人間の眼は、未知の世界への触手として、すぐれた機能をもっている。
いや、人間の眼ばかりではなく、動物やその他の生きものにとって、まなざしは五感の中でも、外界へ向けられたいちばん大事なサーチライトなのである。
眼は探索、認識のために日常的に酷使される。写真をやっている人は、とくに眼が敏感。
写真と言語、その双方を自在に操ることができる人は、むしろ少数派で、どちらか一方に偏っている人のほうが多いかもしれない。
わたしは未知の世界に、わたしの触手をのばす。それはたまには耳や鼻や皮膚感覚であったりもするが、眼に対する依存度が圧倒的に高い・・・とおもう。
「まず見る」
そして考えたり、感動したり、避けようとしたり、近づこうとしたり。
ところが、自分が撮影した写真を眺めていて、相手からも、そういった触手がのびていることに気がつくことがある。
この写真。
この表情と、まなざしに、わたしはある印象をうける。
あえてことばにすれば、
“未知の世界”からの触手
ということになるだろう。
一枚の写真の中で、「未知の世界への触手」と「未知の世界からの触手」が重なり、スパークする(@_@)
ルリビタキがなにを考えているのか、わたしにはわからない(笑)。
彼に人間がいう心のようなものがあったとして、それは“未知の世界”以外、なにものでもない。
「わたしを放っておいて」
「それ以上、近づかないで」
「そこにいるのはだれ?」
「なにかご用?」
「わっ、びっくりした!」
・・・鳥の心はわからない。
わたしの胸で、いろいろな表現が跳びはねる(?_?)
ルリビタキからのこのまなざしは、“未知の世界”からの触手そのものだと、わたしは感じる。
好奇心が半分、それ以上近づかないで、が半分、かな。
とりあえず、いまはそう解釈しておこう♪
いや、人間の眼ばかりではなく、動物やその他の生きものにとって、まなざしは五感の中でも、外界へ向けられたいちばん大事なサーチライトなのである。
眼は探索、認識のために日常的に酷使される。写真をやっている人は、とくに眼が敏感。
写真と言語、その双方を自在に操ることができる人は、むしろ少数派で、どちらか一方に偏っている人のほうが多いかもしれない。
わたしは未知の世界に、わたしの触手をのばす。それはたまには耳や鼻や皮膚感覚であったりもするが、眼に対する依存度が圧倒的に高い・・・とおもう。
「まず見る」
そして考えたり、感動したり、避けようとしたり、近づこうとしたり。
ところが、自分が撮影した写真を眺めていて、相手からも、そういった触手がのびていることに気がつくことがある。
この写真。
この表情と、まなざしに、わたしはある印象をうける。
あえてことばにすれば、
“未知の世界”からの触手
ということになるだろう。
一枚の写真の中で、「未知の世界への触手」と「未知の世界からの触手」が重なり、スパークする(@_@)
ルリビタキがなにを考えているのか、わたしにはわからない(笑)。
彼に人間がいう心のようなものがあったとして、それは“未知の世界”以外、なにものでもない。
「わたしを放っておいて」
「それ以上、近づかないで」
「そこにいるのはだれ?」
「なにかご用?」
「わっ、びっくりした!」
・・・鳥の心はわからない。
わたしの胸で、いろいろな表現が跳びはねる(?_?)
ルリビタキからのこのまなざしは、“未知の世界”からの触手そのものだと、わたしは感じる。
好奇心が半分、それ以上近づかないで、が半分、かな。
とりあえず、いまはそう解釈しておこう♪