上田市御岳堂の岩谷堂観音です。正式には「宝蔵寺」です。信濃三十三観音霊場、中部四十九薬師霊場の札所である岩谷堂観音の御堂としても有名です。創建は平安時代初期で比叡山の第三代座主・慈覚大師円仁によって開かれました。
本尊は大師御謹刻の聖観世音菩薩を安置しています。朱塗りの現在の堂宇は、安永6年(1778)に建立されました。それ以前は本堂裏の洞窟の中に安置されていました。
ここにある義仲桜はゆうめいです。木曽冠者「源義仲」は平家追討の令旨を受けて、木曽よりこの地(依田城)に来ました。信濃、関東の兵を集めて軍団を整えて、北陸路より京都に攻め上がりました。その折り、ここで戦勝祈願をしています。馬で登った道が現在「義仲馬大門」と呼ばれています。手植えの桜が「義仲桜」として今も美しい花を咲かせています。
平家の猛将悪七兵衛「平景清」は平家壇ノ浦で滅亡後、旅の僧に身を変えて鎌倉の向かう途路にここに立ち寄りました。
これを追って景清の寵妃「楓の前」もここに来ました。景清が鎌倉で捕らえられたのを知りここに隠棲して、景清と平家一門の菩提を弔ったそうです。
本尊は大師御謹刻の聖観世音菩薩を安置しています。朱塗りの現在の堂宇は、安永6年(1778)に建立されました。それ以前は本堂裏の洞窟の中に安置されていました。
ここにある義仲桜はゆうめいです。木曽冠者「源義仲」は平家追討の令旨を受けて、木曽よりこの地(依田城)に来ました。信濃、関東の兵を集めて軍団を整えて、北陸路より京都に攻め上がりました。その折り、ここで戦勝祈願をしています。馬で登った道が現在「義仲馬大門」と呼ばれています。手植えの桜が「義仲桜」として今も美しい花を咲かせています。
平家の猛将悪七兵衛「平景清」は平家壇ノ浦で滅亡後、旅の僧に身を変えて鎌倉の向かう途路にここに立ち寄りました。
これを追って景清の寵妃「楓の前」もここに来ました。景清が鎌倉で捕らえられたのを知りここに隠棲して、景清と平家一門の菩提を弔ったそうです。