予告したように、本日二回目の日記。
わたしに限ったことではないだろうが、「自分の写真」といえるようなものは、たえず更新され、微妙に変化していく。むろん劇的に変化する場合もある。たとえば、わたしが昆虫写真から、元の街撮りに復帰したように。
世界へ向けられる眼と、写真は、そのままイコールではないにせよ、とても密接にむすびついている。だから、「変えよう」と意識的になっても、無意識がそれに抵抗し、また元のもくあみになってしまうことだってある。
わたしのケースでいうと、カメラへの物欲というのがあって、それが定期的に襲ってくる。しかし、考えてみると「カメラが欲しい」という欲望は、写真が変わるかもしれない・・・ちょっと変えてみたい・・・変わるだろう・・・という予感と不可分なところがある。
あのカメラではあれを撮った。あのカメラでは・・・と、連想はどんどん拡がる、ひろがる(笑)。
トップにあげたのは、RICOH CX6、B/B(ブリーチバイパス)で撮影している。
カメラがその後2台ふえたけれど、いまだ出番がいちばん多いのはCX6である。
「あー、これまでとは、少し違った写真が撮りたいなあ。新しいシリーズをはじめようか。たとえばPENで」
オリンパスPEN E-P3がやってくるにあたって、わたしはそんな期待を、こころのどこかに抱いた。
これやこれやこれ(3枚ともPEN)は、以前ならこういうふうには撮らなかった――と考えたりするのである(=_=)
ここにある上の2台は、左コニカBIG-mini(2代目)、右コニカ ヘキサー。このカメラで、80年代の終わりから90年代にかけて、浴びるように写真を撮っていた。
それを、デジタル時代のいま、CX6、PENと比較してみると、ある感慨をもよおさずにはいられない。
「少しは変わったよ」とおもっているのは本人だけで、人からみたら、相変わらずの写真なのかもしれないし、その微妙な違いに気がついてくれる人がいるかもしれない。
新しいカメラやレンズを買うとき、「これでないと撮れなかった写真が撮りたい」と、こころひそかに願う。田中長徳さんがどこかで書いていたように「上昇願望を捨てよ!」なのである。もっとうまくなりたい、もっといい写真が撮りたいとおもっているあいだは、ろくな写真が撮れない。
「これだよ。よくも悪しくも、これがおれの写真なのさ」
開き直りというのとは違う。キモを据えて、街角に立つ・・・とでもいったらいいのか(?_?)
素材はいたるところにころがっていて、わたしに“発見”されるのを、待っている。
そう、信じたい。