旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

南宗寺

2009年12月14日 | 旅 歴史

 今日は大阪府堺市堺区南旅篭町東にある南宗寺を紹介します。
 龍興山南宗寺は弘治3年(1557)三好長慶が建立した臨済宗大徳寺派のお寺です。創建当時は壮大な寺院を造営し、著名な禅僧が来住して自由貿易都市として栄えた堺の町衆文化の発展に寄与しました。
 中でも、千利休の師である武野紹鴎(たけのじょうおう)は、大林宗套に参禅して「茶禅一味」の言葉をもらいわび茶を深めました。千利休も第2世笑嶺和尚に参禅しました。
 日常の俗世を離れて禅の修行に入ったような茶の湯の生活や、知識ではなく体で会得していく茶の湯の方法を確立し、茶人としての素養を深めました。
 天正2年(1574)の松永久秀の乱入や、慶長20年(1615)の大坂夏の陣の前哨戦で、堂宇はことごとく灰燼に帰しました。
 その後、慶長12年(1607)南宗寺の12世住職となった沢庵宗彭が元和5年(1619)この地に再興させました。13世住職清巌宗渭は正保4年(1647)山門(甘露門)を造営、承応元年(1652)に仏殿の建立に着手し、現在に至っています。
 山門(甘露門)、仏殿、唐門は国の重要文化財に指定されています。仏殿の天井一面には、どこから見ても睨んでいるように見えることからその名の付い狩野信政筆の「八方睨みの龍」が描かれています。



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少林寺

2009年12月13日 | 旅 歴史
 大阪府堺市堺区少林寺町東にある少林寺です。
 元徳2年(1330)、桃源宗悟によって開山されました。開基である小林亮法の姓をとリ小林寺としました。のちに菩提達磨の少林寺にならって「少」の字に改めたそうです。かつての寺の境域は、現在の寺地町・少林寺町を合わせ両町の海浜にまで達していたそうです。
 永徳元年(1381)塔頭、耕雲庵の住持白蔵主が、鎮守稲荷明神に參籠して「霊狐」を得ました。そして狂言大蔵流の始祖・霊狐の所作を狂言に作り、『釣狐』として上演したのです。それ以後、狂言や歌舞伎関係者は『釣狐』を上演する際は少林寺に參詣し、祈願するそうです。寺内の逆芽竹を1本祈祷してもらった上で持ち帰り、上演の時の杖に使用するそうです。


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宝珠院

2009年12月13日 | 旅 歴史
 今日は大阪府堺市堺区宿屋町東にある宝珠院を紹介します。
 三光山宝珠院は、栄亮大僧正の開基で真言宗に属し本尊に虚空像菩薩を祀っています。堺事件で切腹した土佐藩士11名の墓が境内にあります。切腹した妙国寺が勅願寺であったため埋葬が許されず、向かいの宝珠院に埋葬されたのです。
 慶応4年(1868)2月堺港に上陸してきたフランス軍艦デュプレー号の水兵に対し、堺の警固にあたっていた土佐藩士がこれを阻止しようとしてフランス人11名を殺傷した事件です。フランス公使は明治新政府に対し土佐藩士の斬刑や賠償金などを要求しました。その結果、土佐藩士隊長箕浦猪之吉ら20人の切腹が妙国寺本堂庭前でフランス人士官等の立ち合いのもと行なわれました。しかし、11人が切腹した時点で、フランス人達は切腹の悲惨さにすっかり青ざめ切腹の中止を命じ、残りの9人は罪人として土佐に返されることになりました。



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妙国寺

2009年12月12日 | 旅 歴史
 大阪府堺市堺区材木町東にある妙国寺です。
 妙国寺は、室町時代末期、摂津・河内・和泉の三国を支配していた三好豊前守之康から寺地と蘇鉄(ソテツ)の寄進を受けた日蓮宗学僧の日が永禄5年(1562)に開山したお寺です。
 境内には国の天然記念物に指定されている大小百本以上の蘇鉄の大木があります。織田信長が気に入り、安土城へ移植させたのですが、蘇鉄が泣き、切りつけると、血を流して苦しんだため、元の妙国寺へ返したという伝説があります。
 天正10年(1582)の本能寺の変の際、堺を訪れていた徳川家康はこの妙国寺に泊まっていたそうです。僧や油屋親子の助けを得て難を逃れたといわれています。
 慶応4年(1868)2月、フランス艦デュプレー号の水兵等が殺傷された「堺事件」の責めを追い、土佐藩士11名が切腹させられた場所でもあります。



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本受寺

2009年12月12日 | 旅 歴史
 大阪府堺市堺区宿屋町東にある本受寺です。
 本受寺は西宗真(洗礼名るいす)の菩提所です。若くしてしばしば呂宋方面(フィリピン)に渡航し、スペイン語に通じていたそうです。
  徳川家康はいち早くルイスを認め、南方との貿易を一任しました。るいすは3回、朱印状をもってフィリピンのルソンへ渡航しています。その渡海御朱印状が残されています。晩年法華経に改宗し、正保3年(1646)亡くなり、ここ本受寺に葬られました。


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ザビエル公園

2009年12月11日 | 旅 歴史
 大阪府堺市堺区櫛屋町西にあるザビエル公園です。
 フランシスコ・ザビエルはスペインの宣教師で、天文18年(1549)に鹿児島に上陸し、翌年1月に堺に来ました。この時に手厚くもてなしたのが豪商日比屋了慶(ひびやりょうけい)でした。ここはその時滞在した地です。
 昭和24年(1949)日比屋了慶の屋敷跡を来航400年を記念して整備し「ザビエル公園」が誕生しました。
 園内には彼の功績を顕彰する記念碑や「堺鉄砲之碑」なども建てられています。堺の商人は種子島から堺へ伝来した火縄銃を、金属産業の伝統を持つこの地で量産化させ、我が国最大の生産地にしました。


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延寿院

2009年12月11日 | Weblog
 今日は三重県名張市赤目町長坂にある延寿院を紹介します。
 黄龍山延寿院は天台宗のお寺です。神変菩薩役の役の小角(えんのおづぬ)が滝に向かって行を修めていると、不動明王が赤い目の牛に乗って出現したそうです。後にその不動明王を祀り赤目不動尊として行者の守り本尊とし、堂宇を建立したという言い伝えがあります。
 保安3年(1122)河内の僧、愛智房延僧により延寿院の前身、黄龍山青黄龍寺が創建されました。赤目峡谷は修験道の行場となり、青黄龍寺は修験者の参集場になったそうです。
 鎌倉以後、伊賀一国の納経所となり八坊伽藍が造られて隆盛を極めました。天正9年(1581)織田軍勢による伊賀攻め「天正伊賀の乱」で堂塔伽藍すべてが灰燼に帰しました。
 寛永13年(1636)津藩主の藤堂高次が目の病気にかかった時、不動の加護により回復したといわれ、藤堂家の祈願所となり寺領が寄進されたそうです。

 延寿院の石燈籠は徳治2年(1307)に造られたもので、2.27mの高さがあります。国の重要文化財に指定されています。また市指定文化財の十三重石塔や市指定天然記念物の菩提桜なども見逃せません。



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赤目四十八滝

2009年12月10日 | 旅 歴史
 三重県名張市赤目町長坂にある赤目四十八滝です。
 赤目四十八滝は名張市の南西、奈良県境を流れる宇陀(うだ)川の支流、伊賀と大和の境を流れる滝川上流にある多くの滝の総称です。
 不動滝、千手滝、布曳滝、荷担滝、琵琶滝の赤目五瀑を中心に多くの滝があります。このあたりは室生火山群に属し、溶結凝灰岩の柱状、板状節理が渓水に浸食され、奇岩、奇形の峡谷をなしています。
 「赤目」の由来は、役の小角(えんのおづぬ)が滝に向かって行を修めていると、不動明王が赤い目の牛に乗って出現したという伝説から来ています。
 一説には阿弥陀仏が法蔵菩薩の時代、四十八願をたて五劫(ごこう)の思惟(しゆい)をこらし修行を成就したことからこの名がつけられたともいわれています。
 伊賀忍者の発祥の地は伊賀市であると思われていますが、支配的地位にあった上級の忍者の上忍三家は名張に拠点を置いていたそうです。
 ここから約3km西に今も伊賀忍者の祖、百地三太夫の屋敷が現存します。この地を修行の場として多くの忍者を輩出したことも伝えられています。赤目四十八滝は霊地として修行し、あるいは参拝する滝だったのです。


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新大仏寺

2009年12月10日 | 旅 歴史
 今日は三重県伊賀市大山田富永にある新大仏寺を紹介します。
 五宝山新大仏寺は建仁2年(1202)奈良東大寺再建大勧進の高僧、俊乗房重源上人が後鳥羽法皇の勅願により開いた真言宗のお寺です。その際源頼朝の協力を得たといわれています。
 全国に七か所の別所が開創され、その中の一つがこの伊賀別所でした。南北60丁、東西40丁の広大な寺領と伽藍を有したといわれています。
 本尊の木彫大仏「毘盧舎那如来座像」は、東大寺の大仏を再興するとき、その原型として造られたそうです。そのため寺号も新大仏寺となったのです。
 「毘盧舎那如来座像」は像高4.05m、総高6.1mあり、国の重要文化財に指定されています。頭部は開基以来の快慶の作ですが仏体は享保12年(1727)祐慶が修復したものです。
 松尾芭蕉は「丈六にかげろふ高し石の上」と寺が荒廃していた時の句を詠みましたが、藩主の藤堂家の加護で陶蛍(とうえい)が再興させました。
 この石とは台座の石のことで高さ1.1m、周囲16mの石造基壇として国の重要文化財に指定されています。


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芭蕉翁生家

2009年12月09日 | 旅 歴史
 三重県伊賀市上野赤坂町にある芭蕉翁生家です。
 正保元年(1644)に松尾芭蕉が生まれた家です。松尾与左衛門の次男で6人兄弟がいたそうです。安政の大地震(1854)にあい、かなりの被害を受け改築したそうですが格子構えはほぼ昔の姿をとどめています。
 裏庭には処女作「貝おほひ」を書いた「釣月軒」があります。芭蕉が帰郷すると兄の世話になりこの建物に座臥したそうです。この「貝おほひ」を上野天神宮へ奉納し、俳諧師として江戸へと旅立ったそうです。
 通りに面して芭蕉の句碑が建てられています。
 「古里や臍のをに泣としのくれ」
 「笈の小文」の旅で帰郷したとき詠んだ句です。




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鍵屋辻

2009年12月08日 | 旅 歴史
 三重県伊賀市上野小田町にある鍵屋辻です。
 旧上野市街の西端の交差点の一角に、伊勢街道と奈良街道の分岐点を示す道標があります。ここが伊賀越の仇討ちの舞台となった鍵屋の辻です。曾我兄弟の仇討ち、赤穂浪士の討ち入りと並ぶ日本三大仇討ちの一つに数え上げられています。
 鍵屋の辻の決闘(かぎやのつじのけっとう)は、寛永11年11月7日(1634)に渡辺数馬と荒木又右衛門が数馬の弟の仇である河合又五郎を伊賀国上野鍵屋の辻で討ちとった事件です。岡山藩主池田忠雄が寵愛する小姓の渡辺源太夫に河合又五郎が殺害してしまったことから始まります。又五郎が江戸の旗本の家に逃げ込み、身柄を渡さなかったため、外様大名と旗本の面子をかけた争いに発展しました。


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上野城(伊賀上野城)

2009年12月08日 | 旅 歴史
 今日は三重県伊賀市上野丸之内にある上野城(伊賀上野城)を紹介します。
 伊賀上野城は、上野盆地のほぼ中央にある上野台地の北部にある海抜180mほどの丘に建てられました。白鳳城、伊賀上野城とも呼ばれました。
 城は天正9年(1581)伊賀の守護職になっていた織田信雄(のぶかつ)の家臣滝川雄利が平楽寺跡に館塞を築いたのが起源とされています。天正13年(1585) 大和郡山から移ってきた筒井定次が5万石で入部しました。そして3層の天守の近代的な城郭に改築したそうです。
  慶長13年(1608)徳川家康は失政の多いのを理由に筒井定次を改易させました。そして、信頼の厚かった藤堂高虎を伊賀、伊勢に移封させ大坂との決戦に備え、城造りをさせたのです。慶長16年(1611)本丸を西に拡張、濠を深くして高さ 約30mという高石垣をめぐらして南を大手と しました。 建設中の五層の天守閣は、慶長17年(1612)9月、大暴風で倒壊してしまいました。
 慶長19年(1614)の大坂冬の陣、元和元年(1615)の夏の陣と家康方の勝利に終わり、敵対勢力が無くなったことで幕府は諸大名に城普請を厳しくしたため、上野城の天守閣が再建されることはありませんでした。
 明治維新後、他の城と同様、上野城も城本体は取り壊されました。昭和10年(1935)衆議院議員であった川崎克の私財を投じた努力により模擬天守として復興され現在の3層3階の天守閣ができました。
 今の城は正式には伊賀文化産業城というのだそうです。昭和55年(1980)4月に公開された映画「影武者」の撮影舞台となり反響をよびました。


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亀山城

2009年12月07日 | 旅 歴史
 三重県亀山市本丸町にある亀山城です。
 亀山は東海道鈴鹿峠を押さえる交通の要でした。文永元年()関実忠が亀山城を築城しました。天正18年(1590)蒲生氏郷が会津転封になり、関一政は蒲生氏が治めていた白河へ5万石の大名として移封しました。亀山城には岡本宗憲が2万2千石で入り東南の丘陵に新しい亀山城を築いたのでした。
 三宅康盛の代のとき、幕府は堀尾忠晴に亀山城修築を命じました。寛永9年(1633)、忠晴が天守を解体後、修築するのは明智光秀の居城だった丹波の亀山城だったと判明しました。
 それ以後、天守閣の再建は許されず、天守台には多門櫓が建ったということです。この櫓が三重県唯一の城郭建築となっています。延享元年(1744)に石川総慶が備中松山より6万石で入封して以後、石川氏が11代続いて城主となり明治を迎えたそうです。


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伊勢国分寺跡

2009年12月07日 | 旅 歴史
 三重県鈴鹿市国分町にある伊勢国分寺跡です。
 「国泰らかに人楽しみ、災いを除き福至る」を祈願された、天平13年(741)の聖武天皇の詔は、国々に国分寺(僧寺と尼寺があった)という寺を建てさせ、国家の平和を祈らせるものでした。
 全国六十六ヶ国と壱岐・対馬の二島に国分寺を建立し、仏教の弘通により国土安穏・万民豊楽を祈願するとともに文化の興隆をはかったのです。奈良の東大寺が総国分寺として位置づけられました。
 伊勢国の国分寺のあったこの場所は、鈴鹿川流域は畿内と東国を結ぶ交通の要衝の地にあって古くから開けていたようです。伊勢国内における先進地でもあったようです。
 大正11年(1922)国分町字堂跡を中心とした約200m四方にわたり国史跡に指定されましたがまだ発掘調査が行なわれています。隣接する考古博物館でもその様子が説明されています。



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鈴鹿市考古博物館

2009年12月06日 | 旅 歴史
 三重県鈴鹿市国分町にある 鈴鹿市考古博物館です。
 鈴鹿市のあちこちには古墳や遺跡が散在し、貴重な出土品も数多くあります。考古博物館は、これらの出土品や奈良時代の寺院・役所に関する特色ある資料を収蔵、展示しています。
 建物は大きくて立派で洒落た体育館のようでした。考古博物館という石碑がなければ誰も何の建物かわからないでしょう。しかも何もない国道からも離れた田舎にでんとして建っているのです。
 発掘現場を再現したような展示室や実際に土器や石器に触れることができる学習室もあります。展望台では伊勢国府跡を見ることができます。


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