遠くの空で雷鳴がとどろく中 ようやくぼくは到着した
「暮坂」という名の 峠道へ。
ある年齢になると
老いてあまり元気のない男や女が 肩に背負った重い
おもい荷物をおろしにやってくる暮坂。
地図をたよりに歩いてくることもできるが
地図なんかなくても
いつかはだれもが ここを通る。
昼は昼で 夜は夜で
荷おろしをする音がたえまなく聞こえる。
「ここが暮坂なんですか?」
「ええ ここが暮坂です」
「こんなにはやく到着するなんて」
――とため息をついている初老の女性の白い髪に
アキアカネがやってきて止まる。
北へも南へも
だらだらとした坂がつづく。
北からやってきて荷をおろし 南へと下っていく人。
まれには 元きた道を引き返す人もいる。
ひからびたモグラの死骸にアリが黒山のように群がって。
「暮坂峠頂上」の標識は
繁茂する悪夢のような夏草にうもれかかっている。
「ここが暮坂ですか?」
「ええ ここが暮坂です」
「なんてことのない ただの峠ですね。
標高はどのくらいでしょうか」
「1088メートルと聞いています」
ぼくは歩いてやってきた。
ずいぶん遠くから 山並みをいくつか越え 道に迷いながら。
背負いきれない肩の荷をおろし
たずさえてきたニワトリをしめ殺したり
あんなに仲がよかったつれあいと別れたり
義足をつけなおしたりして。
つかのまの休息をとり
ふたたび腰をあげて山路の奥へ立ち去ってゆく後ろ姿を
ほこりだらけの牧水の像が見送っている。
「前途になにがあっても驚くにたらないですな」
「ああ そうですな。その通りですな まあ・・・」
といいかけてはげしく咳き込んでいたたばこ好きな老人もいってしまった。
つかのままぶたをとじて
ぼくは一艘の艀を暗夜に浮かべる夢をみる。
地図をたよりに歩いてくることもできるが
地図なんかなくても
いつかはだれもが ここを通る。
名もさびし暮坂峠。
※暮坂峠は上州に実在する峠で、若山牧水の詩碑があります。