
黄色信号が点滅している(ポエムNO.67)
なんてことのないいつもの夕ぐれ
外国の見なれないコインが二枚落ちていて
ぼくはそれを夢の中から拾いあげた。
ふと足を踏み入れた路地の奥のような夢。
コインをポケットに入れて歩き出す。
それから 百日が
いやもしかしたら 数千日が経過している。
もうぼくのポケットにはコインは入っていない。
どこへいったのか どこへ落としたのか・・・。
もしかしたら あのコインはぼくの大切な娘と息子
その比喩のようなものだったのかもしれない。
黄色信号が点滅している。
突風に翻弄されるラッパスイセンのように
ぼくの胸のはずれあたりで
ゆれて ゆ・れ・て。
あれはなんの信号だろう?
そっちにすすむと 危険が待ち伏せしている・・・とでもいうように。

音楽のつばさに乗って(ポエムNO.68)
ブルックナーという音楽の響きのつばさに乗って
ぼくはどこへでもいける。
そのことに 一昨年気がついた。
だからって ぼくの日常生活に驚くような変化が生じたわけではない。
考えてみれば(いうも愚かなことかも知れないが)
ぼくはしじゅう感動している。
だからって ぼくの日常生活に驚くような変化が生じるわけではない。
そうさ 太陽や空気や水にだって 感動できる。
何億年もまえから この地球上いたるところにあるってのに。
この数年 旅らしい旅をしていない。
だけどブルックナーの音楽は涯がないほど広大だから
そこをさまよっているとぼくは一頭の年老いた驢馬のようにくたくたになる。
そして こう思う。
「え ブルックナーの音楽にも終わりがあったの?」と。
むろん 終わりがあるからつぎがはじまる。
たとえばシンフォニー第七番が終わってしまってからも
彼の音楽はぼくの耳の奥で響いている。
ぼくのささやかな私生活の中で
・・・ブルックナーの音楽はいつまでも終わらない。