
特売品コーナーのワゴンにあったのがふと目に付いたため、帰り際に買ってきた。
手に入れると、大抵は「序章」だとか、「まえがき」だとか、「おわりに」などを先に読むクセがついた。
いつごろからだろう、おそらく本をたくさん(月に10~20冊)買うようになってからだろう。いくらTVはない・・・とはいっても、まだ現役で仕事をしているため、どうしても時間は限られる。読みたい本が10冊あったとしても、1冊か2冊しか読めないケースが、ままある(^^;)
気まぐれなので、1冊読みおえるたび、つぎに読みたい本の優先順位がよく変わる。
阿川弘之、猪瀬直樹、中西輝政、秦郁彦、福田和也の5氏による「文藝春秋」の座談会をまとめたもの。雑誌掲載は1999年だそうで、その年の読者賞を受賞。
とにかくエキサイティング! こんなにおもしろくて、いいんだろうか? 死者に対して、忸怩たるおもいがないではない。
本書ではつぎの5つの戦争について、主に取り上げてある。
1.日露戦争
2.第一次世界大戦
3.満州事変
4.太平洋戦争
5.湾岸戦争
この中で、日露戦争と太平洋戦争は、日本の国家・社会を根本から変えた戦争である。
前者は日本が国際社会へデビューした戦いで、富国強兵の華々しい成果、多額の借財を背負ったとはいえ、これにより近代化へと前進するためのはずみがついた。
後者は連合軍に大敗し、軍事占領の辱めをうけただけでなく、憲法まで押し付けられた。
戦争期間は3年半、占領期間はその倍の7年におよぶ。
本書では出席者5人が、“神の視点”から過去を遠慮なく裁いている。
歴史にIFは禁物なのを承知で、歴史の分岐点を検証し、「ありえたかもしれない」もう一つの現実を予想している。
外国の軍隊に占領されたのは、いうまでもなく、日本の歴史はじまって以来。しかもそれが7年に及んだのだ。
政治的・軍事的な影響ばかりでなく、文化的な影響・・・とくにアメリカ文化の影響を強く被った。
当然といえば当然だが、出席者5人の立場はそれぞれことなっている。
議論が噛み合っているところ、噛み合っていないところ、ついうっかり読み過ごしてしまうが、5人がいいたいことをいい、縦横無尽に、9時間にわたって「二十世紀日本の戦争」を語り尽くしたのだ。
本書のテーマは戦争。国民国家にとって、戦争は大きな犠牲をともなう“究極の公共事業”なのである。
本書は湾岸戦争までふくめ、わが国における「戦争の世紀」とは何であったのかを時間軸に沿ってトレースしていく。
5人のうち、最年長の阿川弘之さんが1920年(大正9)生まれ、最年少の福田和也さんが1960年(昭和35)生まれ。阿川さんを除くと、それぞれ論客といえる活動を展開している評論家。
わたしが一番共感を覚えた(というより、わかりやすかった)のは、自分でも意外であるが、中西輝政さんであった。「大英帝国衰亡史」がロングセラーになっていて、わたしも読んで感心したことがある。おもに「正論」が活躍の舞台で、PHP新書あたりから、何冊もの著作を刊行しておられる。
マスコミでは典型的保守の論客として知られ、論調や思想の根っこが、このあと東京都知事となってミソをつけた猪瀬直樹さんなどと比較し、首尾一貫していて、たいへん明快。
座談会の司会は猪瀬さん、だがある意味では、中西さんの発言が要所で重きをなしている。そこに、唯一実際の戦争を体験している元海軍大尉の阿川さんがからんでくるこという構図が本書の骨格を形づくっていると思われる。
決断できない日本。敗戦があったから、このような日本が誕生したのである。
《占領期にアメリカがとった施策をほとんど無批判に受け入れてきた》結果、いまの日本があるのだと、中西さんはいう。
たとえば、湾岸戦争をきっかけに、憲法や自衛隊を視なおそうという機運が、徐々に高まりつつあるが、果たして本当に「憲法改正」が可能なのか? 自衛隊という紛れもない軍隊を、軍隊として認めることができるのか?
それはズルズルべったりに引き延ばしてきた“日本人の決断”。だけどなあ・・・結局は「外圧」頼みなのか・・・と、悲観的に考えている人も多いだろう、わたしもその一人だが。
戦争経験のないわたしが、えらそうに口出しするのはやめておく。
“経験してみなければわからない”という、重い現実を舐めてはいけない(*-ω-*)
日本の村々、町々のいたるところに忠霊塔がある。むろんわが村にもある。
その大部分は太平洋戦争のものだが、まれに日露戦争の忠霊塔がある。
死者はものをいわない。歴史とは結局は勝者のものなのである。だから過去の戦争と謙虚に向き合い、想像力を働かせなければならない。
とはいえ、本書から学ばねばならぬことが、どうも、わたしにはあまりに
多すぎる。したがって、留保つきの5つ星評価なのである。
評価:☆☆☆☆☆
手に入れると、大抵は「序章」だとか、「まえがき」だとか、「おわりに」などを先に読むクセがついた。
いつごろからだろう、おそらく本をたくさん(月に10~20冊)買うようになってからだろう。いくらTVはない・・・とはいっても、まだ現役で仕事をしているため、どうしても時間は限られる。読みたい本が10冊あったとしても、1冊か2冊しか読めないケースが、ままある(^^;)
気まぐれなので、1冊読みおえるたび、つぎに読みたい本の優先順位がよく変わる。
阿川弘之、猪瀬直樹、中西輝政、秦郁彦、福田和也の5氏による「文藝春秋」の座談会をまとめたもの。雑誌掲載は1999年だそうで、その年の読者賞を受賞。
とにかくエキサイティング! こんなにおもしろくて、いいんだろうか? 死者に対して、忸怩たるおもいがないではない。
本書ではつぎの5つの戦争について、主に取り上げてある。
1.日露戦争
2.第一次世界大戦
3.満州事変
4.太平洋戦争
5.湾岸戦争
この中で、日露戦争と太平洋戦争は、日本の国家・社会を根本から変えた戦争である。
前者は日本が国際社会へデビューした戦いで、富国強兵の華々しい成果、多額の借財を背負ったとはいえ、これにより近代化へと前進するためのはずみがついた。
後者は連合軍に大敗し、軍事占領の辱めをうけただけでなく、憲法まで押し付けられた。
戦争期間は3年半、占領期間はその倍の7年におよぶ。
本書では出席者5人が、“神の視点”から過去を遠慮なく裁いている。
歴史にIFは禁物なのを承知で、歴史の分岐点を検証し、「ありえたかもしれない」もう一つの現実を予想している。
外国の軍隊に占領されたのは、いうまでもなく、日本の歴史はじまって以来。しかもそれが7年に及んだのだ。
政治的・軍事的な影響ばかりでなく、文化的な影響・・・とくにアメリカ文化の影響を強く被った。
当然といえば当然だが、出席者5人の立場はそれぞれことなっている。
議論が噛み合っているところ、噛み合っていないところ、ついうっかり読み過ごしてしまうが、5人がいいたいことをいい、縦横無尽に、9時間にわたって「二十世紀日本の戦争」を語り尽くしたのだ。
本書のテーマは戦争。国民国家にとって、戦争は大きな犠牲をともなう“究極の公共事業”なのである。
本書は湾岸戦争までふくめ、わが国における「戦争の世紀」とは何であったのかを時間軸に沿ってトレースしていく。
5人のうち、最年長の阿川弘之さんが1920年(大正9)生まれ、最年少の福田和也さんが1960年(昭和35)生まれ。阿川さんを除くと、それぞれ論客といえる活動を展開している評論家。
わたしが一番共感を覚えた(というより、わかりやすかった)のは、自分でも意外であるが、中西輝政さんであった。「大英帝国衰亡史」がロングセラーになっていて、わたしも読んで感心したことがある。おもに「正論」が活躍の舞台で、PHP新書あたりから、何冊もの著作を刊行しておられる。
マスコミでは典型的保守の論客として知られ、論調や思想の根っこが、このあと東京都知事となってミソをつけた猪瀬直樹さんなどと比較し、首尾一貫していて、たいへん明快。
座談会の司会は猪瀬さん、だがある意味では、中西さんの発言が要所で重きをなしている。そこに、唯一実際の戦争を体験している元海軍大尉の阿川さんがからんでくるこという構図が本書の骨格を形づくっていると思われる。
決断できない日本。敗戦があったから、このような日本が誕生したのである。
《占領期にアメリカがとった施策をほとんど無批判に受け入れてきた》結果、いまの日本があるのだと、中西さんはいう。
たとえば、湾岸戦争をきっかけに、憲法や自衛隊を視なおそうという機運が、徐々に高まりつつあるが、果たして本当に「憲法改正」が可能なのか? 自衛隊という紛れもない軍隊を、軍隊として認めることができるのか?
それはズルズルべったりに引き延ばしてきた“日本人の決断”。だけどなあ・・・結局は「外圧」頼みなのか・・・と、悲観的に考えている人も多いだろう、わたしもその一人だが。
戦争経験のないわたしが、えらそうに口出しするのはやめておく。
“経験してみなければわからない”という、重い現実を舐めてはいけない(*-ω-*)
日本の村々、町々のいたるところに忠霊塔がある。むろんわが村にもある。
その大部分は太平洋戦争のものだが、まれに日露戦争の忠霊塔がある。
死者はものをいわない。歴史とは結局は勝者のものなのである。だから過去の戦争と謙虚に向き合い、想像力を働かせなければならない。
とはいえ、本書から学ばねばならぬことが、どうも、わたしにはあまりに
多すぎる。したがって、留保つきの5つ星評価なのである。
評価:☆☆☆☆☆