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ストローバレイ家の介護奮闘記

90→→92歳の母を支える4姉妹の泣き笑い奮闘記・・とその後

ペルー旅行(1)カリブ海、パナマシティ

2011-10-11 22:43:42 | 日常
               
               ペルーの国花カントゥータ

学生時代の友人が仲間を募って主催した12日間のペルーの旅に参加してきました。

1日目(9月21日)、それまで沖縄近辺で何日も足踏みを続けていた大型台風15号が、急に進路を変えて日本列島を縦断し始め、まさに私達が搭乗予定の15時頃に関東を直撃。出発時間が大幅に遅れて翌朝になり、私達は成田で前泊することになってしまいました。

                
       機内から見たカリブ海の珊瑚礁          カリブ海の珊瑚礁

2日目
本来ヒューストンからリマまで直行のはずだったのが、遅れの影響でパナマシティ経由に変更に。途中、カリブ海上空ではすばらしく綺麗な珊瑚礁の島々が見えました。

               
                  パナマ運河

パナマシティでは乗り換えに時間がたっぷりあるので、パナマ運河を見に行くことに。思いもかけず降り立ったパナマシティは建ち並ぶ近代的な高層ビルと庶民的生活が混在する大都会。運河ではちょうど大型コンテナ船が通過するところで、何回かに渡って河を塞き止めては水の高さを調整していくシステムはまさに百聞は一見にしかず。とても面白くて、ペルー旅行の意外なオマケとなりました。

ただ、航空便の都合でパナマシティ泊になり、予定外のところで2泊するはめになってしまったため、ホテルで夕飯を食べながら、誰のせいでもないけれど残念な気持ちは皆同じで、微妙な空気が流れていたのは致し方ないことでしょう。(四女)

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ペルーの旅(2)リマ

2011-10-11 22:43:17 | 日常
                
          リマ・アルマス広場        家の壁一杯に描かれたインカコーラの看板

3日目
早朝の便でリマに。駆け足で一回りした旧市街は、ヨーロッパの古い都市のように、広場を中心にペルー政庁や市庁舎などの古い立派な建物が建ち並んでおり、その建物の半数以上を占める市の建物の外壁が黄色に統一されているので、落着いた中にもとても華やかな印象でした。リマの市旗が派手な黄色地に烏の模様。また後述のインカコーラも黄色。黄色はインカの黄金をイメージしているのでしょうか。

                
              セビッチェ          リマ・クスコ間の機内食とインカコーラ

人口800万人という大都会であるにもかかわらず市内の公共交通機関がバスしかないので、金曜の夕方4時近くから道路は車だらけで大渋滞に。そのため夕食を予定していたレストランに時間内に辿り着けないという我らグループにつきもののハプニングもありましたが、代わりに行ったおしゃれなミラフローレス地区にあるレストランはやはりとてもおしゃれ。

セビッチェ(生魚のレモンマリネ)を初めとして皆でいろいろ試したペルーの名物料理はどれも美味しく、ビールやワインと共に堪能。ホテルまで歩いて帰る途中の公園には土産物の屋台が沢山出ていて金曜日の人出で賑わっており、皆も少し買い物などをして旅行気分に浸っていました。

ペルーの食べ物の美味しさは世界中で有名とのことですが、海産物が豊富で新鮮であり、原産のジャガイモやトマト、とうもろこしは勿論、他の野菜も種類が豊富。付け合せに米料理もあり、アヒ・アマリージョ(辛目のパプリカ)などの風味が少し加わった素材を大事にした料理は日本人の私達には問題なく美味しかったです。果物もとても豊富で新鮮なものが毎朝朝食にどっさりついてきて幸せ。

また飲み物ではTACAMA銘柄のワインや、PISCOサワー(PISCOはぶどうの蒸留酒でPISCOサワーはそれに卵白、シロップ、レモンなどを加えたカクテル)、それにインカ・コーラが有名です。但し、インカ・コーラはカキ氷のシロップのような黄色の甘ーい味の炭酸飲料で、ペルーでポピュラーな飲み物ですが、私は1回話の種に呑めば十分でした。(四女)
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ペルーの旅(3)クスコ、アグアス・カリエンテス

2011-10-11 22:42:54 | 日常
                
          クスコ空港周辺                 クスコ市内

4日目
早朝の飛行機でリマからクスコに。標高3300メートルと今回の旅行で最も高度にある街クスコでは、空港で少し早足になっただけでハアハアと少し息があがり、また、気温は高くないものの日差しが肌を射すように強く、油断して日焼け止めを塗らなかった手が東京に戻ってからカサコソとむけてしまいました。高山病対策としては“酸素水”を東京から持参し飲んでいましたが、それが効いたのかどうか、特に問題はありませんでした。

クスコからオリャンタイタンボまではマイクロバスで山道を2時間ほどガタボコガタボコ。途中のチンチェーロという村で土地の人が用意した食事を摂る予定もキャンセルしてひた走り。当初の予定ではオリャンタイタンボで2泊するはずだったのを、これも完全にはしょって、マチュピチュ観光の前線基地アグアス・カリエンテス(現在は街の名前もマチュピチュとなっている)に電車で移動することに。

オリャンタイタンボからの電車には大きな荷物を持ち込めないのでマチュピチュで2泊するための荷物だけをもって、残りの荷物はオリャンタイタンボのホテルに預けてアグアス・カリエンテスに向かいました。屋根がガラス張りで展望の良い電車は食事付き。峡谷を河沿いにくねくねと進んでいくと、途中で遺跡や遠くに雪を抱く山が見え隠れして飽きることのない景色。

                  
     アグアス・カリエンテス旧線路脇のレストラン     アグアス・カリエンテス夕暮れの広場

アグアス・カリエンテスはホテルやレストラン、土産物屋が旧鉄道駅沿いや坂道に軒を並べ、また、名前がスペイン語で“熱湯”または“温泉”をさす通り村はずれに温泉があって、その周りには水着の売店やマッサージの店もあるまさに観光の村。やっと今日でオリジナルの旅程に追いついたことで心なしかホッとして、夕飯に美味しいフランス系ペルー料理を楽しみました。(四女)
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ペルーの旅(4)マチュピチュ遺跡

2011-10-11 22:42:25 | 日常
                
          マチュピチュの遺跡          マチュピチュ遺跡の石積み

5日目
今日は待望のマチュピチュ遺跡に。朝食時にコカ茶を水筒に詰めてホテルを出発。ホテルにはティーバッグ入りの他に半乾燥したコカの葉が常に用意されていて飲み放題。疲れをとったり高山病対策になると聞いています。

アグアスカリエンテスからマチュピチュの遺跡までは乗り合いバスで山道をジグザグに登ること20分ほど。遺跡に入り、ガイドさんに一通り案内してもらってからガイドさんと別れて自由行動に。ワイナピチュに登りたかったのですが、この夏から400人の人数制限で予約が必要になっていたため断念。見張り小屋からの有名な写真ポイントなどでゆっくり休んで、インカ道を少し歩いてから一旦遺跡を出てランチ。遺跡内にはトイレがないのでトイレも。

ペルー(南米一般)のトイレで気をつけないといけないのは、水洗トイレなのにトイレに紙を流せないこと。トイレのすぐ横に蓋付きの缶がおいてあり落とし紙はすべてその中に捨てることになっていました。晩春に行った尾瀬の小屋でも同様で、今回の震災では避難所でもそうしていたとか。何の疑問も無く日常行っていることのありがたさに気付かされます。

昼食の後、また遺跡内をしばらく皆で回ったあと、5時にバス停集合ということで解散。私は途中で見かけたお気に入りのポイント(インティワタナのあるテラス)に行ったり、段々畑の中でゆっくり寝転んだり。「ここにコンドルが飛んでいれば・・・」などと歌のイメージで思いましたが、餌となる大型獣も減り、コンドルやピューマなどは絶滅危惧種で残念ながら今やこの辺りでは見かけないそうです。マチュピチュの遺跡は、“数千年前から霊的エネルギーの集まる場所としてインカ以外にも多くの文化が係わって来たところだ”との説明を受けましたが私の理解と感覚の枠を超えており、私には打ち捨てられた都市の静けさと美しさばかりが心に沁みました。

遺跡から戻って、夕食を中央のグリルでピザや肉類を焼いて出す店で。チャレンジ精神旺盛なT夫人がアルパカのステーキを注文したので皆で味見をしたところ、くせが無くて柔らかで意外なおいしさでした。ここでは民族音楽の生演奏も。NYや東京の街角で何回も聴いたことがあり、この辺りに来れば幾らでも聞くチャンスがあると勝手に期待していただけに、初めて演奏に出会えて少し納得しました。(四女)
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ペルーの旅(5)オリャンタイタンボ、サクサイワマン、ケンコーの遺跡

2011-10-11 22:41:57 | 日常
                
     村のはずれに聳えるオリャンタイタンボの遺跡 遺跡から見下ろすオリャンタイタンボの村

6日目
朝、電車でオリャンタイタンボに戻り、荷物を受け取ってからマイクロバスでクスコに。途中立ち寄ったオリャンタイタンボの遺跡は圧倒的存在感で聳えています。長く急な石段を上り詰めたところの広場には、6枚の巨石を細い岩でつないだ不思議な建造物が。時代は数千年前に遡り、地軸が今とはずれていた頃のものだとの説明でしたが、遺跡全体からはマチュピチュよりも身近な空気感が伝わってきました。インカ時代の古い村オリャンタイタンボが遺跡のすぐ下に広がっているからでしょうか。

遺跡の前には土産物屋が軒を並べており、ここでしか今は買えないというアンティークの手織りの布を買うべく昼食を適当に切り上げて買い物。夕飯の時もぎりぎりでアルパカ専門店に飛び込みましたが、ペルー旅行4回目というKさんが店や土産物についていろいろアドバイスしてくれるので、短縮された旅程でも効率良く買い物をすることができました。

                
          シャーマンの儀式          ケンコー遺跡近くで草を食むリャマ

オリャンタイタンボからクスコへの道中、サクサイワマンとケンコーの遺跡に立ち寄り、シャーマンの儀式にも参加。シャーマンの儀式は用意が整ったところで公園パトロールに制止され、ホテルの一室で執り行ったのはご愛嬌というべきでしょうか。

ケンコー遺跡の近くではリャマが草をのんびり食んでいました。(四女)
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ペルーの旅(6)リマ、ナスカ

2011-10-11 22:41:33 | 日常
                       
         ナスカ・リマ沿岸部の家々              物売り                        

7日目
早朝の便でクスコからリマに飛び、海岸沿いの繁華街ラルコ・マルのショッピングセンターで昼食。その後ナスカまで高速乗り合いバスで7時間、右手に固い砂地の沿岸地帯、左手に延々と続く荒野を見ながらひた走りました。

クスコやリマの郊外でも良く見かけたのですが、放置されたのか、建設中なのか、人が住んでいるのか判然としない建物が多く、雨が殆ど降らないせいか、壁は日干し煉瓦を積んだりシュロ(?)で編んだむしろ状のもので囲ってあるだけで、窓のないこともざら。人が住んでいないと思うと屋根のない壁の中に洗濯物が沢山干してあったり。更に、沿岸地帯に1畳位のむしろで囲った小屋が点在するのは、物置小屋なのか季節労働者の一時住まいなのか、捨て去られたものなのか。正確な情報を尋ねる人がいないまま帰り、未だにその状況が心に残っています。

また、海岸沿いにはリゾート地なのか別世界のような白亜の建物群があり、その廻りの広い地域を高い壁や鉄柵で囲い、時には見張り小屋があったりして、大きな貧富の差と同時に、ペルーが決して安全とはいえない国であることを思い出させてくれました。

                
        鶏小屋の壁にKEIKOの文字           ナスカの宿


大統領選が6月に行われたため、多くの街の沿道の建物や壁に「KEIKO Presidente 2011」や「OLLANTA」などとペンキで塗られた大きな落書き?がやたらに目に付きました。(KEIKOはフジモリ元大統領の長女で、対立候補のOllanta Humalaが当選。)選挙が終わって既に3ヶ月以上も経つのに、いつまでそのままにしておくのでしょう。応援の仕方も、そのままに放置する感覚も大らかというべきなのでしょうか。

ナスカで大型バスからマイクロバスに乗り換えて郊外のホテルに。部屋はコッテージ形式で、壁は日干し煉瓦、天井はシュロのむしろ状のもの。勿論窓にはガラスが入り、シャワー、トイレ付き。日干し煉瓦の壁は厚みがあって、見かけの粗雑さの割に、外気から適度に室温を保ってくれて快適でした。貧しく見える人々の家も、気候風土に合っているので多分中は暮らしやすいのでしょう。

ユーカリの葉の香りが満ちる中、孔雀や白鳩が放し飼いにされ、ブーゲンビリアやペルーの国花カントゥータが咲き誇り、ブドウやサボテンの畑が広がるという、まさに砂漠の中のオアシス。部屋には絵描きだというオーナーの女性の趣味が一杯詰まり、楽しいペルー旅行を締めるに相応しいステキな宿でした。(四女)
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ペルーの旅(7)ナスカの地上絵

2011-10-11 22:41:04 | 日常
               
     ナスカの地上絵“トライアングル”          セスナよりナスカの町

8日目
ナスカの飛行場にマイクロバスで移動し、6人乗りのセスナで地上絵を見物。

広野が余りにもだだっ広いため、イメージしていたのにくらべて地上絵そのものは大きく感じられず、また自然の水路の跡などが多く走っているので、近くに寄ってそこにXXがあると言われてようやく判別できる程度。それでも「今朝は良く見えた方だ」と経験豊かなN子さんが言っていたので、描かれた当時に比べて大分薄れて来ているのでしょうか。表面の黒っぽい石をどかして下の白い地面を出すという描き方なので、ここまで残っているほうが不思議とも思いますが、吹き抜ける風と地面の熱で生じる小さなつむじ風が、絵に埃が積もるのを防いでいるとガイドさんが説明していました。

それにしてもナスカからパンアメリカン・ハイウェイを20分以上走ってようやく到達するような乾いた大地の真ん中に、当時どのような交通手段があったのか分かりませんが、わざわざこのような絵を描いた人達?はいったい何をしたかったのでしょう。描かれた線の中には天文学的もしくは儀式的な意味合があるとも言われていますが。

セスナで30分近く地上絵を見物したあとは、街で昼食をとり、一旦ホテルで一休み。赤道から近く、標高が低いので真昼間は暑さがきついのです。5時頃から再度平原に出かけ、今度は観察用やぐらからすぐ真下に描かれた“手”や“木”を眺め、時間を見計らって行った小さな丘から平原に沈む日没を飽かずに眺めていました。

               
                  ポジョ専門店

その後ナスカの街に戻り、鶏の炭火焼Pollo(ポジョ・ア・ラ・ブラサ)とワインを買い込んで、ホテルの朝食用の場所を提供してもらってゆっくりペルー最後の晩餐。

Polloは丸ごとの鶏を串にさして回転させながら炭火で炙り焼きするペルーの名物料理。専門店ポッジェリアを街のそこここに見かけるほど人気の食べ物で、確かに皮がカリッとして中がジューシーでとても美味しい。セットメニューには沢山のフライドポテトと少しのサラダ、炭酸飲料がついてきて、「インカコーラと一緒に食べるのが庶民の好む代表的な食事なんだ」とリマっ子の可愛いガイドさんが言っていました。(四女)
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ペルーの旅(8)帰国

2011-10-11 22:40:30 | 日常
                
          ナスカ・リマ間沿岸部        ナスカからリマへの長距離バス

9日目、10日目、11日目
ナスカ郊外のホテルから行きの反対をたどりマイクロバス、高速バス(7時間)、マイクロバス、飛行機(6時間半)、飛行機(12時間)と乗り継ぎ、一気に成田に帰り着きました。ナスカが余りにも乾燥していたので、成田に降り立った途端、肌にしっとりじっとり湿度の高さが感じられ、あー日本に帰ってきたと妙なことで実感。本当に長い旅路でした。

最後になりましたが、思いもかけぬトラブルの対応に追われながらも笑みを絶やさずに突き進んでいく主催者のN子さん、全ての行程を鋭くも優しい眼差しで見守ってくれたN子さんの旦那様のY氏、そして、飲んで食べて笑って全てを消化したステキな大人の仲間達に感謝します。お陰様でとっても楽しい旅でした! 
Muchas gracias!(四女)
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