(こんな本もスタンバイ、文庫にしては2500円+税と高価。毎日出版文化賞受賞の気合いがこもった一冊だ)
川北稔
「イギリス近代史講義」
「砂糖の世界史」
羽田正
「東インド会社と世界の海」
ブローデル
「歴史入門」
角山栄
「茶の世界史」
柄谷行人
「世界共和国へ」
アインシュタイン フロイト
「ひとはなぜ戦争をするのか」
佐藤優
「いま生きる『資本論』」
最後のページまで読み通した本は、たぶん30冊くらい(^^♪ 途中まででやめてしまったり、投出したりした本は、その2-3倍になる。
精神的なバランスが、世界史から哲学・思想・宗教へと移ったけれど、
世界史に関連する本は、これからも継続して読み続けていく。若いころから「文学と歴史」はわたしの一番好きな分野。
とくに、世界史。
ブローデル、ウォーラステインの登場によって、われわれの世界史に対するまなざしが、大きく変化し、これまでの知見を更新しなければならなくなっている。
それはまさに経済的な世界のグローバリズムと、根の深いところで絡みあっているだろう。
1980年代に入って「知の枠組み」が変わった。それによって、世界や世界史が視座の再構築を迫られる。
そういった関心の方向がわたしを「世界史」へと向かわせる。
川北さんの「砂糖の世界史」、角山さんの「茶の世界史」の二冊は、具体的な「もの」に即した、卓抜な著作である。
砂糖と茶。それがどのようにして、世界商品への道をたどることになったのかが、たいへんおもしろかった。砂糖と茶、コーヒーをふくめてもいいけれど、これらによって形成され、発展する“世界商品と世界市場”。
そこから、ちょっとムリをして一冊を選べば、「東インド会社と世界の海」ということになる。この本にわたしは興奮を抑えきれなかった。
■「東インド会社と世界の海」羽田正(講談社学術文庫 興亡の世界史シリーズ)
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/414dca4476241633ee183856d667b976
もう一冊はどれにしようか?
現代日本のアクチュアルな現場に踏み込んで、“批評の極意”、そのありようを鮮やかに切り取ってみせた「街場のメディア論」を挙げることにしよう。
内田さんは、神戸女学院大学といういわば“辺境”にいながら、これまで、つぎつぎ鋭利な矢を放ってきた(^^)/
なぜ内田さんが、多くのファンをもつにいたったのか、この本と出会ってよく理解することができた。
ワクワク、ドキドキするような批評というものに、久しぶりにぶつかったのだ。
2018年、いったい何冊の本を買ったのだろう? 100冊か・・・いや150冊は買ったかもしれない。
本は「心のご飯」なので、とにかく毎日、毎晩読む。そのため、わが家にはTVというものがない(ノ_-)
TV局というマスメディアとその論調に振り回されたくはないからだ。TVは資本主義とじつに親和的だし、視聴者の多くを思考停止に追い込む。昔“一億総白痴化”というキーワードがあったのを思い出す。
TVだけに頼って本を読まないでいると、ことばが失われる。自分の精神の中に、たくさんのことば、語彙、思考回路を形成することによって、知を鍛え上げてこそ、生きている証拠なのだ。
だから、内田さんのメディア批判には拍手喝采を送りたくなったのだ。
いまや論壇の重鎮のお一人といっていいだろう。これからも内田樹を、わたしは読み続ける。
■「街場のメディア論」内田樹(光文社新書)
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/a698dc0357fe97b2b33778a6176fff4d
さて、topに挙げた山城むつみさんの「ドストエフスキー」。
途中まで読みかけたが、ほかの本が割り込んできたため、中断している。
去年あたりからわたし的には“フィクション離れ”という現象に悩まされている。
これぞという本を手に入れても、なかなか読めない。
いや・・・そのうち、復帰しよう、読みはじめようとは思っている(*^-^)
今年ムリなら来年、来年ムリなら再来年。ドストエフスキーばかりでなく、バルザック、ディケンズ等、今年も世界文学がたくさんやってきた。再読、再再読したい本もある。
つい先日もフーコーの「ピエール・リヴィエール」を読みながら、ドストエフスキーの「死の家の記録」を思い出していた。
川北稔
「イギリス近代史講義」
「砂糖の世界史」
羽田正
「東インド会社と世界の海」
ブローデル
「歴史入門」
角山栄
「茶の世界史」
柄谷行人
「世界共和国へ」
アインシュタイン フロイト
「ひとはなぜ戦争をするのか」
佐藤優
「いま生きる『資本論』」
最後のページまで読み通した本は、たぶん30冊くらい(^^♪ 途中まででやめてしまったり、投出したりした本は、その2-3倍になる。
精神的なバランスが、世界史から哲学・思想・宗教へと移ったけれど、
世界史に関連する本は、これからも継続して読み続けていく。若いころから「文学と歴史」はわたしの一番好きな分野。
とくに、世界史。
ブローデル、ウォーラステインの登場によって、われわれの世界史に対するまなざしが、大きく変化し、これまでの知見を更新しなければならなくなっている。
それはまさに経済的な世界のグローバリズムと、根の深いところで絡みあっているだろう。
1980年代に入って「知の枠組み」が変わった。それによって、世界や世界史が視座の再構築を迫られる。
そういった関心の方向がわたしを「世界史」へと向かわせる。
川北さんの「砂糖の世界史」、角山さんの「茶の世界史」の二冊は、具体的な「もの」に即した、卓抜な著作である。
砂糖と茶。それがどのようにして、世界商品への道をたどることになったのかが、たいへんおもしろかった。砂糖と茶、コーヒーをふくめてもいいけれど、これらによって形成され、発展する“世界商品と世界市場”。
そこから、ちょっとムリをして一冊を選べば、「東インド会社と世界の海」ということになる。この本にわたしは興奮を抑えきれなかった。
■「東インド会社と世界の海」羽田正(講談社学術文庫 興亡の世界史シリーズ)
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/414dca4476241633ee183856d667b976
もう一冊はどれにしようか?
現代日本のアクチュアルな現場に踏み込んで、“批評の極意”、そのありようを鮮やかに切り取ってみせた「街場のメディア論」を挙げることにしよう。
内田さんは、神戸女学院大学といういわば“辺境”にいながら、これまで、つぎつぎ鋭利な矢を放ってきた(^^)/
なぜ内田さんが、多くのファンをもつにいたったのか、この本と出会ってよく理解することができた。
ワクワク、ドキドキするような批評というものに、久しぶりにぶつかったのだ。
2018年、いったい何冊の本を買ったのだろう? 100冊か・・・いや150冊は買ったかもしれない。
本は「心のご飯」なので、とにかく毎日、毎晩読む。そのため、わが家にはTVというものがない(ノ_-)
TV局というマスメディアとその論調に振り回されたくはないからだ。TVは資本主義とじつに親和的だし、視聴者の多くを思考停止に追い込む。昔“一億総白痴化”というキーワードがあったのを思い出す。
TVだけに頼って本を読まないでいると、ことばが失われる。自分の精神の中に、たくさんのことば、語彙、思考回路を形成することによって、知を鍛え上げてこそ、生きている証拠なのだ。
だから、内田さんのメディア批判には拍手喝采を送りたくなったのだ。
いまや論壇の重鎮のお一人といっていいだろう。これからも内田樹を、わたしは読み続ける。
■「街場のメディア論」内田樹(光文社新書)
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/a698dc0357fe97b2b33778a6176fff4d
さて、topに挙げた山城むつみさんの「ドストエフスキー」。
途中まで読みかけたが、ほかの本が割り込んできたため、中断している。
去年あたりからわたし的には“フィクション離れ”という現象に悩まされている。
これぞという本を手に入れても、なかなか読めない。
いや・・・そのうち、復帰しよう、読みはじめようとは思っている(*^-^)
今年ムリなら来年、来年ムリなら再来年。ドストエフスキーばかりでなく、バルザック、ディケンズ等、今年も世界文学がたくさんやってきた。再読、再再読したい本もある。
つい先日もフーコーの「ピエール・リヴィエール」を読みながら、ドストエフスキーの「死の家の記録」を思い出していた。