園長です。
正月2日と言えば、「箱根駅伝」です。朝8時スタートの時刻には起きられませんでしたが、先頭が3キロ付近に来たころ私もテレビの前で参戦しました。私の母校は駒澤大学。毎年のように上位入賞を果たしている箱根の常連校です。私たちが学生のころ(昭和50~53年)は、今のように駅伝は強くはなく、私が卒業してから強くなったようです。そのころ箱根駅伝に出場していたら、川口家の家訓など何のその、正月も東京に残り、箱根駅伝の応援に行っていたと思います。母校というのは本当にありがたいものです。卒業しても自分の帰れる場所があるということはとても心強いものがあります。東京と八戸、距離は遠いものがありますが、母校ということで応援にも力が入ります。その母校は、ストートからつまずき、参加20校中18位で2区にたすきをつなぎました。この日のために体調を万全に整え、テレビの前に正座して応援していた私はつい、ずっこけてしまいましたが、2区と5区で4年生が踏ん張り、往路8位という、一応合格圏内でゴールしました。明日はしっかりと朝8時には正座をして復路の応援に力を入れたいと思います。
ところで、このテレビにかじりついていたのは私だけではなかったようで、学生時代の広島の友人も肩を落として応援していたそうでした。この友人とは、学生時代にお互いの家へ遊びに行ったり、旅行をしたりし、今でも彼のお母さんとは時々連絡を取っています。彼の家には2度伺っており、その都度、お母様には大変お世話になったのでした。広島での原爆ドームや記念館、江田島での人間魚雷「てんかい」など印象に深く残る場所を案内してもらったものでした。そして広島風お好み焼き、かきなどもごちそうしてもらいました。その後、2回広島へ行きましたが、あの時ほど私の知らない広島を見せてもらったことはありません。友人とはありがたいものです。何年振りかで言葉を交わしたのですが、話の内容は楽しいものではありませんでした。栃木の友人の病気のことで連絡したのですが、私たちも何時、どのような病気になるかもしれないので、お互い連絡を取り合おう、という内容だったのです。今年54歳になる昭和31年生まれは「八白土星」の年周りで「八方塞がり」の年だそうです。自分の力ではどうもならないことが起こるそうです。あんまり良い年周りではなさそうです。周りの協力を得ながら乗り越えたいと思います。久しぶりに大学時代の友人と話ができ、今日は少しだけ、学生気分に戻ったような感じでした。でも20数年ぶりに会った時、お互いの容姿の変貌ぶりには目を覆うことにならないか、それだけが心配の種となりました。あと一人、大学時代懇意にしていた友人がいたのですが、卒業して30数年、今では行方不明、音信不通となっています。時間とは、時には温かく、時には非情になるものだと私は思います。出来るなら楽しく、温かい時間を過ごしたいものだと思います。たった4年間の学生時代でしたが多くの思い出が詰まった宝石箱のような時間でした。
正月2日と言えば、「箱根駅伝」です。朝8時スタートの時刻には起きられませんでしたが、先頭が3キロ付近に来たころ私もテレビの前で参戦しました。私の母校は駒澤大学。毎年のように上位入賞を果たしている箱根の常連校です。私たちが学生のころ(昭和50~53年)は、今のように駅伝は強くはなく、私が卒業してから強くなったようです。そのころ箱根駅伝に出場していたら、川口家の家訓など何のその、正月も東京に残り、箱根駅伝の応援に行っていたと思います。母校というのは本当にありがたいものです。卒業しても自分の帰れる場所があるということはとても心強いものがあります。東京と八戸、距離は遠いものがありますが、母校ということで応援にも力が入ります。その母校は、ストートからつまずき、参加20校中18位で2区にたすきをつなぎました。この日のために体調を万全に整え、テレビの前に正座して応援していた私はつい、ずっこけてしまいましたが、2区と5区で4年生が踏ん張り、往路8位という、一応合格圏内でゴールしました。明日はしっかりと朝8時には正座をして復路の応援に力を入れたいと思います。
ところで、このテレビにかじりついていたのは私だけではなかったようで、学生時代の広島の友人も肩を落として応援していたそうでした。この友人とは、学生時代にお互いの家へ遊びに行ったり、旅行をしたりし、今でも彼のお母さんとは時々連絡を取っています。彼の家には2度伺っており、その都度、お母様には大変お世話になったのでした。広島での原爆ドームや記念館、江田島での人間魚雷「てんかい」など印象に深く残る場所を案内してもらったものでした。そして広島風お好み焼き、かきなどもごちそうしてもらいました。その後、2回広島へ行きましたが、あの時ほど私の知らない広島を見せてもらったことはありません。友人とはありがたいものです。何年振りかで言葉を交わしたのですが、話の内容は楽しいものではありませんでした。栃木の友人の病気のことで連絡したのですが、私たちも何時、どのような病気になるかもしれないので、お互い連絡を取り合おう、という内容だったのです。今年54歳になる昭和31年生まれは「八白土星」の年周りで「八方塞がり」の年だそうです。自分の力ではどうもならないことが起こるそうです。あんまり良い年周りではなさそうです。周りの協力を得ながら乗り越えたいと思います。久しぶりに大学時代の友人と話ができ、今日は少しだけ、学生気分に戻ったような感じでした。でも20数年ぶりに会った時、お互いの容姿の変貌ぶりには目を覆うことにならないか、それだけが心配の種となりました。あと一人、大学時代懇意にしていた友人がいたのですが、卒業して30数年、今では行方不明、音信不通となっています。時間とは、時には温かく、時には非情になるものだと私は思います。出来るなら楽しく、温かい時間を過ごしたいものだと思います。たった4年間の学生時代でしたが多くの思い出が詰まった宝石箱のような時間でした。