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靖国神社の徳川康久宮司が「明治維新という過ち」と発言、靖国神社=官軍の正義を否定
2016年06月24日 | 日本国内
●靖国神社の徳川宮司「明治維新という過ち」発言の波紋│NEWSポストセブン 2016.06.20 11:00
靖国神社が揺らいでいる。来る2019年に迎える創立150周年に向けて徳川康久宮司が語ったインタビュー記事の発言が、波紋を呼んでいるのだ。
記事は共同通信社から配信され、加盟する一部の地方紙(静岡新聞6月9日付、中国新聞6月10日付)に掲載されたのみだった。ところが、地方でしか読まれないはずの記事が各界の識者の注目を集め、にわかに論争へと発展している。
徳川宮司は靖国神社が抱える課題や、神社の将来像について語った後、「明治維新を巡る歴史認識について発言していますね」という質問を受けて、自らの「明治維新史観」を開陳した。以下が宮司の発言だ。
〈文明開化という言葉があるが、明治維新前は文明がない遅れた国だったという認識は間違いだということを言っている。江戸時代はハイテクで、エコでもあった〉
〈私は賊軍、官軍ではなく、東軍、西軍と言っている。幕府軍や会津軍も日本のことを考えていた。ただ、価値観が違って戦争になってしまった。向こう(明治政府軍)が錦の御旗を掲げたことで、こちら(幕府軍)が賊軍になった〉
一連の発言が波紋を呼んだのは、靖国神社創建の「原点」に関わるからだ。靖国神社のルーツは明治2年(1869年)に建てられた東京招魂社に遡る。
明治維新に際して、薩摩藩・長州藩中心の後の「明治政府軍」と徳川家や会津藩が中心の「幕府軍」が争う「戊辰戦争」が勃発。勝利を収めた明治政府軍が“官軍”、敗北した幕府軍は“賊軍”とされた。
この時、明治維新を偉業として後世に伝え、近代国家建設のために命を捧げた官軍側犠牲者を慰霊顕彰するため、明治天皇が創建したのが東京招魂社だ。明治12年に社号が「靖国神社」と改められて現在に至る。
それゆえに、「賊軍vs官軍ではなく、東軍vs西軍」とする発言は、靖国神社の歴史観を揺るがしかねないと受け止められたのだ。
靖国神社にある遊就館に展示されている「錦の御旗」には、「戊辰戦争で官軍の象徴として使用された」との解説があるように、靖国神社の見解はあくまで、「明治政府軍=官軍」だ。
発言の背景には、徳川宮司の出自が関係している。徳川宮司は徳川家の末裔であり、“賊軍”の長であった15代将軍・徳川慶喜を曾祖父に持つ。徳川家康を祀った芝東照宮に奉職した後、靖国神社の宮司になった。「賊軍の末裔」が「官軍を祀る神社のトップ」に立ったわけである。
◆「大村益次郎像を撤去せよ」
「明治維新史観」の見直しは最近のムーブメントだった。昨年1月に発売された原田伊織氏の『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』(毎日ワンズ刊)がベストセラーになったことを皮切りに、半藤一利氏と保阪正康氏の共著『賊軍の昭和史』(東洋経済新報社刊)など、明治維新の勝者の立場に立った歴史観を見直す論考が相次いで発表されている。
その流れで徳川宮司の発言が飛び出したことで、騒動が拡大しているのだ。著書で「薩長史観」を鋭く否定した原田氏は徳川宮司に同調するかと思いきや、意外にも「発言は中途半端」と手厳しい。
「明治維新当時、東軍・西軍という言葉はほぼ使われていません。徳川家や会津藩に賊軍というレッテルを張ったのは明らかに薩長ですが、その責任や是非を問わず、当時ありもしなかった言葉に置き換えて流布するのはおかしい。また、靖国の持つ歴史観を見直さないのは欺瞞です。“官も賊もない”と言うならば、まず靖国神社の境内にある大村益次郎(官軍側の司令官)の銅像を撤去すべきです」
そんな意見が飛び出すほど、今回の発言は衝撃だった。波紋が広がる徳川宮司の発言について靖国神社は、「創建の由緒から鑑みて『幕府側に対する表現や認識を修正すること』を神社として行なう考えはなく、今後も同様の考えが変わることはないとの発言と理解しております」と回答した。
宮司は150年間封印されていたパンドラの箱を開けてしまったのか。
※週刊ポスト2016年7月1日号
http://www.news-postseven.com/archives/20160620_422520.html
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
● 波動論は体制の寿命は270年と教えています。その半分は135年ですから、その時期は
一つの転換期であることは当然でしょう。1868+135≒2003年と出ます。
21世紀は東西の転換期であることは書きましたが、日本も転換期なのです。
● 波は過去を引きずっていると書きましたが、もちろん途中から新しい波の追加と
時代の変化で、波も変化して、新しい段階=未来に向かうのです。
● 言い換えれば、初期の135年間は前世体制・江戸体制を引きずっているといえます。
身分制度の影響が曲がりなりにも残っているということです。それが戦前は
軍務官僚が活躍し、今は財務官僚が権力を行使していることに
つながっているのでしょう。三島由紀夫の活躍もそうです。
● 同時に後半の135年は富裕者体制の確立と未来の体制に向けての新しい動きがみられると
予想されます。資本主義時代(富裕者と民主主義の時代)の次は
武人の時代(力と独裁)の時代ということになります。
● 日本の政治でも、自衛隊幕僚出身の都知事・政治家の誕生か!? と思わしき事態が
出ましたが、波動論の法則により、第一波は元の木阿弥となりました。
● USAでも1913年にFRBが権力を握りました。1776-1913=137年。その後からUSAの
資本主義は爆発的に発展して、世界の主役に躍り出たと同時に、武人=軍隊の
大活躍も見られるようになりました。
● そして今現在、残すところ長くはない資本主義体制末期は、金融資本主義と老獪な策謀とが
合体して、他国への侵略の醜い歴史を作っています。その軍隊=武人がUSAでは、
2046年の資本主義崩壊後の新しい主人公となるのです。
● そのフラクタルから見れば、日本はFRBが行ったような大規模な金融緩和から始まる
爆発的な発展と、USAの後継者としてのスーパーパワーを持つのです。
その転換期が今なのです。
● そして徐々に、お金がモノをいう時代となり、卑しい?”民間の金持ちが、主役となる時代の
登場です。同時にそれは民主主義の確立と自由主義の確立の時期でもあるのです。
● あと400年間は、新しい江戸時代は来ないのです。2138年に資本主義が崩壊して、
世界戦国時代の武人の時代への仲間入りを果たし、その戦国時代が崩壊し、
2408年から新しい江戸時代が始まるのです。
● 従って、明治維新を否定して生きても、あなたの人生は良くなることはなく、時代の
適応障害を起こして、ろくな仕事が出来ずに、能無しとみなされるでしょう。
● 別の観点から見れば、このようなガラケーがあちこちに生き延びているのが、日本の特徴とも
いえます。言い換えれば国が小さいのに、多様性に富んだ日本文明と言えるのでしょう。
さらに言い換えれば、適応障害起こした能無しでも、生きていゆけるのが日本なのです。
● 金融資本家の大々的登場と、軍隊の再度の登場です。従って江戸時代はもとより、明治自体
がだんだんと遠くなってゆくのです。明治維新への反省も増えるでしょうが、しかし
時代は江戸時代に帰るのではなく、むしろ民間の財閥の増大と
● 金融資本家の大々的登場と、貧富の差の拡大と、知恵者(高級官僚)の時代の終わりが
やってくるのです。FRBが権力を握った以降のUSAの姿が、そのフラクタルでしょう。
● 明治維新の否定という観点からでは、時代への適応障害を起こします。いくらあがいても
富裕者の時代は2138年まで続くのです。
靖国神社の徳川康久宮司が「明治維新という過ち」と発言、靖国神社=官軍の正義を否定
2016年06月24日 | 日本国内
●靖国神社の徳川宮司「明治維新という過ち」発言の波紋│NEWSポストセブン 2016.06.20 11:00
靖国神社が揺らいでいる。来る2019年に迎える創立150周年に向けて徳川康久宮司が語ったインタビュー記事の発言が、波紋を呼んでいるのだ。
記事は共同通信社から配信され、加盟する一部の地方紙(静岡新聞6月9日付、中国新聞6月10日付)に掲載されたのみだった。ところが、地方でしか読まれないはずの記事が各界の識者の注目を集め、にわかに論争へと発展している。
徳川宮司は靖国神社が抱える課題や、神社の将来像について語った後、「明治維新を巡る歴史認識について発言していますね」という質問を受けて、自らの「明治維新史観」を開陳した。以下が宮司の発言だ。
〈文明開化という言葉があるが、明治維新前は文明がない遅れた国だったという認識は間違いだということを言っている。江戸時代はハイテクで、エコでもあった〉
〈私は賊軍、官軍ではなく、東軍、西軍と言っている。幕府軍や会津軍も日本のことを考えていた。ただ、価値観が違って戦争になってしまった。向こう(明治政府軍)が錦の御旗を掲げたことで、こちら(幕府軍)が賊軍になった〉
一連の発言が波紋を呼んだのは、靖国神社創建の「原点」に関わるからだ。靖国神社のルーツは明治2年(1869年)に建てられた東京招魂社に遡る。
明治維新に際して、薩摩藩・長州藩中心の後の「明治政府軍」と徳川家や会津藩が中心の「幕府軍」が争う「戊辰戦争」が勃発。勝利を収めた明治政府軍が“官軍”、敗北した幕府軍は“賊軍”とされた。
この時、明治維新を偉業として後世に伝え、近代国家建設のために命を捧げた官軍側犠牲者を慰霊顕彰するため、明治天皇が創建したのが東京招魂社だ。明治12年に社号が「靖国神社」と改められて現在に至る。
それゆえに、「賊軍vs官軍ではなく、東軍vs西軍」とする発言は、靖国神社の歴史観を揺るがしかねないと受け止められたのだ。
靖国神社にある遊就館に展示されている「錦の御旗」には、「戊辰戦争で官軍の象徴として使用された」との解説があるように、靖国神社の見解はあくまで、「明治政府軍=官軍」だ。
発言の背景には、徳川宮司の出自が関係している。徳川宮司は徳川家の末裔であり、“賊軍”の長であった15代将軍・徳川慶喜を曾祖父に持つ。徳川家康を祀った芝東照宮に奉職した後、靖国神社の宮司になった。「賊軍の末裔」が「官軍を祀る神社のトップ」に立ったわけである。
◆「大村益次郎像を撤去せよ」
「明治維新史観」の見直しは最近のムーブメントだった。昨年1月に発売された原田伊織氏の『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』(毎日ワンズ刊)がベストセラーになったことを皮切りに、半藤一利氏と保阪正康氏の共著『賊軍の昭和史』(東洋経済新報社刊)など、明治維新の勝者の立場に立った歴史観を見直す論考が相次いで発表されている。
その流れで徳川宮司の発言が飛び出したことで、騒動が拡大しているのだ。著書で「薩長史観」を鋭く否定した原田氏は徳川宮司に同調するかと思いきや、意外にも「発言は中途半端」と手厳しい。
「明治維新当時、東軍・西軍という言葉はほぼ使われていません。徳川家や会津藩に賊軍というレッテルを張ったのは明らかに薩長ですが、その責任や是非を問わず、当時ありもしなかった言葉に置き換えて流布するのはおかしい。また、靖国の持つ歴史観を見直さないのは欺瞞です。“官も賊もない”と言うならば、まず靖国神社の境内にある大村益次郎(官軍側の司令官)の銅像を撤去すべきです」
そんな意見が飛び出すほど、今回の発言は衝撃だった。波紋が広がる徳川宮司の発言について靖国神社は、「創建の由緒から鑑みて『幕府側に対する表現や認識を修正すること』を神社として行なう考えはなく、今後も同様の考えが変わることはないとの発言と理解しております」と回答した。
宮司は150年間封印されていたパンドラの箱を開けてしまったのか。
※週刊ポスト2016年7月1日号
http://www.news-postseven.com/archives/20160620_422520.html
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● 波動論は体制の寿命は270年と教えています。その半分は135年ですから、その時期は
一つの転換期であることは当然でしょう。1868+135≒2003年と出ます。
21世紀は東西の転換期であることは書きましたが、日本も転換期なのです。
● 波は過去を引きずっていると書きましたが、もちろん途中から新しい波の追加と
時代の変化で、波も変化して、新しい段階=未来に向かうのです。
● 言い換えれば、初期の135年間は前世体制・江戸体制を引きずっているといえます。
身分制度の影響が曲がりなりにも残っているということです。それが戦前は
軍務官僚が活躍し、今は財務官僚が権力を行使していることに
つながっているのでしょう。三島由紀夫の活躍もそうです。
● 同時に後半の135年は富裕者体制の確立と未来の体制に向けての新しい動きがみられると
予想されます。資本主義時代(富裕者と民主主義の時代)の次は
武人の時代(力と独裁)の時代ということになります。
● 日本の政治でも、自衛隊幕僚出身の都知事・政治家の誕生か!? と思わしき事態が
出ましたが、波動論の法則により、第一波は元の木阿弥となりました。
● USAでも1913年にFRBが権力を握りました。1776-1913=137年。その後からUSAの
資本主義は爆発的に発展して、世界の主役に躍り出たと同時に、武人=軍隊の
大活躍も見られるようになりました。
● そして今現在、残すところ長くはない資本主義体制末期は、金融資本主義と老獪な策謀とが
合体して、他国への侵略の醜い歴史を作っています。その軍隊=武人がUSAでは、
2046年の資本主義崩壊後の新しい主人公となるのです。
● そのフラクタルから見れば、日本はFRBが行ったような大規模な金融緩和から始まる
爆発的な発展と、USAの後継者としてのスーパーパワーを持つのです。
その転換期が今なのです。
● そして徐々に、お金がモノをいう時代となり、卑しい?”民間の金持ちが、主役となる時代の
登場です。同時にそれは民主主義の確立と自由主義の確立の時期でもあるのです。
● あと400年間は、新しい江戸時代は来ないのです。2138年に資本主義が崩壊して、
世界戦国時代の武人の時代への仲間入りを果たし、その戦国時代が崩壊し、
2408年から新しい江戸時代が始まるのです。
● 従って、明治維新を否定して生きても、あなたの人生は良くなることはなく、時代の
適応障害を起こして、ろくな仕事が出来ずに、能無しとみなされるでしょう。
● 別の観点から見れば、このようなガラケーがあちこちに生き延びているのが、日本の特徴とも
いえます。言い換えれば国が小さいのに、多様性に富んだ日本文明と言えるのでしょう。
さらに言い換えれば、適応障害起こした能無しでも、生きていゆけるのが日本なのです。
● 金融資本家の大々的登場と、軍隊の再度の登場です。従って江戸時代はもとより、明治自体
がだんだんと遠くなってゆくのです。明治維新への反省も増えるでしょうが、しかし
時代は江戸時代に帰るのではなく、むしろ民間の財閥の増大と
● 金融資本家の大々的登場と、貧富の差の拡大と、知恵者(高級官僚)の時代の終わりが
やってくるのです。FRBが権力を握った以降のUSAの姿が、そのフラクタルでしょう。
● 明治維新の否定という観点からでは、時代への適応障害を起こします。いくらあがいても
富裕者の時代は2138年まで続くのです。