福島県本宮市本宮舘ノ越にある安達太良神社です。
安達太良神社は高皇産霊(たかみむすび)神・神皇産霊(かみむすび)神を祀る社として安達太良山麓に鎮座していました。平安時代の末期、久安2年(1146)安達郡の総鎮守として現社地に遷座された歴史ある神社です。
遷座の際に新たに安達太良山(1700m)の神々である甑・船・矢筈・剣明神、安達太良山支峰である大名倉山(576m)の神である宇名己呂別(うなころわけ)神を合祀し、安達太良明神と称したそうです。
「甑」とは古代の蒸し器のことだそうです。安達太良山が湯気のような噴煙を上げていたことからその名がついたようです。昔から地方守護の神としてあがめられ、すべての産業開発、商売繁昌、家内安全、縁結びなど、あらゆる幸福を司る守護神だそうです。
表参道から、一の鳥居、二の鳥居を通り、石段を登ると拝殿があります。その奥に覆屋に入った本殿があります。
拝殿の屋根は入母屋造りです。正面には唐破風を突き出し、背面には幣殿の切妻屋根が突き出しています。正面と両側面の建具は入り口を除きすべて格子の蔀戸となっています。内部には三十六歌仙が掲額されています。また本殿は、一間社流造りの木羽葺きで造られています。
文化3年(1806)の大火により、本宮両町は殆ど焼失し、御本社、拝殿、神楽殿、宝蔵及び末社まで類焼してしまいました。文化7年(1810)にも再び本宮両町は全焼。現社殿は、文化13年(1816)に再建されたものです。
安達太良神社の柱には戊辰戦争の時の弾痕が残っています。明治元年(1868)7月26日、新政府軍は三春藩を落とし、2日後にこの本宮を陥し、翌日霞ヶ城(二本松城)を陥落させて会津に向かったそうです。
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安達太良神社は高皇産霊(たかみむすび)神・神皇産霊(かみむすび)神を祀る社として安達太良山麓に鎮座していました。平安時代の末期、久安2年(1146)安達郡の総鎮守として現社地に遷座された歴史ある神社です。
遷座の際に新たに安達太良山(1700m)の神々である甑・船・矢筈・剣明神、安達太良山支峰である大名倉山(576m)の神である宇名己呂別(うなころわけ)神を合祀し、安達太良明神と称したそうです。
「甑」とは古代の蒸し器のことだそうです。安達太良山が湯気のような噴煙を上げていたことからその名がついたようです。昔から地方守護の神としてあがめられ、すべての産業開発、商売繁昌、家内安全、縁結びなど、あらゆる幸福を司る守護神だそうです。
表参道から、一の鳥居、二の鳥居を通り、石段を登ると拝殿があります。その奥に覆屋に入った本殿があります。
拝殿の屋根は入母屋造りです。正面には唐破風を突き出し、背面には幣殿の切妻屋根が突き出しています。正面と両側面の建具は入り口を除きすべて格子の蔀戸となっています。内部には三十六歌仙が掲額されています。また本殿は、一間社流造りの木羽葺きで造られています。
文化3年(1806)の大火により、本宮両町は殆ど焼失し、御本社、拝殿、神楽殿、宝蔵及び末社まで類焼してしまいました。文化7年(1810)にも再び本宮両町は全焼。現社殿は、文化13年(1816)に再建されたものです。
安達太良神社の柱には戊辰戦争の時の弾痕が残っています。明治元年(1868)7月26日、新政府軍は三春藩を落とし、2日後にこの本宮を陥し、翌日霞ヶ城(二本松城)を陥落させて会津に向かったそうです。
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