通勤の途中によく写真を撮っている。
むろん2/3はクルマド写真。
信号待ちであったり、渋滞中であったり、徐行しながらであったりと、条件は少しずつ違うけれども、わたしの視界を横切っていく景物、人物の変化がおもしろい。
まあまあのものが撮れると、ほとんどは「夜への階段」「フラグメント」の新作としてアルバムにアップしている。
たまにはスーパーやコンビニ、本屋などに立ち寄る。すると「ついで写真」を撮る。
トップの一枚は、右折待ちでならんでいるとき見かけた、夕刻七時ころの光景。
右から横断歩道をわたろうと小走りにやってきた妙齢の女性を発見してすかさずパチリ(^_^)/~
RICOH CX4の「トイフォト」で撮影している。
これらの写真と詩には、一つの共通項がある。
写真は撮ってみないとわからないし、詩は書いてみないとわからない・・・ということである。
わたしは写真とのつきあいは長く、もうすぐ四十年におよぶ。
仲間たちと「はぐれ雲」という集団をつくり、年一回の写真展を開催したり、撮影旅行をしたり、素人モデルを見つけて撮影会をやったり、遠方までクルマを飛ばし、有名な撮影地写真を撮ったりしてきた。
お金をいただいて雑誌・新聞の撮影のお手伝いをしていた時期もあるし、モノクロの写真集も一冊出している。撮影のため、海外旅行までしている。
しかし、デジタルの時代になってからは、六年ほど、もっぱら昆虫の生態写真ばかり撮っていた。昨年秋には、また小さな曲がり角がやってきて、「街撮り」へ復帰。
そしてこの暑い夏には、「夜への階段」「フラグメント」を継続してきた。
写真は結局のところ「撮ってみないとわからない」から、撮るのである。
「へええ、こんなふうに写るんだ!?」
写真のおもしろさは、結局のところ、そのひとことに集約できるのではないか?
たとえば、これ。
台風がやってきて雨が降ったりやんだりの合間を衝いて、近所の池にいるハグロトンボをパチリ。プログラムまかせ、ノーマル・モードで撮影しているのだけれど、池の面の質感描写は、たぶんこのCX4独特のものである。
こちらはトイフォト。メタルの塗装なのに、黄色と赤はまるでプラスチック製のようではないか・・・。
CX4で夜の街を撮る場合も、トイフォトモードが多くなる。その理由は、このモードだとノイズが少なく、彩度がアップし、よりファンタジックなイメージが強調できるから――。わたしの場合、CX4のISOは上限800だと考えている。だけど、トイフォトにすると、大抵は1600まで「使える」写真になる。
撮ってみないとわからないから、撮る。
書いてみないとわからないから、書く。
最初にそれを見、最初にそれを読んで愉しむのは、三毛ネコ自身――ということになる(^_^)v
そこには「決まり切った写真や詩ではなく、これまでだれも撮ったことがない写真、書いたことがない詩を書きたい」という、ささやかな野心がかくれているといえるかもしれない。