(「カメラの肖像」より 2020年5月)
◆覚書き◆
・今年はずいぶん詩が生まれてきた。これほどまとめて詩を書いた経験、これまでになかった。
・何ヶ月かたってから読み返すと、出来・不出来に差があることがわかる。ピンキリということだ。完成したもの、未完のもの(失敗作)が、ほぼ同数。
UPしたのは、むろん完成作のみ。
・コミュニケーション言語だけでなく、詩的言語を用いないと、こころの動きを自分自身で察知することができない。
これは不可解な現象だが、吉本隆明用語に個人幻想という概念がある。それに類するものだろう。
・「現代詩」というジャンルに関心がある方が少ないのは、昔もいまも同じ(=_=)
現在は俳句、短歌同様、読む人=書く人。
外国でも、わが国と似たような世相となっているのだろうか?
それとも、こういった詩がさかんに書かれ、ある程度の読者を擁している国があるのだろうか?
かつてのフランス、イギリスのように。
あるいはゲーテが活躍していた時代のドイツのように。
・このところ詩はなるべく短い方がインパクトがある・・・と考えるようになってきた。
だらだらと書かず、ことばを節約すること。
また難解な暗喩に、なるべくもたれかからないこと。
◆2020年◆ 現在まで43編
3-68 半世捨て人(5/29)
3-67 悲しみの向こう側(5/28)
3-66 ドナルドが一番!(5/27)
3-65 菜の花の土手(5/26)
3-64 顔をしっかり洗って(5/22)
3-63 ほらまた躓いた(5/17)
3-62 アンを夢む(5/15)
3-61 ドナルド的日常(5/14)
3-60 そのための水曜日(5/12)
3-59 暁の通風口(5/11)
3-58 青空のかけら ほか3編の短詩(5/19)
3-57 夕暮れの大気に漂うもの(5/8)
3-56 遠い日へのロンド(5/7)
3-55 七つのトレモロ(5/6)
3-54 瀬戸際に立たされている(5/5)
3-53 ラヴェルの音譜 ほか短詩3編(5/4)
3-52 シアワセ指数(5/4)
3-51 停留所のいらないバス(5/3)
3-50 一日の幕切れ(5/2)
3-49 麗しき柿若葉(5/1)
3-48 美しい生活(4/30)
3-47 ことばのすべてを脱ぎすてて(4/29)
3-46 積み木のような明日(4/28)
3-45 夕焼けを見る人(4/27)
3-44 やさしさが芽吹くとき(4/27)
3-43 手にてなす何事もなし(4/25)
3-42 神様がいたとしても(4/24)
3-41 ぼくはここにいるよ(4/16)
3-40 ムクドリの日常(4/15)
3-39 思い出パレット(4/14)
3-38 チャリン!(4/13)
3-37 ことばの橋をわたって(4/10)
3-36 美しい星(4/8)
3-35 人間ってやつ(4/8)
3-34 TAKASAKIは今日は曇り(4/6)
3-33 springソナタを聴きながら(3/11)
3-32 あのトランクを手にして(2/27)
3-31 日常(2/26)
3-30 カサブランカ(2/25)
3-29 アメーリアの乳房(2/24)
3-28 耳をすまそう(2/21)
3-27 ゆれてゆれて(2/13)
3-26 百年後にお会いしましょう(1/31)
3-25 胸のふるえが止まらない(1/15)
(画像はネット上からいただいたもの、ありがとうございます)
◆2019年◆5月1日以降16編 年間17編
3-24 つぎに会うまでのさよなら(11/26)
3-23 記憶の遠い路地(11/17)
3-22 悲観論(11/16)
3-21 それができる奇蹟(11/4)
3-20 ことばの苗木(11/1)
3-19 衰えていく方に(10/26)
3-18 そうじゃないのかなあ(10/25)
3-17 この世へようこそ!(10/23)
3-16 夢の澱を撮る(10/21)
3-15 まるで!のように(10/19)
3-14 どんぐりに思想はない(10/18)
3-13 記憶の構造(10/15)
3-12 スズメたちがにぎやかだった日(10/8)
3-11 老いさらばえたロバがいななく(7/24)
3-10 明後日のあたり(7/19)
3-9 わが遺品目録および遺言(6/8)
3-8 確信に変わっていく(5/19)
3-7 何者かそこにいる(4/10)
※ 2019年の代表作
「記憶の構造 ――恋歌もどき」
◆覚書き◆
・今年はずいぶん詩が生まれてきた。これほどまとめて詩を書いた経験、これまでになかった。
・何ヶ月かたってから読み返すと、出来・不出来に差があることがわかる。ピンキリということだ。完成したもの、未完のもの(失敗作)が、ほぼ同数。
UPしたのは、むろん完成作のみ。
・コミュニケーション言語だけでなく、詩的言語を用いないと、こころの動きを自分自身で察知することができない。
これは不可解な現象だが、吉本隆明用語に個人幻想という概念がある。それに類するものだろう。
・「現代詩」というジャンルに関心がある方が少ないのは、昔もいまも同じ(=_=)
現在は俳句、短歌同様、読む人=書く人。
外国でも、わが国と似たような世相となっているのだろうか?
それとも、こういった詩がさかんに書かれ、ある程度の読者を擁している国があるのだろうか?
かつてのフランス、イギリスのように。
あるいはゲーテが活躍していた時代のドイツのように。
・このところ詩はなるべく短い方がインパクトがある・・・と考えるようになってきた。
だらだらと書かず、ことばを節約すること。
また難解な暗喩に、なるべくもたれかからないこと。
◆2020年◆ 現在まで43編
3-68 半世捨て人(5/29)
3-67 悲しみの向こう側(5/28)
3-66 ドナルドが一番!(5/27)
3-65 菜の花の土手(5/26)
3-64 顔をしっかり洗って(5/22)
3-63 ほらまた躓いた(5/17)
3-62 アンを夢む(5/15)
3-61 ドナルド的日常(5/14)
3-60 そのための水曜日(5/12)
3-59 暁の通風口(5/11)
3-58 青空のかけら ほか3編の短詩(5/19)
3-57 夕暮れの大気に漂うもの(5/8)
3-56 遠い日へのロンド(5/7)
3-55 七つのトレモロ(5/6)
3-54 瀬戸際に立たされている(5/5)
3-53 ラヴェルの音譜 ほか短詩3編(5/4)
3-52 シアワセ指数(5/4)
3-51 停留所のいらないバス(5/3)
3-50 一日の幕切れ(5/2)
3-49 麗しき柿若葉(5/1)
3-48 美しい生活(4/30)
3-47 ことばのすべてを脱ぎすてて(4/29)
3-46 積み木のような明日(4/28)
3-45 夕焼けを見る人(4/27)
3-44 やさしさが芽吹くとき(4/27)
3-43 手にてなす何事もなし(4/25)
3-42 神様がいたとしても(4/24)
3-41 ぼくはここにいるよ(4/16)
3-40 ムクドリの日常(4/15)
3-39 思い出パレット(4/14)
3-38 チャリン!(4/13)
3-37 ことばの橋をわたって(4/10)
3-36 美しい星(4/8)
3-35 人間ってやつ(4/8)
3-34 TAKASAKIは今日は曇り(4/6)
3-33 springソナタを聴きながら(3/11)
3-32 あのトランクを手にして(2/27)
3-31 日常(2/26)
3-30 カサブランカ(2/25)
3-29 アメーリアの乳房(2/24)
3-28 耳をすまそう(2/21)
3-27 ゆれてゆれて(2/13)
3-26 百年後にお会いしましょう(1/31)
3-25 胸のふるえが止まらない(1/15)
(画像はネット上からいただいたもの、ありがとうございます)
◆2019年◆5月1日以降16編 年間17編
3-24 つぎに会うまでのさよなら(11/26)
3-23 記憶の遠い路地(11/17)
3-22 悲観論(11/16)
3-21 それができる奇蹟(11/4)
3-20 ことばの苗木(11/1)
3-19 衰えていく方に(10/26)
3-18 そうじゃないのかなあ(10/25)
3-17 この世へようこそ!(10/23)
3-16 夢の澱を撮る(10/21)
3-15 まるで!のように(10/19)
3-14 どんぐりに思想はない(10/18)
3-13 記憶の構造(10/15)
3-12 スズメたちがにぎやかだった日(10/8)
3-11 老いさらばえたロバがいななく(7/24)
3-10 明後日のあたり(7/19)
3-9 わが遺品目録および遺言(6/8)
3-8 確信に変わっていく(5/19)
3-7 何者かそこにいる(4/10)
※ 2019年の代表作
「記憶の構造 ――恋歌もどき」