JAZZ最中

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いのちの砂時計 -終末期医療はいま-  共同通信社社会部編

2012-06-09 23:07:53 | 


昼休みに本屋さんによったら文庫の新刊が平積みされていて、気になるものがあるので買ってみた。「さよならのプリズム」という題で2007年に共同通信社が配信したもののが5年後、「いのちの砂時計」という題になって文庫化されたものです。

まずはまえがきの最初の部分が本書をあらわしているのど、そこの部分を抜粋してみます。

「長い闘病の果てに、あるいは突然の事故で、家族が生死の淵をさまよう。医師から『助かる見込みはありませんが、この先の治療をどうしますか?』と言われたとき、親として、子として、配偶者としてどんな判断ができるだろう。平穏な日々には想像もつかなかった過酷な選択。結論を出すために与えられた時間はそうながくない。」

ここには、終末期を迎えた親への選択や、失われた小さな命、過酷な難病の末の人々のことが簡潔に語られる。
表現は控えめでありながら、その重さは十分につたわってくる。

ごく近い身内も、この時計をテーブルの上に出していて、その時の対応を兄弟で話したばかりだから、その内容は気になるところだけれど、読後も決めたことを変えたいとは思わず、納得を深く出来た気がする。

いろいろな選択枝とその後の思いがかかれているけれど、幾つか心に残る部分を抜粋してみよう。

まずは泣いちゃったところ、妊娠32週で体調を崩し、帝王切開で双子の姉妹をもうけたものの、一人の子には続けざまに病魔が襲い生後27日で別れが訪れた。
残った姉の未来ちゃんがまだ言葉を話し始めたばかりのころ、母親の利恵さんがたずねたこととその答え。

「おなかの中ってどんなふうだった?」
まだ妹の存在を知らなかった幼い未来ちゃんはお母さんにこう教えてくれた。
「あのね、友達がいたんだよ。二人でママのことしゃべったり、遊んだりしてた。ママのこと好きだったよ」

難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を罹患し病状はすすみ、何も出来なくなっている久志さん。往診する医師大塚龍彦氏には「「一日中、『死にたい。(呼吸器を)はずして』とそんな話ばかり。
そんな中母親が自宅で呼吸器をとめ、自殺をはかった。一名をとりとめた母親は殺人容疑で逮捕された。
日本では患者は呼吸器をつけるかどうか選択できても、外す選択はできない。久志氏の相談を受けていた主治医、萩野美恵子氏は「治療の自己決定権」を根拠に彼が主治医の私に呼吸器の取り外しを訴訟を起こすように話をするつもりだった。萩野医師は言う。

「患者の意志で呼吸器を外していいか、私には答えは出せない。でも外したくなった時に外せるなら、つけて生きてみようと考える患者は増えるかもしれない。その議論はすべきだと思うんです」

山谷の在宅ホスピスにはいろいろな人がたどり着き、スタッフの努力で穏やかに旅立つ人がいる。
87才の全盲の佐藤安正さんはシベリヤ抑留からキャバレーのバーテンテンダー、歌舞伎の照明係、激動の昭和を過ごしこの「きぼうのいえ」にたどり着いた。

「戦友が何人も撃たれた。最後はみんな『お母さん』て言って死んだよ。『ちくしょう!仇はとってやる』って。戦争なんて正常じゃねえなあ」
分厚い両手で記者の右手を包むように握ったまま、しんみりした。

生活を崩し放蕩した板前の中野雅博さんは、肺がんの末期で、亡くなるまえ9日に、ここのみんなにシュウマイをつくって振舞ったそうですが、それを食べているのも見る中野さんの写真のなんと穏やかのことか、彼のそれまでの人生もつづられていてその収まりにほっとする思いです。

文庫版のあとがきから、

日本老年医学会は、近い将来に死が避けられない重い障害を抱えた高齢者の終末期医療に関して、栄養を管で送り込む「胃ろう」や人工呼吸器装着などの治療行為について「撤退も選択肢として考慮すべきだ」とする見解を公表した。

私ごと、兄弟で話しあったことは、胃ろうによる栄養補給や、人工呼吸器の装着、昇圧剤の点滴や心臓マッサージの治療は遠慮しようということ、それが本人意思と確認したのです。











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