これはデジタル一眼レフカメラ、キヤノン「EOS 60D」のコミュニケーション・ワード。
ひねりがきいていて、微妙なニュアンスをもたせた、いいことばだなあぁ・・・ということで、ちょっと拝借。
<1.機材のはなし>
LX5を購入したことで、久ぶりに「写真のど真ん中」に帰ってきて、
アサカメ、ポンカメなどを買って読むようになった。メカ記事も好きだし、グラビア・ページを眺めるのも、いろいろな示唆がもらえて愉しいので、BOOK OFFへいって、こういった情報誌のバックナンバーまであさっている(=_=)
撮影でどんな機材を使うのかは、どんな写真を撮りたいのかと直結している。LX5を買ったとき、「街撮りでいこう」と決めていたのだ(おいおい、本当かい)。
それも、人物スナップ主体ではなく、「ブツ」や寸景を中心とした街角。
コントラスト検出型のデジカメは、いまでもけっこうタイムラグが大きく、
動きのはげしい被写体を撮影するのは苦手。
正統派一眼レフは、現在はニコンFマウントのカメラだけ。したがって、D7000の発売とその反響は、まことに興味深いものがあった。
風景写真をやるというなら、35mmフルサイズにも関心が向かうのだろうが、
いまのところ、風景写真への復帰は考えていないから、APS-Cサイズの中級機がベストフィットだと感じている。D7000はもっさりした大器ニコンの、久しぶりのベストセラー機種となっているようだし、わたしとしては価格の推移を見守っているところ。
2011年には、どんなカメラが登場するのだろう?
と期待していたら、まずはオリンパスの先制攻撃が目覚ましい。
PEN E-PL2の発表が衝撃的だったし、LX5やS95をそのライバルとしたZX-1もおもしろい。フジからはAPS-Cの新鋭機で、レトロ感覚満載のX100の発売予告が出ている。
あれも欲しい、こっちも・・・だけど、予算は限られているから、機種選びは、ほんとうに悩ましい。
「そのカメラを手にして、何を撮りたいの? 趣味なら、本気で」
って、核心をついているよな、と思ってしまうこのごろなのである(笑)。
<2.mixiアルバムについて>
どこかで書いたように、わたしはmixiのアルバムを、ミニ写真集のつもりで編集している。全部というわけじゃないけど、セレクトしたり、レタッチしたりしながら、「これ、ちっちゃな写真集なんだよ~ん。そういうつもりで見てね」という思いを込めて「○○枚セット」ということばを添えている。
大上段に振りかぶったようなタイトルと、シリアスで意味が重すぎる写真は要注意。
写真の一枚一枚は、意味があるようでない、ないようであるという、微妙な視覚言語のうえに葉っぱのように浮かんで、ゆらゆら揺れているのがいい。
もうひとつわたしが意識しているのは「被写体を発見するよろこび」がある世界。
だから、いわゆる「撮影地写真」であってはならないのである。風景もそうだし、スナップもそう。定番写真といわれるものから、ちょっとはずれた場所に、「わたしだけの世界」みたいなものを構築したい・・・というこの思いの正体はなんだろう?
だから、ときに、アルバムのタイトルや、表紙にこだわってみたくなる。
アマチュアなんだから、所詮は遊びさ――と考えてはいても、
心のどこかに「趣味なら本気で」という突っ張りくんがいるのである(-_-)
<3.セルフ・ポートレイト>
リー・フリードランダーや田中チョートクさんの末裔なのかどうか、
出かけたさきで見かける「セルフポートレイト」をよく撮影している。
「おやおや、こんなところに、こんなやつが? あらあら、だれかと思ったら」といった軽いノリで、ぽんと撮る。
これまた、意味があるようでない、ないようである、ゆらゆら揺れている秤の上のオブジェなんだねぇ。ちょっと手をふれると、向こう側へ落っこちていく・・・というような。
このセルフポートレイトを、もっと積極的に撮ってみようかしら、と思ったことがある。
しかし、映り込み写真は、2、30枚も見たら、いささか飽きてしまう。
自己愛(ナルシズム)が露骨に出てしまうのは失敗作。
眼の端っこを、ちらっとかすめて過ぎ去る鳥影のように、自意識のしっぽをつかまえてみたいなぁ。いや、写真に撮ってみたいのである。趣味なら本気でとは、そういうことのような気がするから、ね。
ひねりがきいていて、微妙なニュアンスをもたせた、いいことばだなあぁ・・・ということで、ちょっと拝借。
<1.機材のはなし>
LX5を購入したことで、久ぶりに「写真のど真ん中」に帰ってきて、
アサカメ、ポンカメなどを買って読むようになった。メカ記事も好きだし、グラビア・ページを眺めるのも、いろいろな示唆がもらえて愉しいので、BOOK OFFへいって、こういった情報誌のバックナンバーまであさっている(=_=)
撮影でどんな機材を使うのかは、どんな写真を撮りたいのかと直結している。LX5を買ったとき、「街撮りでいこう」と決めていたのだ(おいおい、本当かい)。
それも、人物スナップ主体ではなく、「ブツ」や寸景を中心とした街角。
コントラスト検出型のデジカメは、いまでもけっこうタイムラグが大きく、
動きのはげしい被写体を撮影するのは苦手。
正統派一眼レフは、現在はニコンFマウントのカメラだけ。したがって、D7000の発売とその反響は、まことに興味深いものがあった。
風景写真をやるというなら、35mmフルサイズにも関心が向かうのだろうが、
いまのところ、風景写真への復帰は考えていないから、APS-Cサイズの中級機がベストフィットだと感じている。D7000はもっさりした大器ニコンの、久しぶりのベストセラー機種となっているようだし、わたしとしては価格の推移を見守っているところ。
2011年には、どんなカメラが登場するのだろう?
と期待していたら、まずはオリンパスの先制攻撃が目覚ましい。
PEN E-PL2の発表が衝撃的だったし、LX5やS95をそのライバルとしたZX-1もおもしろい。フジからはAPS-Cの新鋭機で、レトロ感覚満載のX100の発売予告が出ている。
あれも欲しい、こっちも・・・だけど、予算は限られているから、機種選びは、ほんとうに悩ましい。
「そのカメラを手にして、何を撮りたいの? 趣味なら、本気で」
って、核心をついているよな、と思ってしまうこのごろなのである(笑)。
<2.mixiアルバムについて>
どこかで書いたように、わたしはmixiのアルバムを、ミニ写真集のつもりで編集している。全部というわけじゃないけど、セレクトしたり、レタッチしたりしながら、「これ、ちっちゃな写真集なんだよ~ん。そういうつもりで見てね」という思いを込めて「○○枚セット」ということばを添えている。
大上段に振りかぶったようなタイトルと、シリアスで意味が重すぎる写真は要注意。
写真の一枚一枚は、意味があるようでない、ないようであるという、微妙な視覚言語のうえに葉っぱのように浮かんで、ゆらゆら揺れているのがいい。
もうひとつわたしが意識しているのは「被写体を発見するよろこび」がある世界。
だから、いわゆる「撮影地写真」であってはならないのである。風景もそうだし、スナップもそう。定番写真といわれるものから、ちょっとはずれた場所に、「わたしだけの世界」みたいなものを構築したい・・・というこの思いの正体はなんだろう?
だから、ときに、アルバムのタイトルや、表紙にこだわってみたくなる。
アマチュアなんだから、所詮は遊びさ――と考えてはいても、
心のどこかに「趣味なら本気で」という突っ張りくんがいるのである(-_-)
<3.セルフ・ポートレイト>
リー・フリードランダーや田中チョートクさんの末裔なのかどうか、
出かけたさきで見かける「セルフポートレイト」をよく撮影している。
「おやおや、こんなところに、こんなやつが? あらあら、だれかと思ったら」といった軽いノリで、ぽんと撮る。
これまた、意味があるようでない、ないようである、ゆらゆら揺れている秤の上のオブジェなんだねぇ。ちょっと手をふれると、向こう側へ落っこちていく・・・というような。
このセルフポートレイトを、もっと積極的に撮ってみようかしら、と思ったことがある。
しかし、映り込み写真は、2、30枚も見たら、いささか飽きてしまう。
自己愛(ナルシズム)が露骨に出てしまうのは失敗作。
眼の端っこを、ちらっとかすめて過ぎ去る鳥影のように、自意識のしっぽをつかまえてみたいなぁ。いや、写真に撮ってみたいのである。趣味なら本気でとは、そういうことのような気がするから、ね。