★ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150702-00010009-afpbbnewsv-int
巨大なウラジーミル1世像に割れるロシア AFPBB News 7月2日(木)15時0分配信
【7月2日 AFP】ロシアの首都モスクワ(Moscow)では、ウラジーミル1世(Vladimir the Great)の強大な像の建造が最終段階を迎えている。だがこの像をめぐりモスクワ市民の意見は割れており、市内の景観を壊すとの声も上がっている。(c)AFPBB News
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★ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%AB1%E4%B8%96
ウラジーミル1世 Володимѣръ Свѧтославичь
キエフ大公
Ukraine-Ivano-Frankivsk-Cathedral of Holy Resurrection-5.jpg
在位 978年(980年)6月11日 - 1015年7月15日
別号
ノヴゴロドの公(970年頃‐988年)
ノヴゴロドにあるロシア1000年記念碑の銅像。八端十字架を掲げている。
ウラジーミル1世(ロシア語: Владимир Святославич)、ヴォロディーミル1世(古東スラブ語: Володимѣръ Свѧтославичь、ウクライナ語: Володимир Святославич)955年頃 - 1015年7月15日)は、リューリク朝、キエフ大公国のキエフ大公(在位:978年6月11日 - 1015年7月15日)。スヴャトスラフ1世と侍女マルーシャの子。子にはヤロスラフ1世やボリスとグレプがいる。キエフ大公国をキリスト教化した。キリスト教(正教会・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会)の聖人で、亜使徒・聖公ウラジーミルと呼ばれる。祭日は7月15日(7月28日)。「太公」、「聖公」、「赤日」とも呼ばれる。
前半生[編集]
父スヴャトスラフ1世存命中からノヴゴロド公に任じられていた。これは、後継者として目されていたためであろう。
そして父の死後の975年に長兄ヤロポルクが次兄オレーグと争い、殺害にいたると[1]、977年ウラジーミルはスカンディナビアへ逃亡した。37歳の時[2]、ノルマン人(ヴァリャーグ)人を率いて帰還、ヤロポルクを破り、キエフ大公として即位した。『ルーシ年代記』による即位年は980年であるが、11世紀後半の書『Память и похвала князю русскому Володимиру』によると、978年となっている[3]。ウラジーミル1世が37歳になったのは978年であるため、980年説は成立しない。しかし、多くの書物では980年説は定説となっている。
即位過程で、ポロツクを滅ぼし、公女ログネダを略奪して妻とした[4]。さらに南方や北東地域にも進出してキエフ大公国の領土を父の代から倍増させた。981年にヴャチチ族、984年にラヂミチ族を従属させた[5]。モスクワの東に位置するウラジーミルの町やヴォルィニ地方のウラジーミルは彼が建設したとされる[要出典]。
内政においては、ノルマン系のルーシ族の植民を奨励する一方で[要出典]、980年頃、ルーシに伝統的な異教信仰を基盤に据えた国制改革を行ったとされる。
伝統的なルーシの異教信仰に近隣諸民族の神を加えた大規模な祭祀を行ったが失敗した。こうして、数年後のキリスト教導入に至る。987年に10人の家来たちに各宗教を調査させた報告を聞き、また祖母オリガの洗礼に続き、988年に彼も洗礼を受けた。そして
異教の偶像を破壊するよう命じた[6]。
キリスト教導入後[編集]
ウラジーミルの金貨(10世紀の肖像と紋章)。
988年にはキリスト教を国教として導入、加えて東ローマ皇帝バシレイオス2世の妹アンナと結婚し[7]、キエフ大公国の権威を上昇させると共に、当時最先端であったビザンツ文化を取り入れるなど、優れた手腕を見せた。ウラジーミルは12人の息子をキエフ大公国の各地に封じた。近隣との関係はおおむね平穏であったが、ペチェネグ人には悩まされた。アンナの死後、ウラジーミルは再婚した。相手はオットー1世の孫娘のひとりであったとする説がある。
晩年には、息子ヤロスラフ1世と対立し、これを討つための準備中にキエフ近郊のベレストヴォで死去した(1015年)。
ウラジーミルの遺体は、分割され、彼が建てたさまざまな教会に送られて不朽体(聖遺物)として崇敬を受けた。キエフの最も大きな大聖堂のひとつ(聖ヴォロディームィル大聖堂)がウラジーミルに捧げられた。ウラジーミルへの崇敬はルーシの伝統となった。19世紀にはウクライナにおけるキエフ大学の正式名称は、キエフ・ルーシに文明とキリスト教をもたらした人物としてウラジーミルの名称を冠している。ロシア帝国では聖ウラジーミル勲章が設けられた。
ウラジーミルは正教会から13世紀に列聖され[8]、カトリック教会でも聖人として崇敬されている。政治・軍事ともに大きな成果を収めたウラジーミル1世の功績は、民族叙事詩である「ブィリーナ」で、また修道士ヤコフ・ムニフの『頌詞』のなかで賞賛されている。彼と共に、東スラブにおけるヴァリャーグ人時代は終わり、キリスト教時代が始まった。
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● どこの国でも偶像、または象徴、または権威などが、国を治めるためには必要です。
その
象徴がその国の体制を表すことは当然です。
● 皇帝一家を虐殺して、革命を成功させたソ連共産党は、勿論革命家のマルクス・レーニン
がその象徴です。1990年のソビエトの崩壊≒武人時代の終わりと、
マルクスレーニン像の破壊は表裏一体です。
● 今回の偶像の登場は、
自らのアイデンティティーを探し続けるロシアの結論と言う事です。
ソ連崩壊後25年目にして、やっと確実な方向が見えたと言えます。つまり、西側の
期待する資本主義ではない時代の模索の結果です。
● ロシア正教徒が前面に出て、君主国家への道を歩むことは、前から予測しています。
サーカー氏の理論通りの事が進んでいるのです。私の270年一時代説の通り
に時代は進んでいるのです。
● 何故ウラジーミルⅠ世が、今回の時代≒知恵者の時代≒君主の時代の偶像になったかと言えば、
上記のWikipediaにもあるように、
主な事は彼がキリスト教≒ロシア正教を導入した
偉大な君主と言う事なのです。キーワードはキリスト教、偉大なる君主。
● つまり予測通りの時代が、着々と
君主を支える知恵者=宗教関係者によって、自らの
アイデンティティーが確立されていく過程なのです。絶対資本主義にはならないとは
このような事の一つ一つが表しているのです。
● 問題は910年から1180年までは、ロシアは武人の時代という事なのです。昔は政教の分離がないと
いうよりも一体の時代ですから、
政治と宗教の対立少なく、むしろ支配の為には
大切なイデオロギーと言う事なのでしょう。
● しかし、ロシア革命で共産主義が史上初めて成功したことから、
宗教が麻薬とされたのは、
ロシア革命がユダヤ革命であったという事と、これも表裏一体なのでしょう。
● つまり、❶
ユダヤ人を虐める皇帝に対する復讐でもあり、ユダヤ教から見れば異教徒となる
❷
ロシア正教徒の宗教信者は殺しても良いのが旧約聖書の教えでもあり、又宗教に代わる
教え≒共産主義をマルクスがつくり、❸
ユダヤ教以外の宗教の破壊の為の革命
と思えば分かりやすいという事です。
● 正に一石二鳥ならぬ、一石三鳥なのです。
この悪魔の共産主義は正に❶ユダヤ教以外の
すべての宗教の破壊と、❷共産主義に従わない人民の虐殺と、❸世界支配の為≒
統一の為に作り出されたと思えば分かりやすいでしょう。
● 歴史的に現在進行形として、その駒として使われているのが、中共と言えるのです。
彼らが中共を育て
革命と中国支配を支援し、そして今も支援している理由が分かろうというものです。
● 話はずれたが、ウラジーミルⅠ世が武人の時代に生きていたことは、上のWikipediaの
説明からもうかがい知れます。
武力で支配を確実にする時代であり、兄弟親子入
り乱れての殺し合いであり、下剋上の時代なのです。
● 歴史に残る武人伝説が出る時代です。日本の戦国時代と同じです。その後の君主時代
1180年~1450年の間には、今の君主の時代の為に偶像になる得る英雄が
いなかったという事が、一つの歴史の皮肉ではあるが。
●
いずれにしろ、ロシアは、君主の時代=知恵者の時代、ロシア正教者に支えられた時代
へ向けてまっしぐらに突き進んでいるのです。ウラミージルⅠ世はプーチン大統領の
ように、君主と武人の性格を併せ持った聖人なのです。
● それがマルクスレーニン等を使い、ロシアに史上初の、共産主義革命を起こした一部の
ハザールユダヤ人にとっては面白くないのでしょう。
自分たちが共産主義革命を
起こしたのに、最後は多数に無勢の原理で、ユダヤ人はソビエトでは
弾圧・追放されたのです。
●
時代は流れ、今回自分たちがソ連を滅ぼしたと誤解した彼らは、更にソ連崩壊後のロシアに
意気揚々と乗り込んで、ロシアの資産を独り占めしたつもりなのに、最後は
愛国者のプーチン大統領に殆どを奪われた≒国有化されたので、
腹の虫がおさまらないという所なのでしょう。
● これが、西欧の一部が、奇妙なほどに、執拗に、ロシアに意図的に絡んでくる理由と言えます。
中共等を使って、世界支配をもくろむ、ブレジンスキー一派にとって邪魔なのが
このロシアなのです。
●
だから侵略的中共を甘やかし、尖閣列島を歌舞伎ダンスで中共の支配下に置けと日本を脅し、
古びたマッキンダーの理論、ハートランド≒東欧・ロシアを支配するものが世界を支配する”
という下らない理論を持ち出して、東欧ロシアに絡むのです。多分昔のハザール国家の再生
=ハザールユダヤ国の再生を意図しているのでしょう。
● 今のギリシアの急進派の戦いの半分は、その西欧の一部の高利貸しへの戦いと思えば、
当たらずとも遠からずでしょう。
現代版ベニスの商人”と言う所でしょう。
●
共産主義という、宗教を否定して、世界共産主義革命≒世界統一を目指す国や組織を使い、
世界の国々の個性≒宗教と文化を破壊しながら、世界を有利に自分たちの為に
グローバル化しようとする、一部の国際金融機関の企みは現在も進行形なのです。
● ウラミージルⅠ世は、その流れと戦えるのでしょうか?