昨日、出かけたさきで、小一時間あまりついで写真を撮った。
なんだか、ちょっとした気まぐれで、モノクロを撮ってみよう・・・という気分になって、何十枚か撮影した。
それを眺めていたら「いまは昔」という、街歩きシリーズの姉妹編が生まれてきた。
写真には、わたしの意識と無意識が映し出されている。
「おやおや、どんなものに眼がいくのだろう」
終わりの光景。
あるいは街角が発信する、ささやかなサイン。
カラーで撮って、それをモノクロ変換するのではなく、モノクロームで見てやろう、撮ってやろうとすると、おやおや、街がモノクロームに見えてくるふ・し・ぎ。
カラーだと、どうしても「色のうつくしさ」に対する反応が敏感になるが、
当然ながら、モノクロはそうはいかない。
わたしが写真をはじめたころは、写真家、フォトグラファーといえば、白黒写真を撮り、暗室作業をして、「オリジナルプリント」をつくる人だった。
だから、「写真展を見にいく」のが基本。
ゴッホのオリジナルを美術館で見るか、お手軽に普及版の画集で見るか!
それと同じで、写真家はその個性的な、すぐれた技法を、モノクロプリントにして、世に問う人だったのである。
そこに、原点がある。
・・・というと、いかにもオーバーな表現だけれど、現代はカメラのボタンを押すだけで、暗室作業なしに、お好みの「モノクロ写真」が撮れる時代。
似たようなものばかりを撮影してしまい、気分に閉塞感が出てきたりしたら、目先を変えて、リフレッシュ!
トップに掲げたのは、街角で発見した、ちょっとめずらしい「追悼碑」である。
野球部の部員であったらしく、若くして、惜しまれつつ亡くなった人物に対し、友人・知人が(つまり有志が)集まって、このような立派な石碑を建立した。
たった20枚アップしただけだが、そこからあぶり出されてきたことばは、意外にも「終末の光景」。週末・・・ではなく、終末(笑)。
上から、自転車の、そして椅子の、缶ビールの。
ははあ、捨てられたはずなのに、こいつらは、こんなふうにして、街に潜んでいる。
そして、人が人に向けて発信しているサイン。まあ、看板ともいうけれど(^_^)/~
上の写真で「貸間」ということばがあったことを思い出した。
下の写真の「たばこ」も、このしつこさはあきれるばかり(~o~)
ロゴがぜーんぶ違うぞ!
時間がないから、いつも急ぎ足で街角をすり抜けるようにして歩いてゆく。
撮った写真を、あとでゆっくり眺めていると、まさに「意外な」発見があっておもしろい。