一昨日、昨日と身辺多忙。あたふたと仕事に追われていた。
2月3月は、こんな日がよくある。
さっき眼を覚まし、ジンジャエールをぐびぐびと飲みながら階段をあがっていると、細めに開けた窓の枠に、白いものが見えた。
「あ、雪だ」
風で白い粉のような雪片が吹き込んでいたのだ。
わたしは窓から、暗い戸外へ眼をこらした。
物置の屋根に雪がうっすら積もっている。
「おやおや。昨夜の気象情報では、ここいらは雪が降るとはいってなかったのに・・・。明日、約束の時刻に、約束の場所までたどり着けるだろうか?」
遠くの人家の明りがまたたくように夜の底にうずくまっている。
しかし、雪のせいで、冷え込みはいくらかゆるやかなようだ。
忙しさの中には、クレームへの対応というアクシデントもあった。
わたしの気分は、こんなだったり、あるいは、こんなだったり、
さらにこんなだったりもした(笑)。
まあ、守秘義務があるから、内容には踏み込まないでおこう。たとえmixiでも、ぶちまけたら、いくらか気持もおさまるだろうけれど、わたしの流儀ではない(=_=)
トップにあげた本、右は一昨日買ってしまった藤原新也「書行無常」(集英社3400円+税)。
藤原さんは、雄々しくも、全身全霊で、まるで修行僧のように、現代という時代に体当たりしている。この本をはじめ書店で手にとったのは、いつだろう?
「え? ・・・藤原さんは、いったいなにをやりはじめたの?」
まったく見当がつかないまま、本を書店の棚に返したことを、覚えている。
「書行」は、しょぎょうと読み、藤原さんの造語である。
本書のオビには、こう書かれてある。
《“書行”とは、書を“行為”するという意味だ。世の中のあらゆる場所を旅し、その場所で思いついた言葉を居合い抜きのごとく“書する”ということである》
藤原新也は、その出発のときから「写真家である」ということに、安住している人ではなかった。自分の手や足や脳や、身体のあらゆる場所を使って、舞踏家のように、細身のひきしまった男の姿が、大地に舞う。そして巨大な文字が姿をあらわす!
書かれる文字には、藤原さんの怒りや笑いや絶望が、そして愛がこめられている。あとがきでいうように、書の旅であり、編集スタッフを巻き添えにした、途轍もないパフォーマンスである。
この本は、前代未聞・分類不能の書である。
なにものにもとらわれない精神が、身体の形をかりて、前後左右に動き、跳ね、回転し、声や唸りを発する。
これは、なんだろう?
一方左の本は「肖像権の霧をはらす」とサブタイトルされた、丹野章さんの「撮る自由」(本の泉社952円+税)。もう1ヶ月以上まえに買ってあったが、このあまりにもまっうとでシリアスな本に対し、なぜか気分がのらず、ぱらぱらひろい読みしただけで、手をつけていない(^^;)
最後に、「働く自動車」シリーズからお気に入りの「ピンクの園児送迎バス」。