二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

残された時間 ~読むことと書くこと

2015年06月15日 | 小説(国内)
なにかの拍子にふっと「おれにはあとどれくらいの時間が残されているのだろう?」とかんがえる。
60歳になったころから、人生の“残り時間”が気になりはじめた。
10年とか20年とか想像しても、あまりに茫々としていて、具体的なイメージをつかまえるのはむずかしい。
そこであと何冊の本が読めるか・・・と計算してみる。

一週間1冊×4=4冊/月
4×12=48冊/年
これを10年つづけると仮定すれば、73歳までに、480冊の本が読める勘定になる♪
ただし、わたしの意欲や健康が今後10年持続するかどうかは保証のかぎりではないが・・・。

仕事をやめ、撮影を手抜きしたとすれば、この1.5倍は読めるかもしれないが、その場合は、
10年で720冊ということになるが、この数字の少なさに驚く。

トップの画像は、わが家に7-8ヵ所ある本棚の一つ。



こちらはまた別の場所。
リビング、ダイニング、2階ホール、寝室、書斎など、いたるところに“本”がある。
映画や演劇は見ないし、ゴルフからはとうの昔に足をあらった(笑)。
TVもみなくなったので、その話を友人にしたところ「まるで背水の陣だね」と笑われた。

情報化社会というのは、基本的に「他者志向的」な社会である。
いつのころだったか「情報被爆」ということばが使われた。
あまりに情報量が多く、その情報に振り回されて落ち着かない。結果として他者志向的になる。
「なぜそれを選んだの? なぜそれがいいの?」
「みんながいいというから」
「売上げNO.1だから」
「ベストセラーだから」

そしてそういう自分のつじつま合わせに汲々としている。だから、入ってくる情報量を絞り込む。そうしないと、自己の構築など覚束なくなる。
自己の構築ってなんだ? そんなものいらない・・・という人には、この文章はなんの意味ももたないだろう。

わが家にはおそらく、2千冊を超える本がある。
蔵書の20%は読んでいると仮定すれば400冊、未読の本が1600冊である。
しかも、1年におよそ2-30冊殖え続けているから、すべての本を読まずに人生の終わりがやってくる。
速読術を会得するって手があるが、わたしはどちらかといえばスローリーディング派。
考えながら読み、立ち止まってまた考える。読みおえたら、1500字、2000字くらいのレビューが書きたくなる。
詩を書いてはいるが、最近「短編小説が書きたい」と思うようになっている。

そのきっかけとなったのが、岡本かの子の「家霊」であり、「鮨」であった。
同工異曲といえば同工異曲だけれど、単純にいって、この二作に魅せられたのだ。
乱読者とはいえ、長いあいだ、フィクションから遠ざかっていたわたしを小説の世界に引き戻してくれたわけで、そういう意味で岡本かの子に感謝しないではいられない。
http://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/372ee04bf368cd305ddd7697213e64fe



・・・といいつつ、新たな本に手が伸びる。
「よ~し、短編小説を書くぞ!」
そして今日も広大無辺ともいうべき、活字の海へと乗り出す。
老いたるシンドバットにでもなったつもりで(^^)/
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