旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

修学院離宮

2019年09月15日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区修学院薮添に修学院離宮があります。
 修学院離宮は曼殊院の北、比叡山の南西の麓にある皇室関連の施設です。この地は僧・勝算(しょうさん)が建てた修学院のあった所で、中世に荒廃して村名だけが残されていました。
 後水尾(ごみずのお)天皇の女御であった東福門院は徳川2代将軍秀忠の娘でした。離宮は譲位した後水尾上皇を慰めるために、明暦元年(1655)から万治2年(1659)頃にかけ徳川幕府が造成寄進したものです。
 造営にあたっては上皇がいっさいを指示したといわれています。当初は修学院山荘とか御茶屋と呼ばれたそうです。総面積約54万5千平方mと広大な敷地があり、土地の高低にしたがって、上離宮、中離宮、下離宮に分かれ、いずれも凝った趣向の茶亭などが建てられています。
 中離宮の付近の場所には、後水尾上皇の第8皇女であった光子(てるこ)内親王のために寛文8年(1668)に造営された朱宮(あけのみや)御所がありました。それ以前は後水尾上皇の第1皇女であった梅宮が出家した円照寺という尼寺でした。
 そして朱宮御所は上皇の死後は、林丘寺(りんきゅうじ)という寺に改められました。明治18年(1885)に林丘寺の境内の約半分が宮内省に返還され、楽只軒(らくしけん)と客殿などが修学院離宮の一部となったのです。

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