旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

諏訪大社下社秋宮

2023年03月09日 | 旅 歴史

 長野県諏訪郡下諏訪町に諏訪大社下社秋宮(すわたいしゃしもしゃあきみや)があります。
  諏訪大社は、お諏訪様と呼ばれ、全国に1万余の御分社を持つ諏訪神社の総本社です。諏訪湖南北に2社4宮(上社本宮、上社前宮、下社秋宮、春宮)が鎮座し、日本最古の神社の一つといわれています。本殿をもたない諏訪造りと呼ばれる建築様式で建てられています。
 上社は男神の建御名方富命(たけみなかたのみこと)を、下社はその妻の女神・八坂刀売命(やさかとめのみこと)を主祭神としています。孝徳天皇8年(652)、持統5年(691)、大宝3年(703)に朝廷より勅使が派遣されています。承和9年(842)には従五位下、貞観9年(867)に従一位、天慶3年(940)に正一位を賜り、延喜式神名帳には名神大社と書かれ信濃国一之宮となりました。
 諏訪大社では木や石などに降りる精霊として、ミシャクジ神を祀っていました。奉祀する神職の最高位を大祝と呼び、上社の大祝「諏訪氏」は祭神の子孫として、下社の大祝(おおほうり)金刺氏は皇族の子孫としていました。 平安時代後期、諏訪・金刺の両氏が武力を持って大きな勢力となりました。祀られていた神もミシャクジから、上社は建御名方命、下社は八坂刀売命になりました。
 その後、金刺氏は戦国時代に入り滅亡し、上社の諏訪頼重は武田氏に滅ばされます。天正10年(1582)、織田信忠が5万の兵でと武田勝頼を攻めました。高遠城攻防で兵火は諏訪まで及び多くの社殿、社宝が灰塵に帰しました。
 徳川幕府から庇護され、下社には500石の神領が安堵されました。高島藩主・諏訪頼水などにも崇敬されました。頼水の父・頼忠は諏訪氏直系で武田氏に滅ばされた諏訪頼重の従兄弟に当たります。明治初頭の神仏分離令と廃仏毀釈により仏式が除かれ、現在に至っています。  
 諏訪湖周辺にある4つの諏訪大社のなかで、もっともにぎわいをみせるのが、諏訪大社下社秋宮です。旧中山道と甲州街道の分岐点にあり、下諏訪宿が開かれると多くの信者、旅人が参拝に訪れ社運も隆盛し、温泉が湧き出たことで湯治客も多く集まりました。
 下社は春宮と秋宮の2社に分かれています。下社の祭神である八坂刀売命は、2月から7月まで春宮に鎮座し、8月1日の御舟祭りで秋宮に遷座し、翌2月1日に春宮に帰座されるといわれています。つまり夏は春宮に、冬は秋宮に住まわれるのです。
 諏訪大社下社秋宮には本殿がありません。ご神体は拝殿・御宝殿の奥のご神木「一位の木」です。拝殿中央に「御神鏡」が祀られています。ここには、日本一大きい青銅製の狛犬や注連縄があります。また宝物殿には国の重要文化財の売神祝印ほか多くの貴重な宝物資料があります。
 拝殿に向かって右側、一の御柱の奥のお社は、手前が稲荷社、真ん中がお諏訪さまの御子神を祀る若宮社、奥が皇大神宮社です。左側二の御柱近くにあるお社は、右から八坂社、加茂上下社、子安社及び鹿島社です。
 秋宮の社殿は諏訪出身の宮大工立川和四郎初代富棟が手掛け、安永10年(1781)に完成しました。幣拝殿、左片拝殿、右片拝殿、神楽殿が国の重要文化財に指定されています。

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