てている旨辛ホルモンラーメンをひと掻きしたら、麺が見えてきた。



箸で摘まんだ旨辛ホルモンラーメンが美味い。

熱いからふーふー。

少しでも冷ませて食べる熱々のホルモンラーメン。

いやぁ、とにかくめちゃ美味い。

ホルモン肉がスープに溶けているような錯覚に陥る旨さ。

麺の味、食感がわからないが、ホルモン肉スープがとてつもなく旨い。

こんなラーメン、未だかって味わったことのない旨味。

レンゲにすくったスープが美味い。



このスープだけでも分けてくれんかのぉ、と思わず口に出た。

半分くらい食べたところで、箸の動きを丼ぶりに移す。

盛ったカルビ肉は大きな塊。

これまで食べたことのない肉の塊。

噛めば噛むほどに旨味がジュワー。

一般的なカルビ肉はスライス切り。

厚めに切ったスライスのイメージであったが、旨辛うどんすみのえ食堂は、その記憶を覆す。

正直、申し上げるなら、筋入りのカルビ肉の塊。

歯ごたえ以上の肉に、限界を感じる。

むっちゃ美味いカルビ肉がもったいない。

いかにして食べきったか、丼ぶり椀に敢えて残した、噛み切れないカルビ肉の塊。

喉が通らないすじ肉状態だと、わかっていただければ、幸いだ。

肉塊のカルビ肉丼は、さておき、とにかく甘辛、いや違った旨辛のスープを、また食べたい。



いや、このまま持ち帰りしたい絶品スープ。

もう一度、機会あれば、食べてみたい麺はカルビラーメン。

あるブロガーさんは、その旨さ、中毒性をもっている、という。

私は、その通りだと思う。

ちなみに、ここすみのえ食堂も海鮮れすとらん魚輝水産も同じ経営者。

オーナー経営はトラオム㈱だった。

しかも、鳥貴族が筆頭
だったとは、へぇー、そうだったんだ。

(R2.11.25 SB805SH 撮影)
(R4. 3. 8 SB805SH 撮影)

小林町・道具は替わっても、目的は変わりない新福寺のおこないのランジョウ叩き

2024年10月03日 07時54分20秒 | 大和郡山市へ
帰路に立ち寄った御所の名所。

私なりの名所であるが、どこか懐かしさを覚える田園風景。

今日の天候は、コントラストが激しい空間になったが、稲作の季節が待ち遠しい御所・池之内に買い物した玉手


時間は、まだまだ余裕がある。

そうだ。今日は3月3日のひな祭り。

ただ今、県立民俗博物館・古民家活用の写真展開催中。

明日、明後日に予定があるから、その日に顔出ししたい。

実は、3月3日に寺行事のおこない(※修正会)をしている地区がある。

県内、盆地平坦地に、おおかた320年以上も続けてきたおこない。

連綿と続く、歴史、文化が深い地。

もし、よろしければと、写真家のKさんを誘った。

行先は、大和郡山市の小林町。

おこない(※修正会)を行う場は、真言宗豊山派寺院の南照山新福寺

旧くは、元禄九年(1696)に本堂の落慶法要が営まれた、と考えられている。

と、いうのも、庫材を駆使した形跡、また現存する仏像の古さから推定し、再建された新福寺。

また、昭和43年(1968)に、本堂の屋根瓦を葺き替えなど改修した際に発見された棟札から、本堂の建之時期が判明
したそうだ。

そして、平成28年(2016)、320年ぶりに行われた本堂の建替え、落慶法要に記念式典を挙行された。

実は、毎年の3月3日におこないをされているから、一度伺ったらどうか、と背中を押してくださったのは上田清市長だった。

当時の私は、市民であり、市の臨時職員であった。

勤務先は、市の施設の大和郡山市市民交流館

平成15年(2003)7月にオープンした大和郡山市市民交流館。

採用面接に出かけてから、一週間後だったか・・・

当時、面接してくださったY人事課長から電話があった。

「今も、空いてますか・・」の問いに、「もちろん」、といったかどうか、覚えてないが、やっと就職先が決まって大喜びしていた。

「市政案内・観光案内などの情報を提供する“インフォメーション”、貸会議室の2つの機能を持つ公共施設」の大和郡山市市民交流館に、7年半も勤続していた臨時職員。

ある日のこと。たまたま市長がぶらり、と来られて、小林町に”おこない”がある、と教えてくださった。

新福寺本堂で行われるその”おこない”取材は、平成22年を皮切りに2年後の平成24年も伺った

本堂は、前述したように元禄九年(1696)に創建。

屋根の葺き替えなどで再建した年は昭和43年。

本堂内部は、昔の様相そのまま、風情を遺した風格があった。

内陣周りに座った座中が、左座に一老、二老、三老。

右座も同様に一老、二老、三老がそろっていた。

そう、併設する杵築神社の座中である。

2度目の小林町入りは平成22年の11月。

大阪・平野の大念仏から如来さんがやってくる


町民は、融通念仏宗徒であるが、新福寺は真言宗豊山派。

大和ご回在にお家を一軒、一軒巡って、最後にお寺となるのだが、ここ小林町では公民館をあてがっていた

さて、小林町・新福寺のおこないである。

平成27年が最後のお勤めにおこない。

新福寺本堂・観音堂は新しく生まれ変わる新築化。

これまでの再建ではなく、320年の時代を経て新しき本堂に建て替える。

だから、旧き新福寺の最後の営み。

おこないにランジョーの叩き納めの年。

歴史を刻む記念日は、平成27年の3月3日


平成27年の4月のころ、320年もがんばっていた新福寺本堂・観音堂は、解体工事に入っていた

しかし、解体中の本堂では3月3日のおこないは、どこでされるのか。

予め聞いていた場は、新築された藍染会館に移し、畳部屋で行うことになった。

これを機会に、おこないの道具は、一挙に代わった。

内陣の縁をたたくフジの木は真竹に代わった。

祈祷を済ませたごーさんの護符は、ヤナギの枝。

割れない程度に、二つに割いたヤナギの枝に護符を差し込む。

ただ、ヤナギの枝は長いので、バキバキと三つに折る。

そのヤナギの枝の束が崩れないように、フジの木の皮を使用する。

フジの木の皮は柔らかく、剥がしやすい。

子どもでも剥がしやすいフジの木の皮をヤナギの束にくるくる巻いて括っていたが、これらすべてまとめて真竹に代わった。

新築中の新福寺本堂・観音堂は、工事中。

落慶するまでは、一時的に利用した平成27年4月29日に落成式をされた壇信徒会館「藍染会館」だった。

仮の場を借りて、はじめて青竹で打つランジョウ所作を拝見したのは、翌年の平成28年3月3日

仮の場の藍染会館の部屋は畳座敷。

長い板を据える考えもあったそうだが、半切した青竹内部に空間があるから、打つ音は、とてもなく甲高く反響するから、と採用に至った。

ご住職が、唱えるご真言。

そのとき、突然に発声された「ランジョー」に合わせて・・・青竹をもって竹を打ち叩く。

けたたましく、カタ、カタ、カタ、カタ、カタ・・・・・が、室内空間が全域にわたって響き渡る青竹ランジョウの音色感。

ランジョウの目的は、激しく打ち、激しい音を発生させることによって、悪霊を村から追い出す作法。

フジの枝に内陣の縁は木材。

旧き新福寺の本堂内陣は、300年以上も叩きつけたことによって、深い黒色が、打ちすれて白くなっていた記憶が蘇る。

その年、平成10月10月29日に落慶法要された南照山新福寺本堂は、その後も3月3日におこないをしている、と聞いている。

その証が見つかった。

所用で市内南部に向かって走っていた大和中央道。

国道25号線と交わる今国府町信号から数キロメートル手前にも信号がある。

西に折れたらJR大和路線・大和小泉駅。

左折れなら北西町に入る。

その信号は小林町西1。

その北側、数百メートルの地に、毎年、苗床をつくり、苗箱を広げている小林の男性。

苗代田に水を入れる水口に、例年立てていたおこないの印し。

そう、これまでは前述したとおり、折ったヤナギの枝に挟んだ護符。

おこない法会に祈祷したごーさん札(※牛玉宝印の書)。

三角折りの護符は珍しいから、すぐわかる。

令和2年5月19日のこの日に見つけた護符。

ランジョー所作に用いた青竹に挟んでいた


所用だけに撮影機器は、携帯電話しかない。

その機器であっても、これも記録。

実は、この苗代田に苗床を調え、躑躅のイロバナとともにヤナギの枝に挟んだ護符を立ててから、ロールに巻いた新聞紙を丁寧に広げていた

実弟とともに苗代つくりの作業をしていた状況を撮らせていただいた平成22年の5月4日。

そのときの写真を、後日にさしあげたら、すごく喜んでくださった座中の一人。

当時、74歳だったKさん。

ここ、最近は苗代もされていない。

あれから12年も経っている。

ここを走るたびに、次第に雑草化に移っているのが、気がかりだ。

走馬灯のように蘇ってきた「新福寺のおこないの縁たたきランジョウ」と「苗代に立てる護符」。

大淀町・大岩から御所市・池之内に玉手から駆け付けた。

前置きが長くなってしまった。

午後3時40分。

表敬訪問にようやく着いたここは、大和郡山市・小林町。

おこないは、午後4時よりはじめられる。

まずは、参拝。



手を合わせきっちり拝んでいた男性がおられた。

後姿でわかった男性。

たしか伊豆七条町に住む男性だ。

お名前は覚えてないが、伊豆七条町(※地元ではいずひっちょう、と呼ぶ)の大晦日行事。

「ふくまるこっこ」を、今もされているのか、尋ねた男性だ。

下見に来ていた平成19年の12月23日だった


畑におられた男性は、以前勤務していた大和郡山市市民交流館時代に出逢った方。

たしか会議に来られていた人だった。

子どものころに体験していた伊豆七条町の福丸迎えだけに、その対象となるお家を案内してくださった。

奈良県内に福丸迎えの行事のほとんどが山添村である。

奈良市東部や天理市の山間地にも継承されているが、平坦盆地では、ここ伊豆七条町しかみられない。

史料によれば、ごく近いところの天理・森本町も行われていたが、途絶えたようだ。

ご縁があった男性が、なぜにここ小林町・新福寺に参拝を・・・

おこない行事が、終わってから聞いてみた。

ここ、小林町にはご縁があるのですか、と聞けば、なんと・・・

男性が住んでいる伊豆七条町に勝福寺がある。

おばあちゃん講とも呼ばれている尼講が、毎月に営まれるお念仏。

毎月の1日に参ることから朔日参りとも
・・

施餓鬼もされていた勝福寺

現在は、天理市・南六条町の西福寺僧侶であるが、かつては小林町・新福寺の僧侶であった。

その僧侶とは、新福寺の現住職を務める佐々木章の先代の父親。

先代の住所は、伊豆七条町・勝福寺だった。

その後に、先代の父親は小林町の新福寺に。

そして、代替わりに就いた佐々木章住職。

そのような関係に、伊豆七条町の男性はことあるごとに、新福寺にやってきて参拝している、という。

表敬訪問に、出会ったご縁。

参拝していた私たち3人は、今からはじまりますから、どうぞ本堂にあがってください、と・・・

その場には、存じている人たちが多い。

ひさしぶりやね、といわれる方たち。

直近であれば、令和3年の1月1日。

正月に行われる天理の行事取材にハンドルを握っていたとき。

電話が鳴った。住民のSさんからの電話は、修復していた神輿が氏神社の杵築神社に戻ってきた。

小林町の元日の朝。

村の人たちが寄り合う元日参拝に神輿のお披露目


是非、と伝えられて、急行。

天理までの道中にあった小林町。

短時間ではあるが、有意義だった神輿のお披露目を見届けて、再出発したその日以来、足は遠のいていた。

さて、小林町・新福寺のおこないである。

本尊前にそろえた青竹。



先を割いた竹に挟んだ護符。

墨書された「牛頭天王 寶印 新福寺」。

一般的には、ごーさんこと、牛玉寶印を押印した護符を正面に据え、その前に護符を挟んだ青竹が8本か。

かつては、もっと多くあったような気がする。

おこないの作法において祈祷される。

ご住職の立ち位置。



内陣との境目に厚めの赤いシートを敷き詰め。

半切した長い一本の青竹に、ランジョーの発声と同時に打つ青竹も用意された。

以前は、内陣を囲むように、それぞれが座ってフジの枝木で叩いていたが、大幅に削減したようだ。

と、いうのも、昨年より土地改良区が主宰としたおこない行事に移した、という。

少子化の時代に、将来を見据えて主宰を土地改良区に移したのである。

午後4時15分ころからはじめたおこない。



まずは、ご真言である。

正面立ち位置ではなく、右手の脇に座って唱えるご真言。

次はご真言に続いて拍子木打つ、般若心経。

そして座を前にすすめたランジョー叩きは3人。

右に男性一人と左に二人の女性は、手に青竹をもつ。

ご住職が座る位置は明るいが、ランジョー叩きの場は、消灯していた。

暗くなったランジョー叩きの場。

雰囲気は、より近くなったような気がする。

ご真言に、あるとき、突如発した「ランジョー」。



カタ、カタ、カタ、カタ、カタ・・・・甲高い音色が本堂内に広がり、響いた。

激しく叩きつける音は魔除け。

村から悪霊を追い払う意味もあるが、世界平和・村民安全、五穀豊穣をも願う所作である。

そのことを願った表白を唱える住職は、何度も何度も「ランジョー」を発せられる。

おリンを鳴らせば打ち止める。

表白の次は神名帳を詠みあげる。

「・・・春日大明神、大和、広瀬、龍田、大神、・・・ダイミョウジュン、ダイミョウジュン・・・・ランジョー」。

カーンと鉦を打てば、けたたましくカタ、カタ、カタ、カタ、カタ・・・・・

悪霊はこれでもか、これでもかと追い払う。

十数回、いやそれよりもっと多く数えきれないほどの「ランジョー」を発せられる。

住民が平和に暮らし、繁栄、五穀豊穣を願うためにある、というランジョーであった。



祈りが終われば、身体堅固。

諸願成就、三界万霊、功徳などの念仏を唱えて最後に身体堅固。

古くから伝わる本尊、観音さまの牛玉寶印を参列者の頭に押す真似事をする。



「オンソワカ」、手を合わせて身体堅固のご加持をありがたく受ける。

本日のおこないの縁たたきランジョウに、参列合わせて撮影もさせていただき、御礼申し上げお堂を出た。

合わせて、参拝した杵築神社。

かつて、牛頭天王社とされていた神社に参拝。

そこにちょこんとあったコレは何?



初のテレビアニメに映し出されたまんが日本昔ばなし・・・に流れた音源を思い出した。

「・・ぼうやー よい子だ ねんねしな いーまも かわりなく はーはーの めーぐみの こもりうたー とおいー  むかしの もーのーがたり~いぃ・・」

今日のおこないに、子どもたちの顔は見なかった。

その代わりか、どうか知らないが・・・ ぼうやー よい子だ ねんねしなー

※ ※ ネットで探した正体は、結局見つからず、「獅子(猪)の背にまたがる童」の人形かな・・・

(R4. 3. 3 SB805SH 撮影)

大阪鶴橋韓国キムチニラ和えのせに見合う山本製麺昔懐かし醤油ラーメンだったが・・

2024年10月02日 07時28分33秒 | カンタンオリジナル
大阪鶴橋韓国キムチが手元に届いた。

正確にいえば、業務スーパーで買ってきた大阪鶴橋韓国キムチ。

本場の味をたべたくなったから買ってきた。

お昼もインスタントな袋麺で食事。

いつもの塩ラーメンでは、塩味が埋もれてしまう。

だから、といって味噌スープは好まない。

しかも、今回のトッピングが大阪鶴橋韓国キムチ。

本格派のキムチを相手してくれるスープは、決して辛麺ではない。

私の判断は、醤油味。

と、いう結論に達して買ってきた業務スーパー売りの山本製麺・昔懐かし醤油ラーメン


以前、この醤油ラーメンにお手製味付けした麻婆豆腐をぶっかけて食べたら、そりゃぁもう、うますぎくんだ。

だから、相性がいい醤油ラーメンは、業務スーパー売りの山本製麺。

奇をてらわない、素直な醤油味。

そうするつもりだった大阪鶴橋韓国キムチニラ和え。

お昼も、晩食にもインスタントな麺喰いは、やはり避けよう。

大阪鶴橋韓国キムチの味をストレートに食べてみよう。

晩食に足した一品。

小鉢に盛った大阪鶴橋韓国キムチ。



即興でつくれるニラ和え。

調理いうほどのもんではないが、むっちゃ旨い。



これこそ酒の肴。

大阪鶴橋韓国キムチニラ和えは大正解。

この方法なら、いつでも醤油ラーメンにのせて、すぐにでも食べられる。

晩酌に一品。

お奨めの味ですな。

(R4. 3. 6 SB805SH 撮影)