ヨハネス・フェルメールが発見した日常性を
数百年後のぼくたちが発見する。
そこに差し込んでいた光は永遠のつばさをえて
時空を旅している。
その途中で たまたま日本人のこころをとらえたのだ。
そこに描かれた人びと。
青いターバンの少女や手紙を読む女や
地理学者 真珠を量る女。
「やあ こんにちは。お会いするのははじめてですよね」
登場人物をつつんでいるやわらかい親密な光。
時代の刻印をもったミクロのほこりは
こういうまなざしの内側で舞いあがる。
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バックハウスやケンプの時代にピアノ音楽に目覚めたので、その後、若い世代のピアノに馴染むには少し時間がかかった。
それでも、むろんレコード、CDという限定つきではあるが、ルービンシュタインやグルダやブレンデル、アシュケナージをあつめて聴いてきた。
グールドがだめ。ミケランジェリがだめ。ポリーニがだめ。そのうえ、リヒテルも、アルゲリッチもだめということになると、いったいだれのピアノがいいの? ということになりかねない(^^;)
指揮者と違って、好みがはっきり分かれてしまうのが、わたしの場合、ピアニスト。
まあ、指揮者であっても、好き嫌いはあるけれど、たとえばポリーニのように「こんなやつ、もう二度とは聴かねえぞ!」という反応は起こらない。
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