二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

本の読み方 スロー・リーディングの実践  平野啓一郎(PHP新書) 

2010年03月21日 | エッセイ(国内)
初心者向けの、ある種のノウハウ本。読者としては、中学生、高校生あたりが想定されているのだろう。
きびしくいえば、中途半端なパッチワークで、たいしておもしろくなかったが、なんとか、おしまいまで読みおえたので、一応レビューを書いておこう。

わたしがこだわりを感じたのは、三島由紀夫論のあたり。

『和尚には老師の持たぬ素朴さがあり、父の持たぬ力があった。その顔は日に灼けて、鼻は大々とひらき、濃い眉の肉が隆起して迫っているさまは、大べし見の面に象(かたど)って作られたかのようであった。整った顔立ちではない。内部の力が余って、その力が思うままに発露して、整いを壊してしまっている。突き出た顴骨までが、南画の岩山のように奇峭である。
それでいて、轟くような大声で話す和尚には、私の心にひびくやさしさがある。世の常のやさしさではなく、村はずれの、旅人に木陰の憩いを与える大樹の荒々しい根方のようなやさしさである』(平野さんが引用している「金閣寺」の一節)

ここには、三島由紀夫の悪しきレトリックの一典型がある。
「大べし見の面に象(かたど)って作られたかのようであった」
「南画の岩山のように奇峭」
「旅人に木陰の憩いを与える大樹の荒々しい根方のようなやさしさ」

三島が尊敬した森鴎外は、このような不正確な比喩は、まず絶対といっていいほど使わなかった。
三島は教養をひけらかそうとして、ペダンチックにふるまっているのではない。
それなら、まだハハハ・・・と笑ってすますことができるだろう。
「三島さん、比喩があまりに通俗的なんじゃないの?」といったふうに。
しかし、わたしは、そうは捉えていない。
この比喩のなかには、三島が、どのように世界や他者を見ていたか、あるいは見ていなかったかが、如実にあらわれているとかんがえるからである。

人間はだれしも、あるがままの「現実」など見てはいない。
それはほんとうのことである。
一人ひとりが、すべて違った、その人固有のフィルター越しに、外界を眺め、認識し、ふるまっているのである。だから、世の中には、このようなレトリックに「リアル」を感得する人も、いくらかはいるだろう。

だけど――はっきりいえば、わたしはこういった文章を読んだ瞬間に、みるみる興が冷めていく。情景が思い浮かばない、というのではない。
というより、安っぽい舞台の書き割りのような情景しかイメージできないのである。
三島由紀夫は、じつは「ありのままの現実」などどうでもいいのではないか。彼が教養として身につけた伝統や、知識のアナロジーを通してしか、外界とは接しようとしないのである。この「伝統と知識」は、日本的なヒエラルキーのなかで評価をうけてきた「権威あるもの」のこと。小説の書き手としての彼は、それによって、混沌と偶有性があふれ返る現実を、秩序づけ、荘厳しようと図る。
「豊饒の海」もそうだけれど、この「金閣寺」も、どう読んでも、登場人物はすべて、作者の影であって、リアルの感触があまりに薄いのである。
老残や死は、彼には許しがたい現実であり、不可能性の、あるいは不可知性の壁なのである。三島さんには、ユーモアがわからなかったのだな・・・とわたしは考えてみる。
こういう「不可能性の壁」に立たされたとき、文学は「ユーモア」の精神をもって対抗しようとしてきた。「ドン・キホーテ」しかり、「ガリバー」しかり、「悪霊」しかり。

精神的には教養の分厚い洋服・和服を重ね着し、肉体的には、ボディビル、剣道によって、ひたすら「まじめに、深刻に、真正面から」対抗しようとしている。
これはむろん、彼が意識して獲得したと信じた鎧であり、そういった鎧のなかだけが、現実だと思いたかったのであろう。「リアルなのは、この脳のなかの出来事だけ」

「金閣寺」はそういう観念小説なのである。
平野さんがこれを高く評価しているとしたら、こういったことばへの志向性において、共感するものがあるのだろう。
わたしはどちらかといえば、そういったフィルターを、可能なかぎりはずしたら、人間にとって外界という名の環境、あるいは世界はどう見えるのかについて考えようとしてきた。
どちらがすぐれている、すぐれていないということでは、もちろんない。しかし、この「手法」の違いは、ある意味決定的だと思われる。

※べし=やまいだれに悪の旧字


評価:★★★

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