(「別冊太陽」表紙 平凡社 2021年刊)
ウィキペディアを参照すると、
《半藤 一利(はんどう かずとし、1930年〈昭和5年〉5月21日 - 2021年〈令和3年〉1月12日)は、日本のジャーナリスト、戦史研究家、作家。近現代史、特に昭和史に関し人物論・史論を、対談・座談も含め多く刊行している。》
かなりのボリュームがある記事の冒頭はこのようにはじまっている。
ああそうだった。半藤さんはもう亡くなってしまった。
半藤さんはわたしの父親より、6歳年下。
だけど、親父を見るような目で、半藤さんを見てきたような気がする。
長岡中学校3年で終戦(敗戦)を迎えているから、軍隊の経験はない。しかし、文藝春秋社退職後、戦史研究家あるいは歴史探偵として、多くの著作をものした。
なかでも「日本のいちばん長い日」はドキュメンタリーの名著として、今後も長く読み継がれるに違いない。
わたし的にはそのほか、わりと最近読んだ、
■ノモンハンの夏
■ソ連が満洲に侵攻した夏
も、忘れることができない。ガツンと頭をぶん殴られたような衝撃があった( -ω-)
ちなみにわたしの父親は、その満洲からの引揚者。北支で戦い、辛うじて命ながらえ、帰ってきた兵士である。
90歳であったのか!
歳に不足はないとはいえ、新作はもう読むことができないのだ。
勝海舟、山縣有朋、夏目漱石、永井荷風。これらの人びとを、半藤さん独自の視点から、うまず語りつづけた。
「清張さんと司馬さん-昭和の巨人を語る」(文春文庫)もある。半藤さんは「週刊文春」や「文藝春秋」の編集長等を歴任した有能なジャーナリスト。
そして退職後“あの戦争の語り部”となって、じつにたくさんの著作物をあらわした。
■「昭和史」「昭和史戦後篇」
は、この手の本としては、驚くべき数の読者を獲得している。その後「昭和史B面」というのもお書きになっている。Webを検索してみれば、半藤一利さんの支持層の拡がりを推測することができる。
YouTubeなどを参照すると、最後の数年は、ただの「頑固おやじ」になり果てた感がなきにしもあらずだが、保阪正康さんその他の“戦史研究家”に比して、圧倒的な存在感をしめしている。現在でも、戦争史観の考察・・・において、その影響力は大きなものがあるとわたしには思われる。
■「昭和天皇独白録」(文春文庫 1995年刊)
では、まえがき、あとがき(文庫本のための)の両方を、半藤さんが書いておられる。これも推察だが、文藝春秋の皇室への謙虚な姿勢といったものは、半藤さんたちが培ってきたものであるのだろう。
この本は、“解説にかえて”として、つぎの座談会を掲載している。
座談会『座談会「独白録」を徹底研究する』
出席者:伊藤隆 児島襄 秦郁彦 半藤一利
「昭和天皇独白録」の存在が、「日本のいちばん長い日」や「昭和史」の記述の基礎資料の一つ(実際には「昭和天皇独白録」の方が後に世に出たのだが)になっている。
半藤一利さんは、いわゆる専門家ではない。ジャーナリスト出身のアマチュアというべき人。とはいえ、ジャーナリスト出身なので、読者が見えている・・・というか、想定の仕方がうまいのである。わたしのような読者にしてみたら「説得力がある♪」のである。
「ノモンハンの夏」は司馬遼太郎さんが書こうとして書き得なかった仕事の継承、「ソ連が満洲に侵攻した夏」は、国際的な視野に立って、ソ連の満洲侵攻の“真実”を掬い上げようとした労作。半藤さん渾身の力技が決まっている、とわたしはかんがえる。
近ごろの報道番組で、ロシアのウクライナ侵攻を目撃している者として、遠く過ぎ去った昔話なんかじゃないのだ(゚ω、゚)
半藤一利さん、ありがとうございました。ほんとうに、長いあいだご苦労様でした。
北朝鮮のような国家があるかぎり、あるいはプーチンのような独裁者がいるかぎり、戦争はこの地上からなくならない。
ウクライナの惨状の深刻さは、あれが天災ではなく、人災であること。
半藤さんは「戦争をする人間」を、生涯にわたって見つめつづけた。それが自分の使命である、とかんがえたのだ。そして、そのことを縷々書き残している。
いまのわれわれには、やむをえないこととはいえ、残されたそれらの著作を読み、考察を深めることができるだけとなってしまった。
暴れん坊の江戸っ子・下町気質が、ときにユーモラスだった半藤一利さん!
ありがとうございました。何度いっても、いい足りないと思うので、未読の著作を、敬意をこめて、これからさらに読ませていただきます。
(奥様は漱石の孫)
(自宅近所の古書店にて)
(筆跡)
(東京大空襲の日。半藤さんは版画がお得意でもあった)
(尊敬した幕臣・勝海舟の明治)
※ほとんどの写真を平凡社「別冊太陽」からお借りいたしました。ありがとうございました。
ウィキペディアを参照すると、
《半藤 一利(はんどう かずとし、1930年〈昭和5年〉5月21日 - 2021年〈令和3年〉1月12日)は、日本のジャーナリスト、戦史研究家、作家。近現代史、特に昭和史に関し人物論・史論を、対談・座談も含め多く刊行している。》
かなりのボリュームがある記事の冒頭はこのようにはじまっている。
ああそうだった。半藤さんはもう亡くなってしまった。
半藤さんはわたしの父親より、6歳年下。
だけど、親父を見るような目で、半藤さんを見てきたような気がする。
長岡中学校3年で終戦(敗戦)を迎えているから、軍隊の経験はない。しかし、文藝春秋社退職後、戦史研究家あるいは歴史探偵として、多くの著作をものした。
なかでも「日本のいちばん長い日」はドキュメンタリーの名著として、今後も長く読み継がれるに違いない。
わたし的にはそのほか、わりと最近読んだ、
■ノモンハンの夏
■ソ連が満洲に侵攻した夏
も、忘れることができない。ガツンと頭をぶん殴られたような衝撃があった( -ω-)
ちなみにわたしの父親は、その満洲からの引揚者。北支で戦い、辛うじて命ながらえ、帰ってきた兵士である。
90歳であったのか!
歳に不足はないとはいえ、新作はもう読むことができないのだ。
勝海舟、山縣有朋、夏目漱石、永井荷風。これらの人びとを、半藤さん独自の視点から、うまず語りつづけた。
「清張さんと司馬さん-昭和の巨人を語る」(文春文庫)もある。半藤さんは「週刊文春」や「文藝春秋」の編集長等を歴任した有能なジャーナリスト。
そして退職後“あの戦争の語り部”となって、じつにたくさんの著作物をあらわした。
■「昭和史」「昭和史戦後篇」
は、この手の本としては、驚くべき数の読者を獲得している。その後「昭和史B面」というのもお書きになっている。Webを検索してみれば、半藤一利さんの支持層の拡がりを推測することができる。
YouTubeなどを参照すると、最後の数年は、ただの「頑固おやじ」になり果てた感がなきにしもあらずだが、保阪正康さんその他の“戦史研究家”に比して、圧倒的な存在感をしめしている。現在でも、戦争史観の考察・・・において、その影響力は大きなものがあるとわたしには思われる。
■「昭和天皇独白録」(文春文庫 1995年刊)
では、まえがき、あとがき(文庫本のための)の両方を、半藤さんが書いておられる。これも推察だが、文藝春秋の皇室への謙虚な姿勢といったものは、半藤さんたちが培ってきたものであるのだろう。
この本は、“解説にかえて”として、つぎの座談会を掲載している。
座談会『座談会「独白録」を徹底研究する』
出席者:伊藤隆 児島襄 秦郁彦 半藤一利
「昭和天皇独白録」の存在が、「日本のいちばん長い日」や「昭和史」の記述の基礎資料の一つ(実際には「昭和天皇独白録」の方が後に世に出たのだが)になっている。
半藤一利さんは、いわゆる専門家ではない。ジャーナリスト出身のアマチュアというべき人。とはいえ、ジャーナリスト出身なので、読者が見えている・・・というか、想定の仕方がうまいのである。わたしのような読者にしてみたら「説得力がある♪」のである。
「ノモンハンの夏」は司馬遼太郎さんが書こうとして書き得なかった仕事の継承、「ソ連が満洲に侵攻した夏」は、国際的な視野に立って、ソ連の満洲侵攻の“真実”を掬い上げようとした労作。半藤さん渾身の力技が決まっている、とわたしはかんがえる。
近ごろの報道番組で、ロシアのウクライナ侵攻を目撃している者として、遠く過ぎ去った昔話なんかじゃないのだ(゚ω、゚)
半藤一利さん、ありがとうございました。ほんとうに、長いあいだご苦労様でした。
北朝鮮のような国家があるかぎり、あるいはプーチンのような独裁者がいるかぎり、戦争はこの地上からなくならない。
ウクライナの惨状の深刻さは、あれが天災ではなく、人災であること。
半藤さんは「戦争をする人間」を、生涯にわたって見つめつづけた。それが自分の使命である、とかんがえたのだ。そして、そのことを縷々書き残している。
いまのわれわれには、やむをえないこととはいえ、残されたそれらの著作を読み、考察を深めることができるだけとなってしまった。
暴れん坊の江戸っ子・下町気質が、ときにユーモラスだった半藤一利さん!
ありがとうございました。何度いっても、いい足りないと思うので、未読の著作を、敬意をこめて、これからさらに読ませていただきます。
(奥様は漱石の孫)
(自宅近所の古書店にて)
(筆跡)
(東京大空襲の日。半藤さんは版画がお得意でもあった)
(尊敬した幕臣・勝海舟の明治)
※ほとんどの写真を平凡社「別冊太陽」からお借りいたしました。ありがとうございました。