二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

アフリカの日々   イサク・ディネセン

2010年01月06日 | エッセイ・評論(海外)
書店の立ち読みで一冊の本を「発見」した。
それがこの「アフリカの日々」。
わたしにとっては、まったく未知のデンマーク女性作家であった。
河出書房新社のこの池澤夏樹個人編集による「世界文学全集」は、ハードカバーで造本がしっかりしているせいか、どちらかといえば高価な本だし、大きく重たい巻が多く、カタログは眺めたことがあったが、これまで敬遠していた。
はじめに気になったのは並載されている「やし酒飲み」のほうだった。
「書店の散歩」では、わたしの場合、いつも未知の書物を興のおもむくまま、手にとって、「あとがき」や冒頭数ページを読む習慣がある。「やし酒飲み」の晶文社版は、ボルヘスの隣にならんでいた。ところが、すぐに「世界文学全集」にも収録されているのがわかった。デンマークの女性作家? 「アフリカの日々」?
書店の椅子にすわって、わたしは「アフリカの日々」に眼をさらした。数ページといかないうち、店内のざわめきも、クラシックのBGMも、たちまち聞こえなくなった。

こころに響くことばに満ちている。
しかも、こんなに痛切に・・・。
アフリカへいったこともないし、植民地文学(植民地を舞台とした小説など)のたぐいには、これまでまったく関心がなかった。
この本は、人が生きるとはどういうことかを、しずかに語りかけてくる。
30分くらいで立ち読みを切り上げて、レジへ向かった。
自分が「いま読みたい本」とめぐりあった感触は、たしかなものだとおもった。

これは何だろう?
訳者の横山貞子さんは、本書は記録ではないし、紀行、体験記、ルポルタージュ、自叙伝のどれにもあてはまらないと書いている。
著者ディネセンは1914年から18年にわたって、アフリカでコーヒー農園を経営した人物。若いころから文学に関心を寄せてはいたが、小説家となるのは、ずっとのちのこと。

訳者横山さんは、こうも書いている。
「この作品は、なにを書いたかとおなじくらい、なにを書かなかったかによって成り立っている」と。わたしも同感である。
胸がふるえるようなシーンが、つぎからつぎと出てくる。
このとき彼女は、すでに宿痾(梅毒)に冒されているのだが、そのことには一言もふれていない。農場経営に関する事務、金融、雇用など、そういった問題も、はるか背景にほんのわずか見えているだけ。
彼女は、いわば「魂の出来事」だけをつづろうとしたのである。

『神の誇りを、なにものにも増して愛し、隣人の誇りを自分の誇りとして愛すべし。ライオンの誇りを愛すべし。動物園のおりに閉じこめてはならない。犬の誇りを愛すべし。犬をふとらせたりしてはならない。立場を異にする隣人を愛すべし。彼らに自己憐憫をゆるしてはならない。
征服された民族の誇りを愛すべし。彼らが自分の祖先をうやまうのをさまたげてはならない。』(本書277p)
20世紀文学シーンでどういった影響をもたらしたとか、作品としての構成力あるいは首尾一貫性だとか、女が描けているとかいないとか、古典に比すべきすぐれた劇的効果だとか、そういったレベルで語られるべき書物ではない。
どのページを開いても、熱い血がみなぎっている。
これは、異文化との遭遇の物語であり、いのちと生活を守ろうとして、矢つき、刀折れるまで勇敢にたたかった敗戦の記なのである。鎮魂のしらべが、いたるところから聞こえてくる。

作者はいくつものエピソードを、丁寧に重ねていく。
ルルという子鹿の死や、キクユ族・族長の最期、かけがえのないパートナー、デニスの事故死。そして農園の破綻。奪われたもの、失われたもので、充ち満ちている。
愛するとは、疑いもなく生きることと同義なのだが、それはかくも過酷な悲しみの連鎖にたえることなのか?
むろん、彼女は自分が、キクユ族の土地を奪った(投資目的で金銭によりあがなった)ことをよく承知している。だからこそ、その土地において、最高責任者としての責務を果たそうとする。
読みすすめながら、文字がかすんで見えなくなったりした。眼のあたりが熱くなって、塩からいものがしたたり落ちる。涙? そうなのかもしれないし、もっと別な感情の波頭なのかもしれない。
わたしはわたしの腕のなかで死んでいった、犬や猫や、過去に別れていった人びとを、何度となく思い出した。本が好きというだけの無知な読者であるわたしのような人間に、こういった感動をもたらすとは、容易ならざる作品である。本書の背後に、西洋人なら、旧約聖書の世界が、深く暗く影をおとしているのに気づくだろう。そして、運命の跫音とでも呼ぶほかのない、峻烈な時間の一刻、一刻を。
人よ、この悲しみの調べにこうべをたれ、静かに耳をすませ。
汝はなにをおこなってきたか、なにをおこなう者なのか?

この問いかけの重さが、読みおえていま、胸をふさぐ。


評価:★★★★★

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