◆赤城山と利根川◆
冬になると、赤城山がくっきりとした姿をあらわす。わが郷土の山である。手前はもちろん利根川。左手奥に見えるのが大渡橋。この橋の中央欄干のどこかに、萩原朔太郎の詩碑がある。通勤の行き帰りに、最低二度、利根川にかけられたこの橋を渡る。
夏のあいだは、クルマをとばして、チョウやきのこの撮影にでかけた。もぐりこんでみると、赤城のふところは驚くほど広い。生まれたときから見なれた山で、中学校からの帰りしな、木枯らしに煽られながら、なかば必死になって仰ぎ見た山である。
◆赤城山
<50万年前に活動を開始し、標高2300m程度の安山岩質(Sio2 54~60%)の溶岩とスコリアから成る成層火山を形成した。20万年前ごろから二酸化ケイ素の量が増えて溶岩がデイサイト質になり、それに伴い爆発的噴火が多発し、火砕流や山体崩壊による岩屑なだれが山麓に流下して現在の広い山麓を形成した。約5万年前には湯の口降下軽石を噴出し現在の山頂カルデラを形成した。3万年前には鹿沼降下軽石を噴出した。約2万年前に地蔵岳溶岩ドームと小沼タフリングを形成した。これを最後に大規模なプリニー式噴火は途絶えている。>
現在最高峰黒檜山は1826mである。
「この川とこの山のほとりで生きてきた」
そんな思いがつよく、通勤途上、クルマを止めて撮影した。
朝は冷え込んだが、陽がたかくなるにつれ、気温が上昇し、おだやかな初冬の日和となった。
◆利根川
<利根川(とねがわ)は、群馬県最北部のみなかみ町に端を発し、関東平野を北西から南東へと流れる、一級水系利根川水系の本川である。
「坂東太郎」(ばんどうたろう)の異名を持ち、「筑紫次郎」(筑後川)、「四国三郎」(吉野川)とともに日本三大暴れ川の一つに数えられる。全長は約322kmで、信濃川に次いで日本第二位の長さを誇る。流域面積は約16,840km²に及び日本で最大である。
鬼怒川や渡良瀬川(わたらせがわ)など多くの支流をもち、下流では分流として江戸川をもっているので、関東平野の大きな部分を流域としている。>
前橋は詩人、萩原朔太郎の街である。いずれ、この詩人にも、ふれる機会があるだろう。
撮影:2007年12月21日
冬になると、赤城山がくっきりとした姿をあらわす。わが郷土の山である。手前はもちろん利根川。左手奥に見えるのが大渡橋。この橋の中央欄干のどこかに、萩原朔太郎の詩碑がある。通勤の行き帰りに、最低二度、利根川にかけられたこの橋を渡る。
夏のあいだは、クルマをとばして、チョウやきのこの撮影にでかけた。もぐりこんでみると、赤城のふところは驚くほど広い。生まれたときから見なれた山で、中学校からの帰りしな、木枯らしに煽られながら、なかば必死になって仰ぎ見た山である。
◆赤城山
<50万年前に活動を開始し、標高2300m程度の安山岩質(Sio2 54~60%)の溶岩とスコリアから成る成層火山を形成した。20万年前ごろから二酸化ケイ素の量が増えて溶岩がデイサイト質になり、それに伴い爆発的噴火が多発し、火砕流や山体崩壊による岩屑なだれが山麓に流下して現在の広い山麓を形成した。約5万年前には湯の口降下軽石を噴出し現在の山頂カルデラを形成した。3万年前には鹿沼降下軽石を噴出した。約2万年前に地蔵岳溶岩ドームと小沼タフリングを形成した。これを最後に大規模なプリニー式噴火は途絶えている。>
現在最高峰黒檜山は1826mである。
「この川とこの山のほとりで生きてきた」
そんな思いがつよく、通勤途上、クルマを止めて撮影した。
朝は冷え込んだが、陽がたかくなるにつれ、気温が上昇し、おだやかな初冬の日和となった。
◆利根川
<利根川(とねがわ)は、群馬県最北部のみなかみ町に端を発し、関東平野を北西から南東へと流れる、一級水系利根川水系の本川である。
「坂東太郎」(ばんどうたろう)の異名を持ち、「筑紫次郎」(筑後川)、「四国三郎」(吉野川)とともに日本三大暴れ川の一つに数えられる。全長は約322kmで、信濃川に次いで日本第二位の長さを誇る。流域面積は約16,840km²に及び日本で最大である。
鬼怒川や渡良瀬川(わたらせがわ)など多くの支流をもち、下流では分流として江戸川をもっているので、関東平野の大きな部分を流域としている。>
前橋は詩人、萩原朔太郎の街である。いずれ、この詩人にも、ふれる機会があるだろう。
撮影:2007年12月21日