二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

世捨て人のように(ポエムNO.56)

2011年09月14日 | 俳句・短歌・詩集


騒音の中で寝返りをうつ。
ああ どこもかしこも薄汚れているね。
さっきもぼろぼろのジーンズをはいた世捨て人とすれ違った。
「おれはほんとうは世捨て人なのだ」
とは人はいわないものだが
ぼくには気配でそれがわかる。
金に執着のうすい人は 皆どこか世捨て人に似ている。

もう何年も 赤城山を裏から
つまり北側から見たことがない・・・
ということに突然気がついて不安になる。
それもまた数瞬のことで 暮らしに追われて
やくざな思念で頭をいっぱいにしながら
疲れ眼を赤く燃やしながら ベッドに倒れ込むんだ。
そのときのぼくはボロきれになっていてね。
ネズミ坂を登りながら息たえだえになり。

薄汚れていて いちばん嫌いなぼくで
他人には絶対見られたくないぼくなんだ。
だれにだって そんな自分をもてあます夜があるだろうけれど。
くよくよしても仕方ない。
世捨て人とは世を捨てた人ではなく
世に捨てられた人 なんだってね。
化けそこなったタヌキが 近ごろやたらふえて。

李白のように「別に天地の人間に非ざる有り」といえるなら
いくらか気分がはれるのに
そうは問屋がおろさない。
ぼくだってきみと同じ現代人なんでね 一応。
ネズミ坂の途中でうらぶれた気分をこれ以上悪化させないよう
不動産屋のふりをする。
フォトグラファーのふりをし 詩人のふりをする。

だけど ぼくはじつはそのどれでもなくて
なんといったらいいのかわからないので
いろんな名刺やハンドルネームをつくって
そこがぼくの隠れ家となる。
片品村から眺めた赤城山も赤城だし
世捨て人と区別がつかないぼくもぼくなんだな。
説明すると ちょっとややこしいけれどね。



※引用は李白の「山中問答」に拠っています。

余に問ふ 何の意ありてか碧山に棲むと
笑って答へず心自から閑なり
桃花流水杳然として去る
別に天地の人間に非ざる有り

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