都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

宇陀松山地区と今井町を歩く

2024-08-15 02:04:41 | 都市計画

 孫が奈良に行くのに合わせ、大宇陀と今井町(40年ぶり)に行き、近鉄奈良からあおによし、帰洛し馬耳東風で焼き鳥の一日とした。

 朝、6時過ぎに烏丸御池から竹田、大和八木乗換により榛原に着くが、バス乗り場を北口(Yahooの地図)と間違え、1時間ロスがある。それでも9時半には大宇陀の道の駅に着く。駅前は飛鳥駅前に似ている。

  ゆっくり松山地区の街並み( https://aknv.city.uda.nara.jp/matuyama/machiya.html )を見て、まずは、宇陀市松山地区まちかどラボ( https://www.uda-kankou.jp/feature/445 )で地図を入手する。隣には千軒舎(https://www.city.uda.nara.jp/kankou/rekishi/shiryoukan/documents/uda-matsuyama-panf.pdf )

 歴史は小田氏の城下町( http://repo.nara-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/AN00181569-19970300-1006.pdf?file_id=1232 )だが( https://www.pref.nara.jp/miryoku/ikasu-nara/tonosama/oda/ )や宇陀崩れ( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E9%99%80%E5%B4%A9%E3%82%8C )、その前に宇陀松山城の取壊し( https://www.pref.nara.jp/miryoku/ikasu-nara/naranoshiro/udamatsuyamajo/ )などがある。

 奈良と伊勢の中間にある集散・商業・宿場の都市であり、千軒と言われ酒造と製薬を生業としていたようだ。

  街並みは、宇陀川沿いの自然堤防上に南北の通りがある。恵比寿(日本の神)、金比羅、愛宕など神社がある。( https://www.city.uda.nara.jp/toshikeikaku/documents/9nisyou8.pdf )

 古い町並みは南北1㎞程、両側に水路が流れている。江戸時代の建物であり辻子2階だ。面白いのは、駒留、出格子などの意匠が多様であり、瓦先の下にも波模様など漆喰の意匠が見られる。厨子2階と軒の取合い部分にも意匠が見られる、これは独自だ。前面だけを洋風にした医院なども面白い。虫籠窓も円形や菱形など多様だ。1階の格子も桂離宮の月の欄間の模様のようファサードについての多様性が楽しめる。宇陀松山城破却(城割役)を担ったのが小堀遠州と中坊左近秀政だからかもしれない。

 医薬は薬草があったためと吉野の陀羅尼介などの関連があるようだ。酒造は陸運の拠点であり道路で運んだのだろう。(宇陀川は舟運には向かないように見える)酒蔵の杉玉も多く雰囲気が良かった。

 2時間程歩いたが、楽しめた。バスは1時間に1本、乗客も少ない。解説の方とも出会わず、ヤクルトのおねいさんと歴史や調査を語ると感心された、意外と地元の方は歴史にうとい。

 今井町へ、大和八木まで近鉄に乗る。駅前には繁華街がない。

 今井町は「海の堺、陸の今井」や「大和の金は今井に七分」といわれ、40年ぶりだが、驚くほどきれいになっている。電柱など1995年から10年間の工事により地下埋設したようだ。( https://www.georhizome.com/archives/blog/8489 )今井町も千軒と言われていた( https://www.city.kashihara.nara.jp/soshiki/1063/gyomu/1/2/1/3831.html )、西側の今西家が最も古く、こちらから東側に街が発展したとのこと( https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalcpij/14/0/14_337/_pdf/-char/ja )丁字路が多く、本町筋(今西家の前)が中心のようだ。道幅は東西の筋が2.8m位、南北が2.2m位と、東西が広いのは船場と同じだ。

 信長と戦った( https://www.imanishike.or.jp/%E4%BB%8A%E8%A5%BF%E5%AE%B6%E3%82%86%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%89%A9/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7/ )

 

ヒアリング①花甍 https://www.nantokanko.jp/isan/5064.html 

・窓口のおねいさんと「40年ぶり」を話すと、近年きれいになったとのこと。色々話して盛り上がる、同じ環濠集落の富田林にも住んでみたいとのこと

・今井町の歴史や拡大過程、模型など参考になる。京都の町家と構造が違う

 

ヒアリング②河合家

・酒販売が併設、奥様とお話

・最近きれいになって、おくどさんも復元したとのこと

・道が丁の字であり、今でも迷う→ならまちよりは良いとのこと、ならまちは色街もあると指摘

・色々お教え頂いて、今西家が起点となり、本町筋と御堂筋が軸となるとのこと。小さな輪っかは茅野輪くぐり(最近始まった)の時の自作の品とのこと。各家にあった。

 

ヒアリング③米谷家住宅 http://sakuwa.com/ima6.html 

・奥様とお話

・土間が珍しい、本家の番頭の別宅だったようだ

・井戸が2つあった

 

ヒアリング④今井町家館 http://sakuwa.com/ima34.html 

・案内の刀自とお話

・歴史を良く知っている、今井は商業の街、八木は伊勢と葛城修験道がクロスする宿場町とお教え頂いた

・間口税は間違い(丸山論文)、また所有者だけに税金がかかる(中川論文)などの話を伝える

・金貸し(土倉 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%80%89 )が多く、天井から下りる戸を見せて頂いた、昔は外側にもあったが真っ暗になるため今はないという。宇陀市松山地区にもあった。泥棒・盗賊対策だろう

 誠に楽しめた。今井町と八木宿場は再度歩いてみたいものだ

 このあと、近鉄奈良からあおによしに乗り、うまいビールを2杯飲み、さらに帰洛し馬耳東風にて焼鳥を賞味。

 楽しい一日だった、24,600歩

コメント
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