
三つ星にしようか四つ星にしようか、いささか迷った。
著者の河内春人さんがあとがきで、
《本書に意義があるとすれば、記・紀に多少言及するにしても依拠せず、中国・朝鮮史料や考古学的な成果から描き出したことであろうか。》と書いているように、中国・朝鮮史料がやたらめったら引用され、そこのところに、わたしがあまり関心を持てなかったからだ。
あきらかに五世紀の東アジアに力点がおかれ、倭の五王はむしろその中の「一局面」というとらえ方がなされている。「だから新鮮ではじめて読む資料が多く、おもしろかった」という読者は本書を高く評価するだろう。
だけどわたしは、途中で集中力が途切れてしまい、ところどころ斜め読み(^^;)
第4章 倭の五王とは誰か ―比定の歴史と記・紀の呪縛」
終 章 「倭の五王」時代の終焉 ―世襲王権の確立へ」
この二章にいたって、ようやく「ほほう」という気分にひたることができた。
念のため、BOOKデータベースの内容紹介を転載しておこう。
《倭の五王とは、中国史書『宋書』倭国伝に記された讃・珍・済・興・武を言う。
邪馬台国による交信が途絶えてから150年を経て、5世紀に中国へ使者を派遣した王たちである。当時、朝鮮半島では高句麗・百済・新羅が争い、倭もその渦中にあった。
本書は、中国への“接近”の意図や状況、倭国内の不安定な王権や文化レベル、『古事記』『日本書紀』における天皇との関係などを中国史書から解読。5世紀の倭や東アジアの実態を描く。》(引用者による改行)
「宋書」倭国伝の讃・珍・済・興・武が記紀にしるされた歴代の天皇のだれに該当するのかは探求するのを放棄しているのだ。代わりに五世紀の朝鮮半島情勢を、さまざまな史料を駆使しつつ縷々と記述している。
先行する論考に、屋上屋を架することをさけたのだ。その研究者としての姿勢を読者は評価したのだろう。Amazonにはこの手の本としては異例というべき38件のレビューがある。
だけど、わたしの関心の在り方と、本書の論考には埋め尽くせない溝がある。高句麗、百済、新羅等との国際関係史、国際関係論については、仔細に検討されている。そして中国における王朝の興亡が、半島や日本(当時は倭)にどんな影響を及ぼしているのかも。
倭の五王のうち、武は雄略天皇であるという比定がほぼ定説になっている。しかし、河内さんは、それに対しても疑問を投げかけているのだ。
いろいろなアプローチがあるものの、どれもが仮説、不確かな推測に過ぎない。それが本書の結論。
はっきりいえば、そのあたりが少々興醒めであったのだ。現段階では比定そのものが、たいした意義を持たないとすら書いておられる。学者としての良心は感じるが、“その一歩先”を期待しているわたしのような読者は肩すかしを食らう(ノ_σ)
だれもが目を瞠るような“新史料”が発見されない以上、残念ながら倭の五王問題は深い藪にとざされている。何年にも渡る検証の結果として、五世紀の古代史にシリアスな疑問が投げつけられただけとわたしには見えた。
なお本書「倭の五王」は古代歴史文化賞優秀作品賞を受賞している。一部では高く評価する人がいるということだ。
限られた時間。どの本を、いつのタイミングで読むかはほんとうにむずかしいと実感させられた。「読んでみなければわからない」のが本なのだ。
・・・そうか、そうだったのか(笑)。
評価:☆☆☆
著者の河内春人さんがあとがきで、
《本書に意義があるとすれば、記・紀に多少言及するにしても依拠せず、中国・朝鮮史料や考古学的な成果から描き出したことであろうか。》と書いているように、中国・朝鮮史料がやたらめったら引用され、そこのところに、わたしがあまり関心を持てなかったからだ。
あきらかに五世紀の東アジアに力点がおかれ、倭の五王はむしろその中の「一局面」というとらえ方がなされている。「だから新鮮ではじめて読む資料が多く、おもしろかった」という読者は本書を高く評価するだろう。
だけどわたしは、途中で集中力が途切れてしまい、ところどころ斜め読み(^^;)
第4章 倭の五王とは誰か ―比定の歴史と記・紀の呪縛」
終 章 「倭の五王」時代の終焉 ―世襲王権の確立へ」
この二章にいたって、ようやく「ほほう」という気分にひたることができた。
念のため、BOOKデータベースの内容紹介を転載しておこう。
《倭の五王とは、中国史書『宋書』倭国伝に記された讃・珍・済・興・武を言う。
邪馬台国による交信が途絶えてから150年を経て、5世紀に中国へ使者を派遣した王たちである。当時、朝鮮半島では高句麗・百済・新羅が争い、倭もその渦中にあった。
本書は、中国への“接近”の意図や状況、倭国内の不安定な王権や文化レベル、『古事記』『日本書紀』における天皇との関係などを中国史書から解読。5世紀の倭や東アジアの実態を描く。》(引用者による改行)
「宋書」倭国伝の讃・珍・済・興・武が記紀にしるされた歴代の天皇のだれに該当するのかは探求するのを放棄しているのだ。代わりに五世紀の朝鮮半島情勢を、さまざまな史料を駆使しつつ縷々と記述している。
先行する論考に、屋上屋を架することをさけたのだ。その研究者としての姿勢を読者は評価したのだろう。Amazonにはこの手の本としては異例というべき38件のレビューがある。
だけど、わたしの関心の在り方と、本書の論考には埋め尽くせない溝がある。高句麗、百済、新羅等との国際関係史、国際関係論については、仔細に検討されている。そして中国における王朝の興亡が、半島や日本(当時は倭)にどんな影響を及ぼしているのかも。
倭の五王のうち、武は雄略天皇であるという比定がほぼ定説になっている。しかし、河内さんは、それに対しても疑問を投げかけているのだ。
いろいろなアプローチがあるものの、どれもが仮説、不確かな推測に過ぎない。それが本書の結論。
はっきりいえば、そのあたりが少々興醒めであったのだ。現段階では比定そのものが、たいした意義を持たないとすら書いておられる。学者としての良心は感じるが、“その一歩先”を期待しているわたしのような読者は肩すかしを食らう(ノ_σ)
だれもが目を瞠るような“新史料”が発見されない以上、残念ながら倭の五王問題は深い藪にとざされている。何年にも渡る検証の結果として、五世紀の古代史にシリアスな疑問が投げつけられただけとわたしには見えた。
なお本書「倭の五王」は古代歴史文化賞優秀作品賞を受賞している。一部では高く評価する人がいるということだ。
限られた時間。どの本を、いつのタイミングで読むかはほんとうにむずかしいと実感させられた。「読んでみなければわからない」のが本なのだ。
・・・そうか、そうだったのか(笑)。
評価:☆☆☆