青森県五所川原市大字湊字千鳥にある旧平山家住宅です。
旧平山家住宅は、代々津軽藩広田組代官所の手代を務めた平山家の住居として造られた建物です。津軽地方の上層農民の貴重な建物として、主屋と表門は国の重要文化財に指定されています。
平山家は古くからの豪農で代々庄屋を勤めました。江戸時代後期には大庄屋となり代官所の手代や堰奉行を歴任しました。
現在の建物は明和6年(1769)に再建されたものです。木造平屋建て、寄棟造り、茅葺き、正面左側を前に張り出しその部分の屋根は切妻になっています。間口33m、奥行き13mという大きな家です。
東より7間まで「にら」や「とろち」などの作業部、中ほどの7間が台所や寝室などの居住部、西より3間が表座敷や奥座敷などの接客部にわかれています。
旧平山家住宅の表門は国の重要文化財に指定されています。当時、門は法度により許されていませんでした。この門は、「平山家文書」により天保元年(1830)六代平山半左衛門の時、津軽十代藩主信順公からとくに許されて、建てられたそうです。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
旧平山家住宅は、代々津軽藩広田組代官所の手代を務めた平山家の住居として造られた建物です。津軽地方の上層農民の貴重な建物として、主屋と表門は国の重要文化財に指定されています。
平山家は古くからの豪農で代々庄屋を勤めました。江戸時代後期には大庄屋となり代官所の手代や堰奉行を歴任しました。
現在の建物は明和6年(1769)に再建されたものです。木造平屋建て、寄棟造り、茅葺き、正面左側を前に張り出しその部分の屋根は切妻になっています。間口33m、奥行き13mという大きな家です。
東より7間まで「にら」や「とろち」などの作業部、中ほどの7間が台所や寝室などの居住部、西より3間が表座敷や奥座敷などの接客部にわかれています。
旧平山家住宅の表門は国の重要文化財に指定されています。当時、門は法度により許されていませんでした。この門は、「平山家文書」により天保元年(1830)六代平山半左衛門の時、津軽十代藩主信順公からとくに許されて、建てられたそうです。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/