長野県上田市真田町下原(しもはら)の真田氏記念公園に真田昌幸のリーフ像があります。
幸隆は天正2年(1574)死去し、長男の信綱が家督を継ぎました。天正3年(1575)の長篠・設楽ヶ原合戦で弟の昌輝共々討死にしてしまいます。三男の昌幸は信玄の小姓をしたあと甲斐の名門・武藤家に入りましたが戻って真田を継ぐことになりました。
昌幸は天正8年(1580)上州沼田城を攻略し版図を拡げました。天正10年(1582)武田氏が滅亡すると、織田・北条・上杉・徳川らの諸勢力の中で独立領主化しました。沼田領をめぐる対立で、天正13年(1585)に徳川が大軍を率いて上田城を攻撃しましたが撃退させました。
北条氏との沼田領争いではとうとう天下人・豊臣秀吉をも動かして、北条氏を滅亡に追い込んでしまいました。慶長5年(1600)関ヶ原の役では、昌幸と次男・幸村(信繁)は西軍に味方し、長男の信之(信幸)は東軍について袂を分かちました。
昌幸は徳川秀忠の率いる大軍を上田城で参戦させ関ヶ原に遅参させたのですが東軍は大敗してしまいました。昌幸・幸村は信之の助命嘆願で高野山蓮華定院で蟄居となりました。その後紀州九度山へ移り、慶長16年(1611)昌幸は九度山で亡くなりました。
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