春と秋に1週間程度しか公開されない四君子苑( https://www.kitamura-museum.com/shikunshien.html )、2千円(北村美術館含む)に11:45に行くと45分程待ち(その間は北村美術館見学)、写真撮影禁止(昔は撮れたようだ)のためパンフレット(1,200円)を購い予習する。参考となる写真は:
https://yoshidah.exblog.jp/12186594/
http://blog.livedoor.jp/iwasakiyasushi/archives/51546758.html
https://www7b.biglobe.ne.jp/~chinke/shikunshien.html
人数制限のためゆったり、解説スタッフが要所要所に
北側の建築は1944年竣工の北村捨次郎作。
大まかに、東側入口の表門、西側は植込の先が鴨川、北側に露地口、外露地(敷石は黒の切石敷き、そして外側に雨落石(このため樋は後付けと思われる))、外腰掛があり中潜を経て茶室の小間(珍散蓮 二畳台目)に至る茶室への動線が設けられている。
相伴席も仕掛けがあり、襖の下の敷居も取り外しできるとのこと。実用的な会合への対応が考えられている。
この横の珍散蓮の前の斜め四角板張りの張り出し(下を遣水が流れる)は手すりも軽やかであり、「綺麗さび」(小堀遠州)を感じる。
その先には広間(看大 8畳)では正客席からは大文字が望める。南側にある六角名栗の張り出しは南向きでもあり日向ぼっこ用だろうか。
稲穂垣に沿う延段を左に回り、拝観は脇の玄関土間から入る。建築は吉田五十八による1963年の建替えになり居住家屋となっている。なお、正面にある内玄関は田舎風であり大きな青石の沓脱石や釣燈籠と鹿の餌入れ石がある。その先には孤篷庵に似た上が障子、下が見通せる仕掛けになっている。
更に立礼席が右にあり土間(外露地と同じ敷石)が周りを囲み東側にある茶室への誘導となっている。
今はアルミ・サッシュであり開放的、その先には大きな沓脱石がある(御影石か)。北側には上の間、下の間があり廊下が広く庭を眺める仕組みになっている。西向きと北向きであり簾状のルーバーもある。可動パーティションなど当時にしてはモダンだ。個人的には村野藤吾の佳水園などの方が好みであり、よくできた近代数寄屋風と思った。
佐野越守の改修による庭には各種の燈籠(石と鉄の釣)、多宝塔、礎石、車石がある、多彩な形と種類の石と鉄が面白い。ただ、桂離宮のように誘導するための燈籠ではないと思った。
池泉回遊式の庭園ではなく、2つの建物の間を行く遣水だ、珍散蓮の前の板敷(下を遣水が流れる角の東屋風)から鯉に餌をやっていたそうだ。
石の種類:
金棒石(奈良)延段
春日部石(亀岡)遣水の床に
真黒石(鴨川貴船)広間の前の延段、犬走
楠化石(飛騨)腰掛石
全体的には北村謹次郎の道楽・趣味が生かされた建築と庭だ。1975年より公益財団法人 北村文華財団の運営( https://www.kitamura-museum.com/corporate.html )と維持管理のご苦労を思った。
2時間ほど楽しんで、良いものを見たと感じた