京都府京都市左京区修学院薮添に修学院離宮があります。
楽只軒(らくしけん)は光子内親王のための最初の建物でした。その後、内親王の山荘は林丘寺(りんきゅうじ)となりました。楽只軒の扁額は後水尾上皇の御宸筆で、額縁は三種の竹に七宝の竹葉が付けられています。扁額の年紀銘から寛文8年(1668)か、その前年に建てられたようです。「詩経」の「楽只君子万寿無期」から後水尾上皇が名づけられたそうです。
楽只軒は単層、本瓦葺き、正方形の建物で、南面と東面に板縁を設けています。手前にある一の間と、その奥に二の間があります。一の間は6畳で北側に床を設け、襖絵は吉野山桜図が描かれています。二の間は8畳で、竜田川紅葉図が描かれています。これらの襖絵は狩野探幽の子の探信が筆を執っています。
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