旅と歴史

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生島足島神社

2007年08月24日 | 旅 歴史
 上田市下之郷にある生島足島神社(いくしまたるしまじんじゃ)です。この神社の歴史は古く、967年に施行された延喜式にも名神神社として記載されています。本殿は、周囲を池で囲まれた小島の上に立ち、古代の神社の形態を現在に残しています。 現在の社殿は昭和15年に国費をもって竣工したものです。内殿は平成10年9月「県宝」に指定されました。
 本殿に正対するように摂社諏訪社本殿(上田市指定文化財)が建てられています。この神社は最も古い神宮のあり方を伝えています。約1300年前に国造の位を朝廷から拝命した信州の豪族が宮巾より、生島の神、足島の神を分祀したものといわれます。
 平安時代初期にまとめられた延喜式に「生島足島神社二座名神大」と載っています。中世未期以降には、「下之郷大明神」「諏方法性大明神」などと呼ばれ、武田氏や歴代上田藩主の保護を受けてきました。寛政十一年(1799)に社名を生島足島神社に改めたそうです。
 大嘗祭〔だいじようさい〕・新嘗祭〔にいなめさい〕など宮中に伝わる神事に通じるところがあり、神社本殿の古い形式を伝えた建物と考えることができます。
生島神は万物を生育させる生国魂(いくたま)の神です。足島神は万物に満足を与える足国魂(あしくにたま)の神です。共に日本全体の国の御霊として奉祀され、太古より日本総鎮守と仰がれる極めて古い由緒を持つ大神です。生島神・足島神は日本国土生成の霊なのです。
 天文22年(1553)、東信濃を攻略した武田信玄はまずここに社領安堵状を捧げました。さらに永禄2年(1559)再び願文を捧げ、自軍の勝利と上杉謙信の滅亡を祈願しています。そして2年後に川中島の大合戦が行われました。
信玄は信濃の大半を勢力下に置いた永禄9年・10年(1566~1567)に信濃はもちろん、甲斐や上野の武将達をここに集め、神前で忠誠を誓わせました。そのときの誓いの文書(起請文)が83通残されており、国の重要文化財に指定されています。
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