
昭和という時代の後ろ姿。
ありがとう。お世話になりました。
ぼくはきみたちのことを、決して忘れない。
あんなとき、こんなとき。
ぼくは忘れない。
きみたちが元気だったころ。
若々しく、溌剌としていたころ。
人は人を信頼していたし、“将来への夢”には、ちゃんとした形があった。
コンビニ化していく日本の社会の貧しさを、真に恐れる。
巨大資本にのみ込まれ、街の中心部が、年々崩壊していく。ぼくもそれに、手をかしている。
ごめんね、その通りなんだ。めんどうなことはしたくない。
何者かから、解放されたい・・・とおもっている。
リビングからTVを追放したら、いま、家のそばを通過していく風の音が聞こえるのに、人はそれを望んではいない。
アカデミー賞だとか、日本レコード大賞だとか、あなたには何の関係もないってことが、なぜわからないのだろう。
人が欲しがるものを、あなたも欲しがる。
“わたし”という存在は、どんどん薄っぺらくなって、向こう側がすけて見えている。


ほろびゆく街への、ささやかな挨拶。
ありがとう、ありがとう、さよなら!
愉しかった。ほんとうに、愉しかった。
ほろびていく側の人間として、ぼくは、きみたちに感謝を捧げよう。
お豆腐屋さん、ありがとう。魚屋さん、ありがとう。
質屋さん、ありがとう。お風呂屋さん、ありがとう。
・・・そして、薬屋さん、ありがとう。
ぼくは貧乏だし、ほかにこれといった能力もないから、
せめて、きみたちの最後の姿を、ここに記録しよう。愉しかった時代は、過ぎていった。
平凡な人の平凡な心情を、受け止めてくれた街角。
老いた犬がおしっこをかけてそそくさと立ち去っていった街角。
買い物袋をさげた女たちが、たあいないおしゃべりをしているあいだに、暮れていった街角。
ほろびゆく街への、ささやかな挨拶。
ありがとう、ありがとう、さよなら!
もうぼくは、ここへは二度ともどらない。
もどれない。
☆カメラはヤシカマット124G、フィルムはフジカラーPRO400(PN400N、)撮影地は栃木県足利市。