旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

神武天皇 畝傍山東北陵

2010年05月16日 | 旅 歴史
 奈良県橿原市大久保町にある神武天皇 畝傍山東北陵(じんむてんのう うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)です。
 神武天皇陵は畝傍山の北東のふもとにあります。周囲は約100m、高さ5.5mの八稜円形で、幅約16mの周濠をめぐらせています。神武天皇は日本神話に登場する人物で、日本の初代天皇です。
 古事記では神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)と称され、日本書紀では神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)、始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)と称されています。
 日向地方から瀬戸内海を東に進み難波に上陸。生駒の豪族長髄彦に阻まれ、南下して熊野へ。そこで八咫烏というカラスに導かれて吉野山を越えて大和に入り、宿敵の長髄彦も倒して大和地方を平定しました。紀元前660年に橿原宮で即位して、初代の天皇となったそうです。


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綏靖天皇 桃花鳥田丘上陵

2010年05月15日 | 旅 歴史
 奈良県橿原市四条町にある綏靖天皇 桃花鳥田丘上陵(すいぜいてんのう  つきだのおかのえのみささぎ)です。
 綏靖天皇(すいぜいてんのう)は、日本の第2代の天皇といわれています。神武天皇の末子で名は神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)とも神渟名川耳尊(かむぬなかわみみのみこと)ともいわれています。
 母は古事記では三輪山の神大物主の娘、日本書紀では事代主神の娘と書かれています。神武天皇が崩御された後、母は異母兄の手研耳命(たぎしみみのみこと)と再婚しました。
 手研耳命は天皇になろうと弟たちを殺そうと企て、綏靖は他の兄と共に逆にこれを討ちました。この時、兄は手足が震え手研耳命を殺すことができず、綏靖が一矢で仕留めたそうです。その功により弟でしたが天皇になったとのことです。


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今井町・高木家住宅

2010年05月14日 | 旅 歴史
 奈良県橿原市今井町にある高木家住宅です。
 高木家住宅は中尊坊通りの東端しにあります。四条屋の分家で屋号を「大東の四条屋」といい、本家の酒造業を助けながら、後には醤油業も営んでいたそうです。国の重要文化財に指定されています。
 切妻造、本瓦葺きの2階建で、幕末上層民家の特徴が残っています。2階の窓も虫籠(むしこ)窓ではなく、出格子(でごうし)窓になっています。江戸時代末期に建てられたようです。


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今井町・河合家住宅

2010年05月13日 | 旅 歴史
 奈良県橿原市今井町にある河合家住宅です。
 河合家住宅は 屋号を「上品寺屋」といい、造り酒屋です。寛永年間に上品寺村(橿原市上品寺町)から移ったようです。国の重要文化財に指定されています。
 安永元年(1772)には既に酒を造っており、今なお酒造業を営んでいます。屋根の一方が切妻、もう一方が入母屋という珍しい造りです。2階には座敷があります。


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今井町・旧米谷家住宅

2010年05月12日 | 旅 歴史
 奈良県橿原市今井町にある旧米谷家住宅です。
 旧米谷家住宅は中町筋北側に面しています。屋号を「米忠」といい、代々金具商、肥料商を営んでいたそうです。国指定の重要文化財です。
 主屋は切妻造、本瓦葺き、平入りで立ちの低い町家です。内部は東側に通り土間があります。そこには煙返しが付いていて農家風の民家です。18世紀中頃の建築と推定されています。

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今井町・音村家住宅

2010年05月11日 | 旅 歴史
 奈良県橿原市今井町にある音村家住宅です。
 音村家住宅は中町筋北側に建っています。屋号を「細九」といい、かつては金物問屋を営んでいたそうです。17世紀後半頃の建築と推定されます。国指定の重要文化財です。
 主屋は切妻造、本瓦葺、平入りで、正面のみ「つしニ階」があります。内部は東側は通り土間になっています。西北部に「角座敷(つのざしき)」が19世紀中頃、増設されています。


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今井町・上田家住宅

2010年05月10日 | 旅 歴史
 奈良県橿原市今井町にある上田家住宅です。
 上田家住宅は大工町筋の南側に建っています。屋号を「壺屋」といい、寛永16年(1639)より今西家、尾崎家と並び惣年寄を勤めていました。惣年寄の旗が残っています。国指定の重要文化財です。
 延享元年(1744)の祈祷札があるのでこの頃の建築とみられます。入母屋造、本瓦葺で、二階の軒は低く、内部は北側に土間、南側は整形六間取りとなっています。


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今井町・中橋家住宅

2010年05月09日 | 旅 歴史
 奈良県橿原市今井町にある中橋家住宅です。
 中橋家住宅は称念寺東方斜め筋向かいにある中規模な民家です。屋号を「米彦」といい、米屋を営んでいたそうです。国の重要文化財に指定されています。
 主屋は切妻造、本瓦葺、平入りで、道に面した側面は白壁、下部板壁となっています。内部は、西側を土間、東側に六室をとっています。18世紀後半に建てられた平屋建の町屋でしたが19世紀初期に正面通りに「つし二階」が増築されています。


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旧高市郡教育博物館

2010年05月08日 | 旅 歴史
 奈良県橿原市今井町にある旧高市郡教育博物館です。
 旧高市郡教育博物館は左右対称に翼楼(よくろう)がついた美しい明治建築です。明治36年(1903)に建てられた奈良県初の社会教育施設でした。その後、今井町役場として使われました。
 現在は今井まちづくりセンター華甍(はないらか)として今井の歴史や建築を紹介し、今井観光案内の拠点となっています。なおこの建物は奈良県の指定文化財になっています。



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今井町・称念寺

2010年05月07日 | 旅 歴史
 奈良県橿原市今井町にある称念寺です。
 称念寺(しょうねんじ)は自治都市今井町の中心的存在で江戸時代に再建された堂宇は繁栄ぶりをしのばせる豪壮な建物です。本堂は国の重要文化財に指定され、太鼓楼 、庫裡客殿、対面所は橿原市指定文化財です。
 天文年間(1532年~1555年)石山本願寺の家衆であった今井兵部が創建しました。織田信長により武装解除させられてからは、自治都市の要として栄えました。明治10年(1877)には、ここに明治天皇が立ち寄っています。


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今井町・豊田家住宅

2010年05月06日 | 旅 歴史
 奈良県橿原市今井町にある今井町・豊田家住宅です。
 豊田家住宅は寛文2年(1662)の建築で、今井町では今西家に次いで古い家です。2階正面「虫小窓」の左右に「木」の字を丸で囲んだ大きな紋がついています。材木商、金融業として栄え、福井藩の蔵元もつとめた「西の木屋」、牧村家の屋号を表す紋です。
 豊田家は屋号を「紙八」といい、明治初年「紙半」から分家してこの家に移ったそうです。主屋は間口12m、奥行11.7m、一部2階建てで入母屋造、本瓦葺きの建物です。南面と北面にひさしをつけています。



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今井町・旧常福寺

2010年05月04日 | 旅 歴史
 奈良県橿原市今井町にある旧常福寺です。
 今井町の西南隅に春日神社があります。今井町は藤原氏の氏寺である興福寺の荘園であったので、春日神社があるのです。明治初年までここに「常福寺」があり、春日神社の神宮寺でした。
 常福寺は明治の廃仏毀釈で廃棄され観音堂、表門、行者堂が残っています。観音堂、表門は橿原市の文化財に指定されています。
 旧常福寺観音堂は慶長18年(1613)に上棟したことを記す棟札が残されています。延宝9年(1681)から天台宗多武峯妙楽寺末寺となっていました。


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今井町・今西家住宅

2010年05月03日 | 旅 歴史
 奈良県橿原市今井町にある今西家住宅です。
 今西家住宅は「八つ棟造り」と呼ばれる城郭を思わせる構造の民家で、国の重要文化財に指定されています。今西家は今井町を支配した惣年寄の筆頭で町の自治権を任されていました。
 棟札によると慶安3年(1650)の建築で、間口15.9m、奥行13.8m、一部2階の入母屋八つ棟造り、本瓦葺きの堂々たる建物です。内部には、裁判が行なわれたお白洲や、罪人を閉じこめた部屋(いぶし牢)も残っています。



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今井町重要伝統的建造物群保存地区

2010年05月02日 | 旅 歴史
 奈良県橿原市今井町にある今井町重要伝統的建造物群保存地区です。
 今井町は江戸時代の町並みが残り、平成5年(1993)国の重要伝統的建物群保存地区の指定を受けた町です。
 慶安3年(1650)に建築された今西家を始めとして、国の重要文化財に指定された民家が8軒、県の重要文化財に指定された民家が2軒有るほか、文化財上貴重な民家が多数残っている歴史的市街地です。
 戦国時代に称念寺の寺内町として発展し、江戸時代には自治特権を与えられ、「海の堺」、「陸の今井」として繁栄しました。「大和の金は今井に七分」と謡われ、当時の今井が豊かな財力を持って居た事を明かしています。
 東西約600m、南北約310mの周囲を濠で囲まれた地区に伝統的建築様式の建物約500軒が密集しています。狭い路地は防備上見通しのきかない町割となっていて、現存する民家の多くは伝統的な様式を保って、この中で生活を営んでいます。


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當麻寺・奥院

2010年05月01日 | 旅 歴史
 奈良県葛城市当麻にある當麻寺・奥院です。
 當麻寺の塔頭である奥院は、浄土宗総本山知恩院の「奥之院」として建立された寺です。最初は往生院と呼ばれていました。知恩院第12代誓阿普観上人が知恩院のご本尊として安置されていた法然上人像を(重文)を後光厳天皇の勅許を得て応安3年(1370)ここに建立しました。

 本堂は桁行7間、梁間5間の1重、寄棟造で本瓦葺きです。3間の向拝が付いています。大方丈、楼門とともに国の重要文化財に指定されています。


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